フォールズにとって2019年に入ってから2作目となる、壮大にして渾身のアルバム『エヴリシング・ノット・セイヴド・ウィル・ビィ・ロスト・パート2』のリリースが控える中、『NME』のアンドリュー・トレンデルはすっかり臨戦態勢に入った彼らのもとを訪れ、「退行の10年」やその後の世代に残されるものについての話を聞いた。
「これから(川底に埋まっている価値ある遺物を掘り出す)マッドラーキングをするんだろう?」とフロントマンのヤニス・フィリッパケスは到着早々、テムズ川の岸辺で口を開いている。バンドはこれから、今年に入ってからは2度目の、彼らにとっては通算12度目となる『NME』とのロング・インタヴューに臨むのだ。「最高だよ。ずっとマッドラーキングをしたいと思っていたんだ」
えっと、何だって?
「潮が引いた岸辺に行く時には、小さいコインかなんかを探すものだからね」
ドラマーのジャック・ビーヴァンも同様に乗り気なようだ。「金属探知機があったほうがいいよね! 金属探知機はあるかい?」
金属探知機は用意していないが、砂浜には終末世界のメロドラマの雰囲気を生み出すのに十分な量の壊れた楽器の破片が転がっている。この日の朝にテムズ川で目撃されていたザトウクジラが現れてくれないかと私たちは望んでいたのだが、「ヘッシー」という愛称が付けられたこのザトウクジラについてはその後、ケント州ダートフォード近くのグリーンヒザにある川で死体で発見されたという悲しい続報が入ってくることとなった。ヘッシーよ、どうか安らかに。
この日、ロンドンにある多くの通りでは気候変動に抗議する運動「エクスティンクション・レベリオン」の支持者たちが気候変動に向けて行動を起こすよう政府に向けて呼びかけていた。我々が岸辺に散らばったギターやシンバルの破片をフォールズのメンバーと見ている間にも、警察のヘリコプターが上空を飛び交っていたし、テート・ギャラリーの外でお喋りに興じていた学生や、私たちを撮影していた観光客の目には、私たちが環境問題についての何かしらの抗議活動を行っていたかのように見えていたかもしれない。途中、グループ写真を撮るために白鳥を追い払わなければいけない場面があったのだが、それが彼らの幻想を壊すことに繋がらなかったことを願うばかりだ。
これらすべてには、偶然にも関連しているところがある。フォールズはニュー・アルバム『エヴリシング・ノット・セイヴド・ウィル・ビィ・ロスト – パート2』で、姉妹作である『パート1』で描かれていた、生存の危機に瀕した野生動物や監視社会、社会的混乱、地獄の業火からなる世界に訪れた惨事のその後を描いている。フォールズは前作の最後から2番目に収録された“Sunday”で「Time has come and time is done /Cities burn, and we’ve got youth to spend(時は来て、時は終わり/ 都市は燃え、すり減る若さが残った)」と歌い、アルバムを締めくくる“I’m Done With The World (& It’s Done With Me)”では、「僕にとって世界は終わった(そして世界にとって僕も終わった)」を意味するタイトル通りのことを歌にしている。かつてメリー・イングランド(喜ばしきイングランド)と呼ばれていたこの場所も、今や燃え盛る荒地と化してしまったのだ。『パート2』に収録された“The Runner”の冒頭で歌われているのは、燃え残る火の中を進んでいくことへの誓いである。
混沌とした状況が我々を包んでいる2019年においてもなお、フォールズを突き動かしているのは希望であり、彼らは楽観的な姿勢を保っている。そんな彼らの積極的なアプローチは、政治的な活動への能動的な参加にも繋がっている。キーボーディストのエドウィン・コングリーヴがエクスティンクション・レベリオンに参加しているほか、フォールズはバンドとして、ザ・1975やザ・エックス・エックス、レディオヘッドらと共に、気候変動に対する運動を支援するための「ミュージック・デクレアズ・エマージェンシー」の宣言書に署名している。ミュージック・デクレアズ・エマージェンシーとは、「気候や生態系の非常事態を宣言し、地球上にいるあらゆる生命を保護するための迅速な行動を政府に呼びかけるため」に立ち上げられた音楽業界の合同団体である。もしかすると、先月開催されたマーキュリー・プライズ授賞式のレッド・カーペットで、フォールズが「NO MUSIC ON A DEAD PLANET(死んだ惑星では音楽ができない)」と書かれたバナーを掲げていたのを覚えている方もいることだろう。
