現在、ソニーミュージック六本木ミュージアムにて2021年1月11日まで展覧会「ダブル・ファンタジー ジョン&ヨーコ」が開催されていることを受けて、2018年12月に『NME』でビッグ・リードとして掲載されたオノ・ヨーコのインタヴューを掲載する。展覧会は1966年にジョン・レノンとオノ・ヨーコが出会ってから1980年にジョン・レノンが殺害されるまでを中心に、そのキャリアを貴重な品々と共に振り返るものとなっており、それはこのインタヴューでも語られるジョン・レノンとオノ・ヨーコのクリエイティヴな関係をつまびらかに示すものとなっている。展覧会の写真を交えながら、オノ・ヨーコがキャリアを振り返ったインタヴューを読んでいただきたい。
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かつてはザ・ビートルズを崩壊させた人物との中傷を受けたオノ・ヨーコだが、現在では平和への献身、ソロ作品、そしてジョン・レノンの作品への記録に残らないような貢献の数々が認められ、またとない人物として評価されるようになった。彼女の平和の塔がアイスランドの首都から成層圏へ光線を輝かせる中、エリザベス・オーブリーはオノ・ヨーコにインタヴューを試み、新たにリリースされた『イマジン:アルティメイト・コレクション』のことや、芸術界で女性がようやく正当な評価を手にしつつある理由について語ってもらった。
12月21日は一年で最も陽が短い日、冬至だった。今から1週間前になるその長くて暗い夜、アイスランドのレイキャビクでイマジン・ピース・タワーの点灯式が行われた。イマジン・ピース・タワーは2007年にオノ・ヨーコが亡き夫ジョン・レノンの追悼のため発案したアート作品で、毎年冬至から元日までの間、巨大で強烈な光線の柱を空に放つ。この光の塔は、暗闇の中の平和と希望を表す永遠のシンボルとして年に3回の点灯期間があり、他に10月のジョン・レノンの誕生日から12月の命日までの期間、そして春の第1週目にもジョン・レノンとオノ・ヨーコの結婚とハネムーンを記念して点灯される。2013年にはその作品が生み出す力強い希望と平和のメッセージが評価されて、オノ・ヨーコはレイキャビクの名誉市民に選ばれている。
「イマジン・ピース・タワー」は出会った頃にジョンから依頼を受けた作品でもあったというエピソードを話すヨーコの映像
「私には今もたくさんの希望がある。大西洋のように大きな希望がね」と先ほど今年の「レノン・オノ平和賞」の受賞者を決定したばかりのオノ・ヨーコは語ってくれた。過去にはプッシー・ライオットやアリス・ウォーカーが選ばれたこの賞は2年に1度、ジョン・レノンの誕生日に贈られるもので、発表は1980年にジョン・レノンが早すぎる死を迎えるまで彼女と暮らしたニューヨークのアパートで行われる。「実はとても大変なのよ」と受賞者の選考についてオノ・ヨーコは語っている。「でもね、ありがたいことに毎回ちゃんと与えられるべき評価を得られないでいる人を発見できているの」
年も暮れようという頃、オノ・ヨーコの言葉は印象的に響く。ジョン・レノンの作品への貢献の多くが歴史から抹消されてきた85歳のアーティストにして活動家は、この1年でようやく遅すぎた評価を獲得しつつある。彼女自身の反体制的な作品もまた、かつては女性差別や人種差別の色眼鏡から批判的に扱われてきたが、排外的な過去への反省が徐々に高まりつつある気運の中で、やっと大きな注目を集めるようになってきた。「私の作品を好まない人たちのことは慣れているから」とオノ・ヨーコは以前を振り返り、次のように続けている。「でも、私は自分が座っていられる素敵な箱を創り上げたわ」驚くべきことにオノ・ヨーコの言葉からは嫌みも恨みも出てこない。あるのは、できるだけ正直に自分の芸術的なヴィジョンをやり遂げたいという欲求だけだ。1960年代には革新的な前衛芸術家として、画期的な個展の数々を開いてきたオノ・ヨーコは、ジョン・レノンと出会うずっと前から、自分自身の芸術の道をつき進むことに慣れていた。ところが、歴史の本を見ると全然違った話が書かれてしまっていることも多いのだ。
展覧会では、ジョンとヨーコが出会う前のそれぞれの活動や作品を展示している。
真ん中に展示されているのは、ヨーコがジョンにプレゼントした『グレープフルーツ』の現物(日本初公開)
