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デヴィッド・ボウイがこの世から去った今、写真を通してこの“スターマン”の半生を振り返ってみよう。

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デヴィッド・ボウイの才能は、かなり初期の頃からレンズに収められていた。まだプラスティックのアルト・サックスから卒業する以前のこと、これから自分がポップスターになると両親に話し、15歳の時に最初のバンド、ザ・コンラッズを結成し、その後モデルの友人とともにロンドンのキングリー・ストリートで『ボーイフレンド』誌に撮影されている。気の狂った俳優風の表情は、すでに完璧だ。


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1960年代のアートやブルース、モッズシーンを通してのデヴィッド・ボウイの進化は、最近の彼と同様、忙しく落ち着きがなかった。ザ・コンラッズから、ザ・キング・ビーズ、ザ・マニッシュ・ボーイズ、そしてザ・ロウアー・サードと名を変え、彼はブルーズ・バンドで活動を行っていた。これらのバンドは、“Liza Jane”、“I Pity The Fool”、“You’ve Got A Habit Of Leaving”といったシングルを発表したが、ヒットには恵まれていない。


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かつてデイビー・ジョーンズとして知られていたデヴィッド・ボウイは、1度サドラーズ・ウェルズ劇場でパントマイムの勉強をするために音楽業界を去ると発言している。とはいうものの、彼の新しいバンドであるザ・バズに新マネージャーのラルフ・ホートンの勧めで移るまで、ザ・ロウアー・サードでの活動を続けていた。


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ザ・バズは、1966年にウェンブリー・スタジオでの演奏でテレビ出演を果たし、世間に大きなインパクトを与えたが、彼らのシングル“Do Anything You Say”はヒットするまでには至らなかった。マネージャーのラルフ・ホートンの支援により、デイビー・ジョーンズは開拓者のジム・ボウイにちなんでデヴィッド・ボウイと名を改め、ソロ・アーティストとしての活動を始める。


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1967年のデビュー・アルバム『デヴィッド・ボウイ』には、ヘリウム・ガスの声で”ノームの世界”をあらわしたような謎めいたシングル“The Laughing Gnome”が収められ、アンソニー・ニューリー、トミー・スティール、初期のピンク・フロイド、ザ・キンクスなどの音楽から影響を受けた作品となったが、まだイロモノ扱いに留まっていた。


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ロサンゼルスのパーティーなどで演奏を行っていた1971年頃には、彼は良性具有風のサイエンスフィクション的な外見を確立する。1969年のフォーク調のセカンド・アルバムからは“Space Oddity”がトップ5に入るヒットとなっている。そして1970年、デヴィッド・ボウイはダークでパラノイア調の『世界を売った男』を発表し、女装姿でカバーを飾った。発射10秒前、9、8……!


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火星に生命があろうがなかろうが、1971年に発表したアルバム『ハンキー・ドリー』は、まさに火星に到着したような出来栄えだ。アルバムには、“Changes” 、“Oh! You Pretty Things”、“Kooks”といったアンディ・ウォーホールやボブ・ディランへの磨き上げた叙情歌や準プログレ風の“The Bewley Brothers”などといった世を転覆させるヒット曲が収められている。


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そしてグラム・ロックを定義づけることになったアルバム『ジギー・スターダスト』から光を放ってやってきた、ジギーの登場である。この画像は、デヴィッド・ボウイが出演してから間もなくクローズとなったニューキャッスル・シティ・ホールで撮られたものである。

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