「(サヴェージズの)フェイ・ミルトンとは昔からの友人でね。素晴らしいドラマーだよ」とヤニス・フィリッパケスは語っている。「彼女とエクスティンクション・レベリオンについての話をした後で、ミュージック・デクレアズ・エマージェンシーに署名したんだ。それまでも(輩出した分の温室効果ガスの埋め合わせをする)カーボン・オフセットの取り組みは行っていたし、環境問題のことは意識していたからね。そのことがしばらくの間、僕に影響を与えていたことは間違いないし、だからこそ2枚のアルバムの歌詞の多くはそれに関連したものになっているんだ」
「マーキュリー・プライズの授賞式の日にミュージック・デクレアズ・エマージェンシーを外へ打ち出して、その思想を広めたらいいんじゃないかって思ったんだ。安易にも『環境に何が起きているのかは誰もが知っていることだし、全員が変化を起こそうとしているはずだ』って考えてしまっていたんだけど、それはある種の(閉ざされたコミュニティ内で自身の意見が正しいと錯覚してしまう)エコーチェンバー現象のようなもので、実際のところ、大抵の人々は気にしていなかったり、信じていなかったり、行動を起こしたりなんてしていないわけで、その事実を忘れてしまうんだよ」
ツアー中はプラスティックを使わないようにするなど、バンドとしての日々の活動の中で小さいながらにも変化を起こそうとしているフォールズは、「ツアーのやり方やその頻度、行き先」についても近いうちに話し合う必要があるだろうと述べている。我々がこうして話をしている間にも、路上では多くの人々が陣を張って抗議活動を行っているわけだが、果たして彼らは、間もなく大きな変化が起きるはずだと考えているのだろうか?
「必要なことではあるよね」とキーボーディストのエドウィン・コングリーヴは語っている。「果たして可能なのかって? 人々が意図しているような形では難しいかもしれないね。状況は間もなく劇的に変化すると思うし、それは間違いないよ。ただ、必要とされているのは本当の意味での『変化』なわけで、それはまた別の話だよね。小さい集団の中でなら変化を見ることができる。それはエクスティンクション・レベリオンについて言える素晴らしいことの1つだよね。小さいコミュニティとして活動することができるわけで、そこでは既に変化が起きているんだよ。乗り越えるべき闇の力はたくさんあるけどね」
気性の荒い我らが英国の首相は、そんな乗り越えるべき闇の力の1つだ。「今週、ボリス・ジョンソンはエクスティンクション・レベリオンのことを何と呼んでいたんだっけ?」とジャック・ビーヴァンは尋ねている。
「麻の匂いがする醜い路上生活者だよ」とエドウィン・コングリーヴは応じている。「彼が口の立つ人物であることには違いないよ。とはいえ、野宿をしている人々は確かにいるし、麻の匂いだってするのかもしれないけど、彼は完全に見誤ってしまっているよね。参加している人たちの大部分が普通の人たちで、若者から年寄りまでがいるんだからさ。最終的に独裁政治に支配される可能性もあるわけで、変化がとても悪い形で起きてしまう可能性だってある。それも、そう遠くない将来にね。すぐに希望がついえてしまってもおかしくないと思うんだ」
なかでも最も憂慮すべきは、社会の特定の層から環境保護活動家のグレタ・ トゥーンベリに向けられる辛辣な声だ。予期せずもたらされた光である現在16歳の彼女は、気候変動に向けた運動の先頭に立ち、少女時代の残りの期間を犠牲にしてまで、自分たちの将来を取り戻そうと同世代の人々に呼びかけることを自身の使命に掲げている。