内容盛り沢山の『イマジン:アルティメイト・コレクション』(オノ・ヨーコはこのプロジェクトのクリエイティブ・ディレクターとして過去8年間を費やした)のリリースに合わせて発売される書籍『イマジン~ジョン&ヨーコ~』の最終頁は、オノ・ヨーコ自身が制作した有名なポスター作品のページである。この作品は彼女とジョン・レノンの不朽のクリスマス・ヒット“Happy Xmas (War is Over)”に合わせて作られたものだった。ポスターのテキストには「戦争は終わる、あなたがそう望むなら(War is Over! If You Want It)」とあり、この本の最初のページでオノ・ヨーコが綴った「世界の10億人が平和を思えば、私たちは平和を手にするはず」との言葉に対応するものとなっている。これまでなら、彼女は自身が仕切ったはずの話から消し去られてしまうということも多かったかもしれない。しかし、今回の『イマジン』プロジェクトを構成する様々な新しいインタヴュー、写真、ビデオ映像、デモ、手紙、手書きの歌詞をひもとけば、制作過程でオノ・ヨーコが果たした重要な役割を再確認することができる。とりわけジョン・レノン本人へのインタヴュー内容からそれが分かるのだ。例えば、1970年代初期のインタヴューで“Happy Xmas (War is Over)”について語ったとき、ジョン・レノンはオノ・ヨーコとの共同作業に度々触れて次のように語っている。「一緒に曲を書いたんだよ。ポスター・イベントはヨーコのアイディアだった。彼女はアヴァンギャルドの界隈でそういうことをよくやっていたからね」
“Happy Xmas (War Is Over)”手書きの歌詞と当時のシングル盤
2017年、オノ・ヨーコはついに全米音楽出版協会から“Imagine”の作曲者としてのクレジットを獲得している。書籍『イマジン~ジョン&ヨーコ~』にはこの曲の制作で彼女が果たした役割がしっかりと記録されており、この曲での彼女の働きについて語ったジョン・レノンの言葉がページいっぱいに述べられている。「僕は今よりちょっと利己的で、マッチョな考え方をしていたせいで、彼女の貢献を語らないようにしていたところがあったんだよ」とジョン・レノンは明かしている。レコード業界が遂にオノ・ヨーコにクレジットを与えたのは、女性の活躍が認められるようになり始めた昨今の時流に合わせてなのだろうか? 「多分ね」とオノ・ヨーコも答えるが、彼女はもっと懐疑的で、この問題は音楽業界にとって何が儲かるか次第だと述べている。つまり、女性が突然クレジットを得たほうが金になるというなら、連中はそうするに過ぎないという。
“Imagine”手書きの歌詞。NYヒルトンホテルのメモパッドに書かれている
「音楽業界は金儲けのために大衆と関わるのよ」とオノ・ヨーコは淡々と語っている。続けて、短い受け答えのとき彼女はよくそうするのだが、その状況を詩的な形で言い表している。「もしチューリップが人気を博したら、チューリップの曲が何千曲も作られることになるでしょうね」一方、彼女のソロ14作目となる最新アルバム『ウォーゾーン』(SMJIより発売中)には“Imagine”のカヴァーが収録されているが、それは彼女が自分自身のために曲の物語を取り戻そうとしているように感じられる。世界中に知られたアンセムを相手にすることに、彼女はたじろぐときもあったのだろうか? 「歌っている時は平気だったけど、それから突然ふと、大勢がこれを聴くんだろうなって気がついた。そう思うとぎょっとするわよね」
2018年、ヨーコ85歳の時に発表された『ウォーゾーン』。「イマジン」のカヴァーも収録
そう恐れる気持ちも理解できる。オノ・ヨーコはジョン・レノンとの創造的で個人的な関係のために、ビートルズの解散の責任をほぼ満場一致で押しつけられ、メディアで中傷されることになったからだ。2人はバンドを結成し、何年も時代に先んじた実験的アルバムをリリースしたが、ジョン・レノンの方は称賛されても、オノ・ヨーコの方は評価されなかった。既成概念の解体を恐れないパワフルな女性アーティストと向き合うことのできない世界においては、彼女がやった革新的な音の実験は一笑に付された。そうした愚弄は彼女のスタジオでの作業中にも起きた。記録記事で明かされているように、“Happy Xmas (War is Over)”の時のレコーディング・セッションで、オノ・ヨーコが自身作曲の穏やかなB面曲“Listen, the Snow is Falling”のディレクターを務めた際、彼女はスタジオ・ミュージシャンが自分の考えを真面目に聞いてくれないことへの不安をジョン・レノンに打ち明けている。彼女が自分の目指すところに合っていない人に指示を出すことは横柄とみなされた。しかし、彼女は自分のヴィジョンを実現しようと動き続けた。その甲斐あってこの曲はA面であってもおかしくない出来に仕上がっている。最新作で“Imagine”のカヴァーを決行したのと同じように、彼女の探究は恐れを知らないものであったし、親友で仕事仲間のサイモン・ヒルトンが語る通り、それこそがアーティストとしての彼女らしさなのだ。
