デヴィッド・ボウイの短期的でありながら衝撃的なグラムロックへの転換は、統合失調症を患う父親違いの兄であるテリー・バーンズの精神的な問題テーマとしたジギーに続くアルバム『アラジン・セイン』と1973年に発表したカヴァー・アルバム『ピンナップス』でも表現されている。
バイセクシャルのカミングアウトやミック・ジャガーとの関係が噂されていたにもかかわらず、デヴィッド・ボウイはアンジェラ・バーネットに出会い、結婚式を挙げ、1970年代を通じて既婚者であった。
ジギー・スターダストの惑星をまたいだロックの物語は、単にその曲の中だけでは終わらなかった。そして彼は日本の歌舞伎に触発され、火星人的な太陽神、激しい色使いの体操選手や男性サイズのセクシーな服といった風変わりなファッションに度々身を包み、話題を呼んだ。
1973年、ニューヨークで度々利用しているホテルの部屋にて。古臭いカーテンを前にしても、ジギー・スターダストは今にも腹ばいで這いつくばりそうな、そして完璧なファッションをこなしている。
デヴィッド・ボウイの最後のグラム・ロック・アルバムとなる1974年の『ダイアモンドの犬』のツアーの際、デヴィッド・ボウイは、暗黒郷の未来からやってきた町の反逆者でパートタイムの海賊である、ハロウィーン・ジャックに扮し、妻のアンジェラ・バーネットと息子のゾーイ・ボーイとアムステルダムのアムステル・ホテルで写真に収まっている。
1974年の『ダイアモンドの犬』ツアーでは、ハンガー・シティと題し、摩天楼、巨人の頭、動く通路やチェリー・ピッカー、鏡に囲われたアサイラムといった製作物を含む6トンものステージセットという大掛かりなプロダクションを実現している。
ツアーを終えたデヴィッド・ボウイは、グラムロックと決別を告げ、その代わりにアメリカのソウル音楽の虜となり1975年にはアメリカでヒットしたアルバム『ヤング・アメリカン』を発表した。彼はこの音楽を、60年代に黒人ミュージシャンにより提唱された「プラスティック・ソウル」と呼んでいた。
アメリカにいる間、ロサンゼルスで世捨て人のように暮らしていたデヴィッド・ボウイは、ある時点でコカイン依存が著しくなり、食事はピーマンとミルクのみ、そして第三帝国やオカルトなどの書物を読みふけっていた。その結果、アルバム『ステイション・トゥ・ステイション』でのペルソナ、シン・ホワイト・デュークを生み出すこととなる。写真は、ロッテルダムでの同アルバムツアーの中の一枚。
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