彼女は既に、リベラルな人々や良心的な人々の間でアイコンとして見なされる存在になっている。そんな集団の1組であるザ・1975は先日、若きスウェーデン出身の彼女の力強いスピーチを収録した楽曲“The 1975”をリリースしており、彼女はその中で世界に次のように警鐘を鳴らしている。「すべてを変える必要がある。それを今日から始めなければならない……今こそ市民として反抗すべき時よ。反逆の時がきたの」ザ・1975のフロントマンであるマット・ヒーリーはまた、彼女のことを「これまでの人生で出会ってきた中で最もパンクな人」だとも称賛している。そう、パンクとは頑固な年寄りたちを怒らせてこそナンボだ。グレタ・ トゥーンベリについては先日、エクスティンクション・レベリオンに抗議するために、何者かによって彼女の人形がローマの橋に吊り下げられていたことも報じられたばかりである。
「たとえ自分がメッセージを掲げていたとしても、状況をその域まで変化させなければいけないと自分に言い聞かせるのは、ものすごく難しいことなわけでね。すっかり慣れている今の生き方を続けられないことを意味するんだからさ」とヤニス・フィリッパケスは語っている。「本質的には豊かさだったり、快適さや消費主義と関連しているんだ。彼女が体現しているのは、これまで育てられてきたような生き方では生きられないと言われている存在なんだよ。それは多くの人々にとって受け入れがたいことなんだ」
「それに対しての反応の1つが、とりわけ右翼に言えるものだけど、彼女の信用を落とそうとするというものでね。彼らは真実を受け入れられないんだよ」
我々の懸念とは裏腹に、バンドは今とてもいい精神状態にある。彼らは今年3月にリリースした『パート1』や、つい先日負傷者が出てしまったものの、その後の目まぐるしいツアーに今なお寄せられている好評に意気揚々としている。ヤニス・フィリッパケスはギリシャで家族と集まっていた時に手を負傷してしまい、9月に行われたマーキュリー・プライズ授賞式でのパフォーマンスでは、元マッカビーズのフェリックス・ ホワイトがギタリストとしてフォールズのステージに参加している。
「父親の従兄弟にやられたんだ」とヤニス・フィリッパケスは『NME』に語っている。「間もなく60歳になろうとしている彼は、そのぶん知識も豊富でね。みんなでお酒を飲んでいた時に、全員に同じ血が流れていることを証明しようって彼が言い出したんだ。『俺たちは血の兄弟だ』っていう感じでね。最終的には1人だけが流血することになったんだけどさ。そういうわけで、彼は身内を裏切ったのさ。そう言えるよね?」
想像するだけで痛そうだ。ギタリストである彼にとって、手を失う可能性があったことはさぞかし恐ろしかったに違いない。
「よくないことだとは分かっていたよ」とヤニス・フィリッパケスは語っている。「すぐには痛まなかったんだけど、縫う時は痛かったね。タバコを使うんだよ。それがギリシャ流の治療なんだ。教会にいた時にマールボロの箱をたくさん開けて、血を出すためにタバコを使うんだ」
ジャック・ビーヴァンは次のように応じている。「ああ、それは君が気に入りそうだね!」
「そうなんだよ!」とヤニス・フィリッパケスは語っている。「確かな陶酔感が得られるんだよ。ちゃんとした陶酔感を感じたのは数年ぶりだったね! かなり毛が生えてしまったんだけど、今は問題ないよ。また弾くことができるんだ。かかって来いという感じだね!」
彼らがまた演奏することになるのは確かだ。今年3月にアルバムをリリースし、シークレット・アクトとして出演したグラストンベリー・フェスティバルを初め、ロンドンのアレクサンドラ・パレスでの2公演をソールドアウトさせるなど、バンド史に残るようなワールド・ツアーを行ってきた。大抵のバンドはこれくらいでペースを落とし始めるのかもしれないが、フォールズには『エヴリシング・ノット・セイヴド・ウィル・ビィ・ロスト・パート2』という野獣が待ち構えている。「まだネジを締め始めたばかりだよ」とギタリストのジミー・スミスは言う。
――グラストンベリー・フェスティバルに来年も戻ってくると思いますか?