「ヨーコは非常に強い意志を持った人だよ」とサイモン・ヒルトンは語っている。「彼女は世界から悪者にされたり、殺された夫が腕の中で亡くなったり、あらゆることを経験しなければならなかった。ジョン・レノンの妻であること、女性であること、フェミニストであること、物言う人だったことでさらに悪者扱いされたんだ。それでも彼女は強い女性であり続けてきたわけでね。1970~80年代の音楽業界は、女性は可愛らしくあって欲しいとしか思っていなかったんだよ。それでヨーコがジョンをマネージメントしたり、共作したりすることを誰もよしとしなかったんだ。かくあるべきとされていたものと違っていたからね」
彼は2003年からオノ・ヨーコと仕事をするようになり、最近ではオノ・ヨーコとジョン・レノンが作った“Imagine”のビデオのリミックスとリマスターを手伝っている。オノ・ヨーコは夫妻のアーカイヴをすべてサイモン・ヒルトンに託し、いくつものプロジェクトで緊密に連携してきた。彼によれば、彼女には他のアーティストから最良のものを引き出す、無私無欲の力が備わっているという。「ヨーコには人から最善のものを引き出せる驚くべき能力があるんだ。みんなを一生懸命励ましてくれるし、人からマジックを引き出す、本当に天性の方法を身に着けているんだよね。だから一緒に仕事するとすごく惹かれるんだよ。自分の意見をつらぬく人でもあるけど、ほとんどいつも正しいからね」と彼は笑いながら語っている。
人から最高のものを引き出す能力が最もはっきり表れているのは、おそらくジョン・レノンの“Jealous Guy”だろう。この曲はオノ・ヨーコの手助けあって劇的に良くなった。2018年にリリースされたザ・ビートルズ『ホワイト・アルバム』のリミックス盤には、このソロ・ヒット曲のデモ・ヴァージョンが収録されている。このアルバムのセッションで作られたデモは“Child of Nature”という曲名で知られ、メロディは同じだが、歌詞が全く違ったものになっている。当初「僕は自然の子さ、自由になるのも苦労しない(I’m just a child of nature / I don’t need much to set me free…)」と続いた歌詞は、「不安を感じていた。もう愛してくれないんじゃないかと、胸の内で震えていたんだ…。君を傷つけるつもりはなかったんだよ。僕はただの嫉妬深い奴さ(I was feeling insecure / You might not love me anymore / I was shivering inside…I didn’t mean to hurt you / I’m just a jealous guy)」になった。曲が変わったのはオノ・ヨーコの影響だとサイモン・ヒルトンは明かしている。
「彼女はこう言ったんだ。『あなたはただ言葉を綴っていくだけよ。本当のことや、大切なことを書けばいいの』ってね。それであの歌詞を思いついたというわけだね。“Jealous Guy”の歌詞によく耳を傾けると、本当に重みと深みのあるものになっているよね。ジョンが導師とか、悟りを探し求める中で、そこに現れたヨーコの姿はとても大きなものだったということが分かるよ。彼女は哲学専攻だったしさ」
「でも、当時オノ・ヨーコは批判的な報道をされてばかりで、世間から好かれていなかったみたいでね。それで世間の反応を損なわないように、彼女は除け者にされてしまったんだ。彼女と関わることで生じる、ある種の負のイメージからアートの名誉を守ろうというような感覚があったんだと思うね。そういうわけで彼女は、あの曲での自分の手柄を最初のうちは全然話したがらなかった。“Jealous Guy”の歌詞かい? そうさ、当時は誰もあんな風に自分の魂をさらけ出そうとはしなかった。前代未聞だったんだよ」
