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ザ・ビートルズのコラボレーターとして知られるクラウス・フォアマンはジョージ・ハリスンと初めて会った時のことを振り返っている。

クラウス・フォアマンは1960年にハンブルクのカイザーケラーでザ・ビートルズと出会ったと語っている。「初めてジョージに会った時、彼は弱冠17歳だったんだ。後のジョージとはまったく違っていたね。生意気なガキでさ。彼のいたバンドはまったくの無名だったんだ」

『アンカット』誌にクラウス・フォアマンは次のように続けている。「ジョージは面白おかしい曲を歌っていたよ。後にも少しやるようなね。くつろぎながらウクレレを弾いていた。“I’m Henery the Eighth, I Am”みたいな曲をコックニー訛りで歌っていたんだ。あとは、“Twenty Flight Rock”みたいなエディ・コクランの曲なんかを歌っていたね」

1960年代後半にクラウス・フォアマンはロンドンに移住して、ジョージ・ハリスンやリンゴ・スターと時間を過ごしている。クラウス・フォアマンは1966年発表の『リヴォルヴァー』のアートワークを手掛けており、グラミー賞を受賞している。

クラウス・フォアマンは1970年発表のジョージ・ハリスンのソロ・アルバム『オール・シングス・マスト・パス』や3枚のリンゴ・スターのアルバム、4枚のジョン・レノンのアルバムにも参加している。クラウス・フォアマンはザ・ビートルズの再結成プロジェクトで、ポール・マッカートニーの代わりを務めるのではないかと噂されてきた時もあった。

先日、ポール・マッカートニーは持ち去った毛布の埋め合わせをする手書きの手紙がオークションに出品されている。

手紙は1989年9月にアイリーン・ブライアリーへの返事として書かれたもので、彼女が北ウェールズのハーレフに所有している家屋をポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンは1958年と1959年の2度、ヒッチハイクで訪れている。

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