ヤニス・フィリッパケス 「そうだね。戻って来られることを願っているよ。ぜひシークレットではないショウをやりたいね」
――シークレット・アクトとして出演したわけですが、当日に感じていたことを教えてください。
ヤニス・フィリッパケス 「クレイジーだったね。そうじゃない? (以前バンドが所属していたトランスグレッシヴ・レコードの創設者で、来たる映像作品『リップ・アップ・ザ・ロード(原題)』で監督を務めている)トビー・L率いるカメラマンたちが僕らについて回っていたんだ。これから公開されるけど、僕らの全員が不安を抱えているよ。トレイラー映像しか観ていないんだ」
ジャック・ビーヴァン 「あの晩は、所々しか記憶に残っていないような夜の1つという感じだね。カメラが付いてきている時に友達のパンツを下ろして、彼のお尻を叩いていたことは覚えているよ」
――アルバムをリリースしてから間もなくして次のアルバムのためのプロモーションを始めるということについてはどう感じていますか?
ヤニス・フィリッパケス 「気が遠くなるけど、同時にエキサイティングなことでもあるよ。いつもより長い期間にわたって活動できるように、エネルギーのペース配分をする必要があるわけでさ。ツアーにふさわしい形で出るために事前に、数ヶ月間、充電するための期間を設けているんだ。来年のツアーを始める頃には、早くまたツアーに出たくてウズウズした状態になっているんじゃないかな。2枚のアルバムのおかげで、このツアーがこれまでで最も野心的で、厳しい骨の折れるプロジェクトになることは出発する前から分かっていたんだ」
――最後のツアーは過酷なものになりましたか?
ヤニス・フィリッパケス 「そうだね。今年は健康的なやり方でツアーをしたいと思っていたはずなんだけど、最終的には正反対なものになってしまったよ。スポーツのモードに切り替えて、8ヶ月のツアーの間、燃え続けていたんだ。上質な麻薬を使っていたよ。ヘトヘトだったんだ!」
ジャック・ビーヴァン 「『スピード』という映画は観たことあるかい? あんな感じだよ。バスのスピードが50マイルを下回ったら爆発してしまうみたいなさ。ヤニスがバスだったんだ」
ヤニス・フィリッパケス 「定期的にあらゆる身体検査を受ける必要があったほどでね。2枚のアルバムを出すことの素晴らしいところは、これからツアーの後半に突入するわけだけど、同じような予測を立てることができて、同じような結果を得られるというところにあるんだよ!」
――気持ちを切り替えるにはかなりの労力が必要だったのでしょうか?
「音楽的に言えば、その必要はなかったね。2枚のアルバムのヴィジュアル面についても同じことが言えるよ。新たにミュージック・ビデオを撮影して、新たに宣伝活動をやって、新たにツアーをやらなければいけないわけでね。既に多くのことを話したと思っていたなかでもう一度インタヴューを受けるというのは、奇妙な気持ちだよ。この2枚のアルバムについては今後、自分たちのキャリアの中で最も骨の折れた期間であり、同時に最も報われた期間の一つとして振り返ることになるんじゃないかな。自分たちをさらに押し進めたわけだからね」
――『NME』は『パート1』について「プロテイン・ドリンクを携えた(2008年発表の)『アンチドーツ(解毒剤)』のようであり、(2010年発表の)『トータル・ライフ・フォーエヴァー』の反響音のようだ」と評しています。『パート2』はブラッディ・マリーとタバコで一服した後で、騒々しく『パート1』をもう一度やったような作品だと感じているのですが、いかがでしょうか?
ヤニス・フィリッパケス 「そうなんだよ! これは僕じゃなくて、君の言葉だけどさ。音楽的な観点から言えば、『パート2』は完全に充電されたものだと言えるよ。前半に関しては、これまでで最もエネルギッシュで容赦のない楽曲が順番に詰め込まれていると言えると思う。2枚の関連としては、『パート1』がよりテクスチュアルでダンサブルな、周囲で起きていることを観察したような歌詞が書かれたものになっている一方で、『パート2』は走っている感じなんだ。不安だったり、偏執的な要素が入っているんだよ。『パート1』の残骸から自分自身を引き上げて、埃を振り払うようなものになっているんだ」
――ライヴでは新作からの楽曲も披露され始めていますが、“Black Bull”はフォールズがこれまでレコーディングしてきた楽曲の中でも最も力強いエネルギーが入った楽曲になっていると思います。新作からの最初の楽曲として“Black Bull”をリリースしたのには、そうした意図もあったのでしょうか?