オノ・ヨーコ本人に“Jealous Guy”での貢献を訊いてみると、初めは言葉を濁し、今でも遠慮していることは明らかだった。「そうね、その場に居合わせたわね!」と最初は彼女らしいユーモアで応じたが、それからより真実味のある答えが返ってくるまであまり長くはかからなかった。「ええっと、もしジョンにとってだけの問題だったら、ジョンは私に適切なクレジットを与えてくれていたでしょう」と彼女は話を切り出している。「でも、そうするのは困難な時代だったの。著名なソングライターが妻にクレジットを分け与えようだなんて思いもつかない時代よ」彼女がどのような影響をもたらしたのかを尋ねると、彼女は再び言葉少なになったが、女性の目線を思いやったことでよりいい曲になったことをほのめかしてくれた。その手助けを彼女がしたのだという。「女性の立場から見てもいい曲になっていると思うの。ジョンは初め、インドのリシケシュの旅について楽しい曲を作ろうとしていた。それでも良い曲になったでしょうけど、結局違う方向に進んだのね」
書籍『イマジン~ジョン&ヨーコ~』では、ジョン・レノンがオノ・ヨーコの影響をよりはっきりと明かしている。「メロディーはインドで書いたんだ。まったく扱いかねていたけど、メロディーはずっと気に入っていた。ともかく歌詞が馬鹿げていたんだよね」と彼は述べている。「ヨーコやフィル・スペクター、その他数人に歌って聴かせたら、みんなしかめ面するんだ。変えようと決めたよ。それでヨーコの助けを借りたんだ」この書籍では、オノ・ヨーコももう少し明確に自身の与えた影響を語っている。「ジョンに言ったの。『美しいメロディーだけど、もっと繊細な内容を考えた方が良いわ。あなたの中にあるものをね』ってね。だから“Jealous Guy”を聴くといつも、『なんてすごいの!』と思う。彼は本当にやってのけたわけだからね」
他の曲で彼女が影響を与えたかもしれない曲を聴くと、曲名は挙げなかったものの、明かされるべきことは確かにもっとあると語っている。「10年くらい経ったら全部言えるようになるかもしれないわね」と彼女は今でも明かせない秘密があることをほめかしている。「でも、言いたいと思うかは分からないわね」と彼女はさらに詳しく語ろうとはしない。また、サイモン・ヒルトンによると、彼女はプロジェクトの水準を「完全に最高のものに保つ」べく細心の注意を払ってきたため、今回の『イマジン』の記録を発表するまでにほぼ10年の歳月を要したという。そういうわけで、次回はまたあと10年かかるかもしれないと彼は続けている。
オノ・ヨーコはどのように『イマジン』プロジェクトを指揮したのだろうか。「すべては真実に繋がっているんだ」とサイモン・ヒルトンはオノ・ヨーコを「恐れ知らずのリーダー」と評しながら語っている。彼は次のように続けている。「“Gimme Some Truth”がまさしくスローガンになっていたよ。だって彼女は何物も恐れずに真実を追い求めるアーティストなわけだからね。絶対に恐れない。彼女からすれば、真実ならそれで良いんだ。たとえそのせいで誰かに悪口を言われることになってもね。真実ならそれで良いというのがヨーコさ」
「でも、彼女が『イマジン』プロジェクトに関わったことは、今までも彼女が関わるとそうなったように、目立たないようにされてしまったというのも事実だね。ちょっとシャロン・オズボーンに似ているよ。シャロンも長年オジーのマネージャーをやってきたし、ヨーコだって何年もジョンのマネージメントをしてきたんだ。難しい時期でも彼の面倒を見続けたし、ジョンが死んでからはその遺産を管理してきたわけだけど、本当に素敵なやり方で管理してくれたよね。彼女自身がアーティストでもあったしさ」
オノ・ヨーコは『イマジン』プロジェクトの仕事に並行しつつ、最新作『ウォーゾーン』では自身の過去の作品を再び取り上げ、1970~2009年までの自身の楽曲をリメイクしている。昔の作品を新しく作り直すのは、近年彼女が好む手法だが、曲選びは難しくなかったのだろうか。「選んだ曲はどれもよく知っていると思ったの。だから全然悩まなかった」とオノ・ヨーコは語り、答えやすい質問だと感謝してくれた。今時のものから影響をうけたりはしたのだろうか? 誰の作品から影響を受けたのだろうか? この質問には「自分の作品からね!」と感嘆するように一言、半分本気、半分冗談で答えてくれた。