Xavier Vila

Photo: Xavier Vila

クイーンのロジャー・テイラーはフレディ・マーキュリーがバンドのオークションを受けた時に笑いたくなってしまったと語っている。

1968年にロジャー・テイラーはブライアン・メイとフレディ・マーキュリーとロンドンの大学で出会っている。

ロジャー・テイラーとブライアン・メイはベーシストのティム・スタッフェルとスマイルというバンドで活動していた。ティム・スタッフェルが脱退を決めた時にフレディ・マーキュリーはバンドに誘われている。

「彼はすごく過激でね。最初は笑いたくなってしまったんだ。というのも、まだ声が出来上がっていなかったんだよ。後に彼がつかむことになるコントロールがまだなかったんだ」とロジャー・テイラーは『デイリー・テレグラフ』紙について語っている。

「でも、厚かましいほどのエネルギーとあらゆることへの情熱があったんだ。そして数多くの隠れた才能があったんだ。僕たちは大の友人だったしね」

ロジャー・テイラーは次のように語っている。「ケンジントン・マーケットに部屋があったんだけど、彼は喜んでいて、一緒にいて素晴らしかった。そして、ものすごい生への渇望があった。彼は自分自身を発明したんだよ」

先日、フレディ・マーキュリーは9月5日に75回目の誕生日を迎えたことを受けてソーシャル・メディアではファンから追悼の声が寄せられている。

1991年にエイズを原因とする気管支肺炎で亡くなったフレディ・マーキュリーは1946年9月5日にタンザニアのストーン・タウンでファルーク・バルサラとして生まれている。

ギタリストであるブライアン・メイはフレディ・マーキュリーが生きていたら、クイーンで一緒にライヴを行っていたと思うと語っている。

「『ソロの音源をやらなきゃ』とは言っていたと思うけど、僕らのやっていることをやるために家族に戻ってきてくれたと思うよ」とブライアン・メイは『グレイテスト・ヒッツ・ラジオ』のサイモン・メイヨーに語っている。「面白いのはどんどん彼が一緒にいるかのように感じているんだ。おそらく年老いて空想的になっているんだろうけど、フレディは毎日僕の日々にはいるんだ」

彼は次のように続けている。「彼は常に僕の思いの中にいて、こういう状況だったら彼はなんて言うだろうと思うんだ。フレディだったら、どう思うだろう? 彼だったら、こんなこと笑っているだろうな、とかね。彼は僕らの作った栄光の一部なんだ。それはずっと続くだろうね」

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