ヤニス・フィリッパケス 「ある種、“Black Bull”はライヴでお披露目したようなところもあったからね。歌詞に関しては、男らしさについてのあらゆる不快な要素を吸い出す吸い取り紙として機能してくれるんじゃないかと思っていてね。僕は“Black Bull”や“What Went Down”のような楽曲をパフォーマンスする時に、傲慢でつけ上がったような、不快なまでに男らしさを押し出したパフォーマーのモードに入ってしまうことがあるんだけどさ。この曲については、自分をそういう姿に変えてしまう獰猛な曲の1つになってしまうんじゃないかと思ったんだよ。僕はこの曲に傷ついた不快な男らしさのエネルギーを入れ込みながら、そのエネルギーを楽曲というケージの中に閉じ込めておくための方法を探っていたんだ」
――前回インタヴューした際に「今、唯一表現できることは混沌だけだ」とおっしゃっていましが、本作で2枚を締めくくることはできたのでしょうか? もしくは、さらなる疑問が生じることになったのでしょうか?
ヤニス・フィリッパケス 「アルバムの終盤に、これらすべての楽曲にふさわしい結論を“Neptune”という楽曲が単独で担ってくれていると言えるかな。この曲は僕らがこれまでに書いた中で最もビッグな楽曲だよ。音楽的にはアルバムに適したものになっているし、シネマティックなフィナーレを迎えられるものになっている。歌詞についても、それまでに見てきたすべてを起点としたものになっているんだ」
――“Neptune”は10分を超える壮大な楽曲で、(『トータル・ライフ・フォーエヴァー』に収録されている)“Spanish Sahara”を広大に受け継ぐような楽曲になっていると思います。「Now it’s time to go / From the white wards of England / The crows line the rivers and roads(今がその時だ。カラスたちが川や道路で列をなすイングランドの白い区から出て行こう)」という歌詞が素晴らしいと思っているのですが、2019年におけるイングランドについて、どのようなことを伝えようとしているのでしょう?
ヤニス・フィリッパケス 「率直に言えば、このアルバムにおける大部分の舞台はUKに設定されているんだ。少なくとも、『パート1』ではロンドンやそこで暮らすキツネたちのイメージを多く取り入れている。この曲の冒頭の歌詞で歌われているのは、UKから出て行くことについてだよ。僕にとって、この曲は家のように感じていたあらゆる土地で経験してきた様々なステージについて歌った楽曲になっているんだけど、実際は人生をくぐり抜けていくことについての曲にもなっているんだ。この曲では死についても歌われているよ。死後のデジタル世界についての歌詞も含まれている。誰かが亡くなっても、その人のソーシャル・メディアのアカウントはそのまま残るということを興味深いと思ってね。ちょっと残忍だけど、ある意味では不死だとも言えると思うんだ。この曲は死にかけている時に、空間の中に逃げ場所を探すことについての曲なんだよ。僕がこれまでに書いた中でも最もお気に入りの歌詞の一つだね。可能な限り預言者的な歌詞にしたいと思ったんだ」
――以前、『パート1』について人類とテクノロジーの衝突や、そこから生じる思わぬ落とし穴を念頭に置いていたとおっしゃっていましたが、『パート2』はそうしたテーマをさらに突き詰めたものになっているのでしょうか?
ヤニス・フィリッパケス 「間違いなくそういうものになっていると思うよ。君がどういう意味で言っているかにもよるんだけどさ。物語的な要素が強いんだ。意図して書いたわけではないんだけど、新作に収録されている“The Runner”が前作に収録された“I’m Done With The World (& It’s Done With Me)”へのアンサーになっていることは間違いないね。燃えてしまった後で、燃え残った火の中を駆け回ることについての歌なんだ。楽観的で、物事を辛抱強く追求していくような瞬間になっている」
――つまり、ただ逃げ回っているだけではないと?
