リー・“スクラッチ”・ペリーの長年の友人にしてコラボレーターだったマッド・プロフェッサーはリー・“スクラッチ”・ペリーに追悼の意を表している。
本名をレインフォード・ヒュー・ペリーというリー・“スクラッチ”・ペリーは西ジャマイカのノエル・ホルムズ・ホスピタルで現地時間8月29日に亡くなっている。死因については明らかにされていない。
ジャマイカの首相であるアンドリュー・ホルネスはリー・“スクラッチ”・ペリーが亡くなったことを認めている。「愛情を込めてリー・“スクラッチ”・ペリーとして知られている伝説的レコード・プロデューサーにしてシンガーであるレインフォード・ヒュー・ペリーODの遺族、友人、ファンにお悔やみを申し上げます」とアンドリュー・ホルネスはツイートしている。
アンドリュー・ホルネスは次のように続けている。「間違いなくリー・“スクラッチ”・ペリーは音楽界隈に対する優れた貢献で今後も偲ばれることになるでしょう。彼の魂よ、安らかに」
訃報を受けて過去30年間、多くの作品を一緒に作ってきたマッド・プロフェッサーはソーシャル・メディアで追悼の意を表している。
「一つの時代が終わった! 僕らは80年代初頭に初めて仕事をして、いくつかの曲をレコーディングして、ツアーをやり、たくさん笑い、多くの夢を共有してきた……1週間前に彼の奥さんと共に僕らは話をしたんだ」とマッド・プロフェッサーは述べている。
https://www.facebook.com/madprofessordub/posts/387710036059198
「なんという人柄だろう! まったく歳を取らなかった。ものすごくクリエイティヴで、テープ・マシーンのようにシャープな思い出がある。その頭脳はコンピューターのように正確だった。一緒に世界各地を旅した。日本、ロシア、オーストラリア、ニュージーランド、ブラジル、アルゼンチン、コロンビア、そしてアメリカ各地とカナダなど、たくさんの場所に行ったんだ。対決な瞬間はまったくなかった。ボブ・マーリーの話とか、クレメント・“コクソン”・ドッドの話とかね。いろいろあったんだ」
彼は次のように続けている。「音楽業界とレゲエの世界を明晰に理解していた。複雑なレゲエの地平を彼は案内してくれて、ヒットを生み出すためのバランスの取り方を教えてくれたんだ。彼は分かっていたんだ。彼から学ぶことができたのは幸せだよ」
マッド・プロフェッサーは次のように締めくくっている。「時に彼は父親で、それ以外は息子の時もあり、彼はアドバイザーにして、アドバイスを参照していた。既に彼のことが惜しまれるけど、彼と知り合いになれて幸せだった。20枚のアルバムをリリースしてきたけど、リリースの待たれるアルバムが20枚あるんだ。一つの時代が終わったんだ」
シャーラタンズのフロントマンであるティム・バージェスはリー・“スクラッチ”・ペリーの写真を投稿して、「彼の冒険はこの領域を超えて続いていく」と述べている。
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