彼女が選んだ曲の多くは、元々のリリース時には商業的にも批評的にもほとんど成功しなかった曲だが、“Women Power”のように歌詞の一部を大胆に書き換えたことが大きな理由になって、新しい内容は前より良い評価を得るようになった。この曲の歌詞で彼女は「すべての女性には語るべき物語がある(All women have a story to tell)」と述べ、次のように歌っている。「男性よ、いつか報いを受けることになるわ(Someday you’ll have to pay, man)」、「成熟したフェミニスト社会でこそ、私たちは人間の尊厳を回復することになる。真実と明晰さを積み上げ、本来の美しさを取り戻すの(in the coming age of the feminist society we’ll regain our human dignity / we’ll lay some truth and clarity and bring back nature’s beauty…)」
1966年、ジョンとヨーコが出会ったインディカ・ギャラリーに展示されていた「リンゴ」。生命の循環の素晴らしさを表現している。展示は、ジョンがかじった光景を再現した2020年の作品
オノ・ヨーコのメッセージはこれ以上ないほど的確でタイムリーだ。「すごいことよね」と昨今の#MeToo運動について彼女は語っている。「私たち女性は一丸となれば途轍もないエネルギーを持っているの。いまだにそれを解き放つことを恐れているだけよ。でもこれって男性の方でも同じことでね。恐れるのはやめにすべきね。私には今もたくさんの希望があるんだから」確かにオノ・ヨーコの最新作は、沈痛な物思いに耽っているところもあれば、にぎやかで騒々しいところもあるのだが、そこには常に希望がある。「希望のためというよりは、今起きていることを正確に示すために選んだ曲だと思うんだけどね」と彼女は明かしている。「目を覚まして、覚ますのよ!」と彼女は訴える。それこそが彼女が自分の音楽、アート、活動で声高に叫ぼうとしていることだ。音楽やアートは今でも世界を変える力があるものだと彼女は続ける。「人は創造的でなくちゃいけないわ。人は信じられないほど澄んだ音を鳴らすこともできるの。音の振動はどこへでも伝わるし、空だって打ち破ることができるんだから」
希望に満ちたオノ・ヨーコの言葉は大きく響き渡る。実際、1966年ロンドンのインディカ・ギャラリーで彼女の個展を訪れたジョン・レノンが、初めて彼女に出会ったとき、彼が最初に気がついたのはそのことだった。書籍『イマジン~ジョン&ヨーコ~』では、その時のことをジョン・レノンが詳しく語ったインタヴューが収録されている。「中に入って見て仰天したんだ。素晴らしいと思ったな。すぐに彼女の作品にあるユーモアが分かったからね。台座の上に新鮮なリンゴが置いてあったんだ。アップル・レコードを作るより前の話だけどね。そのリンゴが腐るのを見るのには200ポンド取られるんだよ。他にも、天井に飾ってある絵に梯子がかけられていてね。その白紙のキャンヴァスにはチェーンが付いていて、チェーンの端には虫メガネがつるされている。僕は梯子を上った。それで虫メガネをのぞくと小っちゃな文字で『YES』と書かれているのさ。それって前向きだよね。僕にあたたかな言葉をかけてくれた展覧会はあれが初めてだったよ」また別のインタヴューではより簡潔に語ってみせている。「彼女が与えてくれた体験全体というのは、こういうことなんだ。『想像してみて、こんなことやあんなことを』っていうね」
「天井の絵」 ジョンが実際に登った1966年当時の作品が展示されている
想像力の力だとオノ・ヨーコは語る。それこそが自身にとって1960年代初期から1970年代をくぐり抜ける力になったのだという。その時代、彼女が過ごした芸術界は一見すると偏見がなさそうな業界だが、実際には女性や文化の多様性に対して非常に閉鎖的だった。想像によって強くなれたと彼女は語っている。「いろんなことを沢山想像できたことで、自分は実はもっと強いんだと感じられたのね」と彼女は自分が直面した問題を語り、様々な偏見を芸術的に対処することで生き残れたと明かしている。「ああいう状況ではとても大変だったけど、ジョンと私は迷宮から生きのびることができたの」