ヤニス・フィリッパケス 「その通り。進み続けなければいけないんだよ。『パート2』の後半では、もうエネルギーもなくなって、残された唯一の選択肢は立ち去ることだけだっていう想像上の光景にまでテーマが及んでいてね。そこで伝えたいのは、たとえ周囲が暗くて、心の中という内面や社会としての外界で困難に見舞われていたとしても、活動力や忍耐力は残っているはずだということなんだ。希望があるはずなんだ。“Wash Off”ではネガティヴィティに屈してはいけないということが歌われている。自分の内側や外側に付けられた鎖を振り落とすことについての曲なんだ。それは時にヘドニズム的にもなり得るし、人との関係性のなかに目的を見出そうとする試みとも言えるかもしれない。まあ、けど、ニヒリズムにまでは落とし込まないけどね」
2019年も間もなく終わりを迎えようとしており、2010年からの10年間の終焉が迫っているいるわけだが、今や地球を救うために路上で夜を明かす人々や、アニメに登場する悪役のようなアメリカの大統領、さらには分断に繋がることとなったEU離脱をめぐる不透明なUKの今後に掲げられた巨大なクエスチョン・マークによって、この10年に終止符が打たれようとしている。まだこの10年間に名前を付ける気にはなれないが、フォールズならこの10年をどのように定義するのだろうか?
「退行の10年かな、おそらくね」とヤニス・フィリッパケスは答えている。「こうなることを2010年に予測できていた人はいないと思うんだ。トランプの台頭を予見することなんて不可能だし、EUからの離脱だってそう。気候問題だって、多くの人々の頭の中にあったことかもしれないけど、それが早急に解決する必要がある問題になることは予測できなかったはずだよ。ふさわしい言葉があるかは分からないけど、言うなれば、ガッカリするような驚きに満ちた、予期せぬ10年だったね」
ジャック・ビーヴァンはよりパーソナルな視点で次のように形容している。「僕らは2010年にセカンド・アルバム『トータル・ライフ・フォーエヴァー』をリリースしているから、ほとんど全キャリアと言っても差し支えないね。僕の人生を通じて最も重要な10年だったような気がしているよ。そうやって(10年単位で)捉えるのは難しいんだけどさ。バンドにいると、2年のサイクルでアルバムを作っていくわけでさ。個人の人生についても、グループとしての活動に結びつけて、『ああ、あれは『ホーリー・ファイア』の時期に起きたんだった』っていうふうに考えるほうが簡単なんだよ」
ところで、フォールズには一連の『エヴリシング・ノット・セイヴド・ウィル・ビィ・ロスト』の活動が落ち着いた後で、アニヴァーサリー・ツアーに乗り出す予定などはあるのだろうか? 「『トータル・ライフ・フォーエヴァー』が30周年か40周年を迎えた頃にやったら、大金を稼げるかもね」とジミー・スミスは語っている。「5周年や10周年は、ちょっとあからさま過ぎるかなと思うよ」
一方で、ヤニス・フィリッパケスにはこれまでに積み上げてきたストックを使うためのより哲学的なアイディアがあるようだ。
「僕らはこの10年の間に、自分たちが心から誇りに思えるような作品を築き上げてきたわけでさ」とヤニス・フィリッパケスは語っている。「毎晩異なるアルバムを演奏するような試みなんかは、やってみてもいいかもね。すごく労力が必要だと思うけどさ。わがままに自分たちのジュースに浸かりながら、『こうやって進歩していったんだ』みたいにね。大抵、アルバムを作っている時にはそういうモードに入っているんだけど、『アンチドーツ(解毒剤)』から今に至るまでの自分たちの成長を実感できるなら最高だろうね」
「他に何もやることがなくて、自分たちの小さな生活や、自分たちが築き上げた固有のしがらみから解放されたいっていう時にやったらきっと楽しいだろうね」
2020年ももう目前に迫っているが、フォールズには来年、キャリア史上で最大規模の公演が控えている。フォールズは『パート1』を携え、比較的小規模な会場や中規模なフェスティバルといった「アンダープレイ」という業界用語で形容される控え目な公演を行ってきたわけだが、今の彼らには「巨大な屋根付きの会場」での公演が控えているのみならず、「360度の没入型の体験」を実現させるために、あらゆる演出技法や空想的なヴィジュアルが用いられることも約束されている。フォールズは2枚のアルバムの制作前にオリジナル・ベーシストであるワルター・ジャーヴァースとの友好的な別れを経験し、続く2019年のツアーは4人となったフォールズにエヴリシング・エヴリシングのジェレミー・プリチャードが加わった編成で行われれている。しかし、ジェレミー・プリチャードの参加は期間限定の契約となっていた。
――ジェレミーの参加はフォールズのツアーにどのような化学反応を起こしたのでしょうか?
