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ボビー・ギレスピーはグラスゴーのアパートで育った幼少期について語り、小学生時代は「落ちこぼれ」のように感じていたと述べている。

ボビー・ギレスピーは『トレインスポッティング』の作者であるアーヴィン・ウェルシュとのインタヴューで自身の社会経済的地位に対する見方から内気で、世界に幻滅していたと語っている。

ボビー・ギレスピーは自伝『テナメント・キッド(原題)』のプロモーションで『ガーディアン』紙でインタヴューを行っている。「人生の最初の10年はグラスゴーのアパートで暮らしていたんだ。自分と兄弟と両親が同じベッドルームで、そんな感じだった。俺みたいな子どもはバカだと思われるんだ。教育の構造でそう決められていたからね。労働者か、失業者か、解雇されるか、そうなるようになっていたんだよ。学びたかったけど、学ぶものを与えられなかった。質問の仕方も分からなかった。あの年齢の頃は落ちこぼれのように感じていたんだ」

彼は続けて学校で何も達成できず、パンク・ロックが救世主となったと語っている。「本ではロックンロール以外のことも扱いたかったんだけど、ロックンロールが自分の形成の手助けとなったんだ。自分にとって70年代後半から80年代前半がカルチャーの革命期だった。セックス・ピストルズ、ザ・クラッシュ……俺の文化的な教育は音楽誌を読むことからだった。マルコム・マクラーレンが状況主義について語っていた。ファクトリー・レコーズのトニー・ウィルソン――ファクトリーにはドゥルッティ・コラムというバンドもいたけど、それはフランコに対して戦ったスペインの反乱軍の言及だった。そうしたものが文化的な指標だったんだ」

彼は次のように続けている。「パンクとはドレス・コードではなく精神的なものだった。プライマル・スクリームの前はスージー・アンド・ザ・バンシーズやニュー・オーダー関連の連中が周りにいたんだけど、ザ・ウェイクとか、友人だったオルタード・イメージとか、どちらのバンドが自分を入れてくれるかなとかって見ていたんだ。彼らを観るのは天国だった。こうした人々を敬愛していたんだ」

インタヴューでボビー・ギレスピーは本を書くことは大きな変化だったと述べ、プライマル・スクリームの活動以外の脱線した部分も見られるだろうと述べている。「この本については元々、種が蒔かれていたんだ。去年の初め、またロックンロールのアルバムを作りたくなかった。もう十分やってきたからね」

「本を書く準備ができていると思ったんだ。これが1年のプロジェクトになるってね。自分自身や家族についてちゃんと説明したいと思ったんだ。これまでとは違うこと、クリエイティヴなこと、これまでやっていなかったことをやってみたかったんだよ」

プライマル・スクリームは来年7月にUKで『スクリーマデリカ』全編を演奏するライヴを行うことが決定している。

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