ポール・マッカートニーは、自身が1996年に設立したリバプール総合芸術大学でジャーヴィス・コッカーとのQ&Aセッションを行っている。
「舞台芸術の教育に新たなアプローチ」を提供するリバプール総合芸術大学は、一般的なものとは異なる特別な芸術教育を受けられることで知られており、きちんとした音楽教育を受けたわけではないポール・マッカートニー自身にも通ずるところがある。
現地時間7月25日に行われたセッションの中で、ポール・マッカートニーは昔ながらのレコーディングが今も最高である所以についてや、ミュージシャンたちが今「コンセプト・アルバム」に回帰するべき理由、そして、トイレこそが音楽を書くのに最もふさわしい場所だということまで、自らの知見を披露している。。
そのポール・マッカートニーならではの知見をここではご紹介する。
楽曲のレコーディングは昔ながらの方法で:「今は簡単にアイディアを保留しすぎているよ」
ジャーヴィス・コッカーから、新たなテクノロジーの発展によって自身のソングライティングの方法が変わったかと訊かれると、ポール・マッカートニーは「そうだね」と答えた上で、テクノロジーは彼に「悪影響を与えた」と指摘している。元ザ・ビートルズの大スターにとっては、昔ながらのレコーディングこそが最善のやり方らしい。
「実際のところ(テクノロジーは)影響を与えたと思うし、もしかしたら悪い意味で影響を与えたかもしれないね。なぜなら、今はいつでもレコーディングできるようになったからね。ただ携帯電話を取り出して、『これだ!』ってやればいいんだ。僕自身、そういうスケッチがいくつもあってさ……未完成のものがたくさんあるんだよ。これはいいことだとは言えないと思うんだ。テクノロジーを持っていなかった時代には、最後までやり遂げないといけなかったのに」
ポール・マッカートニーは続けて、自身とジョン・レノンがやっていた昔のレコーディング方法に言及して、昔ながらのやり方では新しいアイディアに阻まれる前に曲を早く完成させなければならなかったという。
「ジョンと僕が使っていた方法は……ただ一緒に曲のアイディアを少しずつ出しながら、それを仕上げていって、そうやって最後まで繰り返しやり続けるというものだった。そうして曲が完成するわけだけど、そういう曲のほうが、数ヶ月前に聴いていた断片や下書きの雰囲気をもう一度思い出して作ったものよりもいい曲だと思うんだ。だから、最近のは素晴らしいシステムだとは思わないな。今は簡単にアイディアを保存できるからね」
アルバムのレコーディングは生演奏で:「ワンテイクで全部やるんだよ」
ポール・マッカートニーにとって最善のレコーディング方法は、洗練されたオートチューンを用いたものではない。アルバムの持つ魂をより正確に捉えられるのは、可能な限りオリジナルな状態に近いレコーディングである。ポール・マッカートニーは9月7日にリリースされる新作『エジプト・ステーション』でもこの方法でレコーディングしている。
「アルバムの多くの曲をバンドと一緒にやったんだ……オールド・スクールだよね。重ね録りだったり、あれやこれやをやるかもしれないけど、そこには一貫して自然なものが存在しているんだ。どうしてそういう方法でやる必要があるって感じたかっていうと、ザ・ビートルズの昔の音源を聴いたからでね。ザ・ビートルズの音楽は、新鮮で、目の前でやっているかのように聴こえるんだ……アルバムには魂がこもっていたんだよ。僕らはそれをいじったりしなかったんだ」
「リヴァプールから出てきたばかりの頃に、ジョージ・マーティンと初めてレコーディング契約を結んだんだけどね……彼らは自分たちが望むように僕らに指示を出してきたんだ。彼らは僕たちよりも大人で、僕らは20代だったからね。僕らは分からなかったんだよ」
「レコーディング・スタジオで何をしたらいいのか分からなかったんだ……10時から10時半の間に準備するように言われて、チューニングして……プロデユーサーが10時30分に来てセッションが始まるんだ。そこから曲を完成させるまでに1時間30分が与えられているんだけどね。僕らは何も知らなかったから、それがプレッシャーをかけられているということに気がつかなかったんだ……それを完成させたら、もう1曲が待っているんだ」
ザ・ビートルズの楽曲が記憶に残るものになっているのは、楽譜の読み方や書き方を知らなかったから:「自分たちも覚えられないのに、どうして他の人に覚えてもらうのを期待できるんだ? って、僕たちはよく言っていたよ」
ポール・マッカートニーは学生時代に学んだことについて、音楽の授業は素晴らしいのものではなかったとし、彼の教師はレコードをかけたら教室から出て行くような先生で、生徒たちは、先生が戻るまでタバコやパーティーを楽しんでいたという。