ジミー・スミス 「ジェレミーはフォールズにおけるトランプだね。彼の参加は誰も予測していなかったからさ」
エドウィン・コングリーヴ 「突然、髪をクイッフにした彼がそこに現れたという感じだよ」
ヤニス・フィリッパケス 「ハハ。その通り、マシな髪型をしたトランプだね。彼はうまく溶け込んでくれたよ。ワルターがいないツアーだと、何かが欠けてしまうんじゃないかと思っていたんだけどさ。ワルターには申し訳ないけど、ジェレミーは見事にフィットしたんだ。喪失感に流す涙を減らすことができたよ」
ジミー・スミス 「実際、信じられないくらい彼はフィットしていたんだよ」
ジャック・ビーヴァン 「ジミー、君のは少し皮肉っぽく聞こえるよ」
ジミー・スミス 「彼が僕らに何をしたって言うんだい?」
ヤニス・フィリッパケス 「彼はとてもうまくやってくれたよ。彼を惜しむことになるだろうね。『パート2』のツアーには参加しないんだ。彼はあのバンドに戻らなければいけないんだよ……」
エドウィン・コングリーヴ 「いわゆる『エヴリシング・エヴリシング』にね」
――今年のマーキュリー・プライズ授賞式は例年にも増して「危険」だったという声がよく聞かれますが、こうした意見には同意ですか?
ヤニス・フィリッパケス 「パフォーマンスについて言えば、僕の知る限りこれまでで最高のものだったよ。スロータイはめちゃくちゃ素晴らしかったよね。ブラック・ミディはまさしく狂気という感じだった。今年は本当に感情が露わになっていたという感じで、政治的で有意義な年だったよ。素晴らしかったね。刺々しい牙みたいなものを感じたよ。とりわけ、スロータイがボリス・ジョンソンの人形の首を持って出てきた時なんかは特にね」
――ダブル・スタンダードの悪臭が漂う、暴力を扇動するものだとする一部の人々からの批判についてはどう思いますか?
ヤニス・フィリッパケス 「問題はそこだよね。別のほうを向けば、忌々しい右翼の野郎がお出ましっていうわけでさ……」
――もしもモリッシーが批判を受けたことのある左翼の人を隣に置いてステージで同じようなことをやったら、違った反応になっていたでしょうね……
ヤニス・フィリッパケス 「その通りだね。もしもモリッシーがそういうことをやったとしたら……『モリッシーに何が起きたんだ?』っていうさ。今の彼は単なる……」
ジミー・スミス 「兵器レベルの馬鹿だよね」
モリッシーの発言をめぐる騒動もまた、次の10年間に持ち越されそうなことの1つだ。一方で、フォールズのメッセージは音楽と永遠とも言える固い絆で結ばれている。フォールズは来月、ツアーを収めた長編の映像作品『リップ・アップ・ザ・ロード(原題)』の配信も控えている。監督を務めたのは彼らが以前所属していたトランスグレッシヴ・レコードの代表であるトビー・Lで、すべての場所で撮影する権利が与えられた彼が1年間で撮影した映像の総時間数は200時間を超えているという。
「トビーが言っていたことの1つとして、お客さんには作品を観た後でバンドを結成したいと思ってもらいたいということを言っていてね」とヤニス・フィリッパケスは語っている。とても希望が持てそうな話だが、果たして一体何のためにバンドを組むのだろうか? 『リップ・アップ・ザ・ロード』のトレイラー映像のなかで、ヤニス・フィリッパケスは次のように問いかけている。「2019年において、ミュージシャンでいることにはどんな意味があるのだろう? それ以上の目的はあるのだろうか?」
実にいい質問である。ところで、ヤニス・フィリッパケスは的確な答えを得られたのだろうか?
