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ザ・ビートルズのジョージ・ハリスンの元ビジネス・パートナーだったデニス・オブライエンが亡くなった。享年80歳だった。

デニス・オブライエンの娘であるクリステン・オブライエンはAP通信に父親が12月3日にスウィンドンにあるグレート・ウェスタン病院で亡くなったと語っている。

デニス・オブライエンは激しい腹痛で入院していたが、正式な死因については明らかになっていない。

クリステン・オブライエンは父親が20年以上前に引退していて、2019年に亡くなった「妻のフィリダ・オブライエンとの暮らしを楽しんでいました」と述べている。彼は4度結婚している。

ミズーリ州セントルイス出身のデニス・オブライエンはワシントン大学で法律の学位を修めた後、ヨーロッパに移っている。

デニス・オブライエンはジョージ・ハリスンのソロ・キャリアの大部分でマネージャーを務めていた。ジョージ・ハリスンとデニス・オブライエンは1978年にプロダクションとディストリビューションの会社であるハンドメイド・フィルムスを立ち上げている。最初のプロジェクトはEMIフィルムスが撤退した後、出資した1979年公開の映画『ライフ・オブ・ブライアン』となっている。

他にもハンドメイド・フィルムスは1982年公開の『モンティ・パイソン・ライブ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル』、1986年公開の『モナリザ』、1987年公開の『ウィズネイルと僕』、1990年公開の『ナンズ・オン・ザ・ラン-走れ!尼さん-』などを手掛けている。ハンドメイド・フィルムスは1991年に活動を停止しており、ジョージ・ハリスンとデニス・オブライエンのパートナーシップは法廷で決裂している。

1996年にデニス・オブライエンはハンドメイド・フィルムスの財務管理を誤ったとしてジョージ・ハリスンに1100万ドル(約12億円)の損害賠償を払う判決を受けている。ジョージ・ハリスンが亡くなる3ヶ月前の2001年8月、デニス・オブライエンの破産宣告を阻止しようとしたジョージ・ハリスンの申し立ては裁判官によって棄却されている。

先日、ポール・マッカートニーリンゴ・スターはジョージ・ハリスンが亡くなってから20年となることを受けて追悼の意を表している。ポール・マッカートニーはツイッターで自身とジョージ・ハリスンがスタジオにいる昔の写真を投稿して、次のように述べている。「20年前にジョージが亡くなったことが信じがたい。友人のことが惜しまれるね。愛を」

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