60年代にグリニッジ・ヴィレッジのフォーク・シーンの先駆者だったパトリック・スカイが亡くなった。享年80歳だった。
パトリック・スカイは現地時間5月27日にノースカロライナ州アフヴィルの養護施設で亡くなっている。米『ローリング・ストーン』誌に対して、妻でミュージシャン/小説家でもあるキャシー・ラーソン・スカイはパトリック・スカイが前立腺ガンと骨肉腫で倒れたことを認めている。彼は2017年にパーキンソン病とも診断されていた。
パトリック・スカイは非常に挑発的で風刺的なアルバム『ソングス・ザット・メイド・アメリカ・フェイマス』で最も知られており、同作は1971年にレコーディングされたものの、その過激な言葉遣いのために契約を得られず、数年経つまでリリースされなかった。
友人のミュージシャンであるエリック・アンダーセンはパトリック・スカイに追悼の意を表して、「素晴らしい精神と洞察力のある魂」の持ち主だったと賛辞を寄せている。
「今日は私にとって、すべてのソングライターにとって、ミュージック・ラヴァーにとって非常に、非常に悲しい日です。闇? 彼はついにそこに辿り着きました」とエリック・アンダーセンはフェイスブックで述べている。
「パトリック・スカイはソングライターで、シンガーで、アイルランドのイリアン・バグパイプ奏者で、ノースカロライナ州アフヴィルの養護施設から光に向かって、この世界を去りました。しかし、私たちの下を離れたわけではありません。魂である曲は残っています」
https://www.facebook.com/eric.andersen.908/posts/10157608747661581
エリック・アンダーセンはパトリック・スカイのバフィ・セント=マリーやピーター・ラ・ファージとの友人関係について触れ、先住民のネイティヴ・アメリカンとしての体験をしたことを紹介している。「息子のリアムが噂を認めてくれるのを聞きました。ジョニ・ミッチェルの『ブルー』に収録されている“Last Time I Saw Richard”はまさにあなたについての曲です」
ジョージア州で生まれたパトリック・スカイはルイジアナ州で育ち、軍に入った後、フロリダ州の急成長するフォーク・シーンに参加していた。そこでセント・マリーに出会ってニューヨークに移り、デビュー・アルバムをレコーディングしている。
パトリック・スカイは後のキャリアでトラディショナル・フォークに向かい、アイルランド系のルーツを取り入れている。70年代にクリーク族のインディアンとアイルランド人の血を引くパトリック・スカイはアイルランドを訪れて、イリアン・バグパイプを収録している。パトリック・スカイはケルティック・フォークのレーベルであるグリーン・リネットを始め、ロード・アイランドの都市計画やネイティヴ・アメリカンの政策にも関わっている。
パトリック・スカイは妻のキャシー・ラーソン・スカイと息子のリアム・スカイに看取られている。
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