彼女は芸術面のみならず、今回の『イマジン』プロジェクトの編集においても自身が物怖じしない人間であることを証明した。オノ・ヨーコが明かさなかった部分についてサイモン・ヒルトンが感動的な考察を披露してくれたことがある。「編集の過程では、たくさんの喜びも、たくさんの涙もあったと思う。夫婦にとても幸せな時期だったから、こうした思い出を辿るのは彼女にとって本当に楽しいことだったんだ。でも、そのまた一方で少し……」と彼は声を落とし、少し間をおいて言った。「その場に居合わせているような気分にさせるという僕らの目標が達成できたとすれば、これは没入的な体験になるわけでね。今回のミックスやインタヴューを聴いていると、まるでジョンがこの部屋にいるかのように聴こえて、それは彼女にとって本当に重みのあることだったんだ。時々本当に大粒の涙をこぼしてむせび泣くことがあって、それがつらかったよ。きつかった。また別の機会では、スタジオ内で“Crippled Inside”に合わせて踊らせてもらったけど、その時は彼女も大きな笑みを浮かべていたよ。でも、もちろん、彼女はでこぼこ道を歩んできたわけなんだ。夫を殺されたんだからね。そんな経験、どうやって乗り越えたら良いんだろう」
アイスランドにあるイマジン・ピース・タワーは今日もライトアップされ、オノ・ヨーコの希望と平和の灯台として、すべての人に強力なメッセージを発信し続けるだろう。同時に、オノ・ヨーコはクリスマスに合わせてアコースティック・ミックスによる“Happy Xmas (War is Over)”の新バージョンを発表したが、それから数日後にはジョン・レノンの故郷リヴァプールで、街中に彼女の「戦争は終わった!」のポスターが掲示される予定だ。「ジョンのパワフルなメッセージは常に人々の心を打ち続けると思う」と彼女は語っている。「私が言いたかったのは、それとはまた別の問題よ」インタヴューが終わってからもずっと胸に響き続ける彼女の言葉には、希望と合わさった何物も恐れない心がある。彼女の存在意義が真に値する評価を得るのも、そう遠くない日かもしれない。
展覧会概要
“DOUBLE FANTASY – John & Yoko” 東京展
■会期:2020.10.9(金)~ 2021.1.11(月・祝) (休館日:12.31(木)/2021.1.1(金))
■開館時間: [日~木] 10時~18時 / [金・土・1/11(月祝)] 10時~20時(入場は閉館時間の30分前まで)
■会場: ソニーミュージック六本木ミュージアム(東京都港区六本木5-6-20)
■チケット 当日券は会場にて販売
通常チケット/料金(税込)
【当日券】 一般:2,600円 大学・専門学校生:2,100円 中・高校生:1,100円
【前売券】 一般:2,500円 大学・専門学校生:2,000円 中・高校生:1,000円
(小学生以下:無料 *障がい者:当日券の半額(窓口にて障がい者手帳をご提示ください))
【数量限定 チケットホルダー付きチケット】3タイプ各:3,000円(数量終了まで販売)
タイプA 「WAR IS OVER!」 / B 「IMAGINE PEACE」 / C 「YES」
https://doublefantasy.co.jp/
ベスト盤 『ギミ・サム・トゥルース.』
ジョン・レノン生誕80周年記念、ニュー・ベスト・アルバム『ギミ・サム・トゥルース.』
ショーン・レノンがプロジェクトに初参加。オリジナル・マルチ・トラックからの新たなリミックスを経て、ジョン・レノンのソロ作品で最も重要で、最も愛された楽曲が、ニューコレクションとして発売。
https://www.universal-music.co.jp/john-lennon/
劇場上映版『イマジン』
ジョン&ヨーコ監督/出演によるアルバム「イマジン」(1971年)のイメージ映像作品。
1972年にジョンとヨーコによって制作されたアルバム「イマジン」(1971)のイメージ映像作品が、50年の時を経て、映像/サウンド共にクリアになって甦る。日本初公開となる劇場上映版では、ドルビーアトモス(orドルビーサウンド)&未発表映像を含む15分の特典映像を加えた特別バージョンを上映。
12月全国拡大公開決定。
https://www.universal-music.co.jp/johnlennon-imaginefilm/
展覧会写真:山中慎太郎(Qsyum!)
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