「この間、 ロイヤル・ナショナル・シアターに『フェイス、ホープ&チャリティ』という劇を観に行ってね」とヤニス・フィリッパケスは語っている。「イースト・ロンドンのコミュニティ・センターを舞台にした作品で、社会やコミュニティ・クワイアにおける不正や、困難な時期を過ごしている人々に焦点が当てられているんだ。彼らはホームレスか、そうでなくても厳しい状況に追い込まれてしまっているんだよ。そのなかでコーラス隊は人々が集団的な活動として望んでいる要素の1つなんだ。この劇は多くの点で忠実に描写されていて、(観客は)コミュニティ・センターに参加することもできるんだよ。劇の後半では“You’ve Got The Music In You”も披露されてね。古いレイヴの曲なんだけど、アカペラで披露されるんだ。正直、あれはとても素晴らしかったね」
「終演後に演出家(のアレクサンダー・ゼルディン)と話をしたんだけど、その時に、『人々は共に歌う時、信じがたい喜びや癒しを得られるんだ』ということを言われてね。つらいことだったり、人生におけるあらゆる困難を忘れられるんだよ。そうしたものを自分の中に生み出して、表現できるようにならなければいけないんだ」
ヤニス・フィリッパケスは次のように結論づけている。「その時に思い出したのが、表現としての音楽は人々を暗い状況から引き上げてくれるということでね。少なくとも、そういう力を持っているんだ。何世紀にもわたって人々が歌い続けてきたことには理由があるわけでさ。先祖の代から、音楽というのは表現であり、大切なものだったんだよ。政治的な情勢だったり、環境についての話をする時には、いつだって音楽のための空間があるわけでね。音楽なしの世界なんて寂しいよ」
フォールズは混沌とした状況を切り抜けてきた。ストリートにいる人々にとってもそれは同じであり、その決意は伝染していくものだ。地平線には困難が見えるかもしれないが、空はまだ燃えていない。自分自身や地球、自分の拠り所を守るのだ。まだすべてが失われたわけではない。走り続けるだけだ。
リリース詳細
フォールズ
『エヴリシング・ノット・セイヴド・ウィル・ビィ・ロスト・パート2』
FOALS
EVERYTHING NOT SAVED WILL BE LOST – PART 2
2019年10月23日発売
SICX141 ¥2400+税
1. ‘Red Desert’ レッド・デザート
2. ‘The Runner’ ザ・ランナー
3. ‘Wash Off’ ウォッシュ・オフ
4. ‘Black Bull’ ブラック・ブル
5. ‘Like Lightning’ ライク・ライトニング
6. ‘Dreaming Of’ ドリーミング・オブ
7. ‘Ikaria’ イカリア
8. ‘10,000 Ft.’ 10,000(テン・サウザンド)フィート
9. ‘Into the Surf’ イントゥ・ザ・サーフ
10. ‘Neptune’ ネプチューン
来日公演詳細
2020年3月3日(火)名古屋クラブクアトロ
OPEN 18:30/START 19:30
TICKET:¥7,500(前売・1ドリンク代別)
2020年3月4日(水)大阪・BIG CAT
OPEN 18:30/START 19:30
TICKET:¥7,500(前売・1ドリンク代別)
2020年3月5日(木)新木場スタジオコースト
OPEN 18:30/START 19:30
TICKET:¥7,500(前売・1ドリンク代別)
更なる公演の詳細は以下のサイトでご確認ください。
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