音楽的な教育を受けていないのはザ・ビートルズのメンバーに限らず、それは1960年代に登場したブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドについても同じで、ポール・マッカートニー曰く、結果として多くの記憶に残る楽曲が書かれることになったという。
「僕たちはあらゆることを耳で学んだんだ。音楽の書き方は習ったことはなくてね。レコーディングをたくさんはやったことがないにせよ……僕たちは記憶に残る曲を書く必要があったんだ……自分たちも覚えられないのに、どうして他の人に覚えてもらうのを期待できるんだ?って、僕たちはよく言っていたよ」
「(ブリティッシュ・インヴェイジョンのグループで)楽譜の読み方や書き方を知っていたグループはいなかったと思うよ。僕らにはその必要がなかったんだ」
トイレは音楽を書くのに素晴らしい場所である。「曲を書いてるのを見られたら恥ずかしいからね」
先日、ポール・マッカートニーは「カープール・カラオケ」の企画で故郷のリヴァプールをジェームズ・コーデンと初めて訪れている。ポール・マッカートニーにとって静かな場所を探すのは難しいことだが、傑作を書き上げるのにトイレは最適な場所だという。加えて、よりよい曲を書くための持論についても語っている。
「僕はとても静かな場所に行くんだ。遠くのクローゼットやトイレだったりね。曲を書いてるのを見られたら恥ずかしいからね。人前ではやりたくないんだよ。ミスをする時は自分一人の時がいいんだ」
「何かしらの好きなコードを試し弾きしながら……それに合うリズムやテンポを選んで、それに歌を乗せてどうなるか試してみるんだ。思うに、重要なのはそれに沿ってやることなんだ。2番目のヴァースやコーラスが素晴らしいものになることも多いし、そうなってからでも最初に戻ってそれを修正できるからね……歌詞は曲を書きながら書くんだ。時には2番目のヴァースのほうがいい時もあって、その時はそれを最初のヴァースと入れ替えて、また続けていくんだ」
ケンドリック・ラマー、カニエ・ウェスト、クリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズを聴くべき
ポール・マッカートニーは、大抵はラジオで音楽を聴いていることを明かした上で、最近聴いた音楽で印象に残っている音楽について、ケンドリック・ラマー、カニエ・ウェスト、クリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズの名前を挙げている。加えて、カニエ・ウェストの『マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー』を気に入ったことが彼と仕事をすることに繋がったことについても語っている。
「今出ているものでとてもキャッチーだと思うのは、クリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズの曲だね……丸っきりマイケル・ジャクソンを真似したようにも聴こえるけど、とてもキャッチーだからそんなことは気にならないんだ」
そろそろコンセプト・アルバムの時代に戻る必要がある。「僕はテイラー・スウィフト的なやり方とは勝負できない」
ポール・マッカートニーは、ビッグなスターたちはコマーシャルなシングルに満ちたアルバムを作っているとして、最新作では「コンセプト・アルバム」を作ることに立ち返り、アルバムを聴くこととは「ヴァイヴ」や体験となるべきだとしている。一方で、テイラー・スウィフトとは競合できないということもその理由の一つだという。
「今はビヨンセやテイラー・スウィフト、ケンドリック・ラマーといった大スターたちがいるわけでね……でも、彼らの作品、とりわけ最初の2組の作品は、ある意味ではシングルを集めたようなものになっているんだ。商業的には素晴らしい曲だと思うけど、ピンク・フロイドやビートルズのアルバムがかつてそうだったようにはアルバムとして機能しないんだ」
「それで、僕はそういうテイラー・スウィフト的なやり方とは勝負できないなって思ったんだ。彼女は僕よりも生き延びる力を持っているんだよ。少しだけどね! そういうわけで、僕にできることはかつてコンセプト・アルバムと呼ばれていたものをやることだと思ったんだ。聞く人が望めば、それを通しで聴くことで、別の場所へ連れて行ってもらえるんだ。僕は新作でそれをやったのさ」
最高の音楽教育は必ずしも教室で行われていない。「きちんと学ぼうと僕も何度が試してみたんだけど、僕は全然好きになれなかったよ」
正しい学習方法ではないかもしれないが、ポール・マッカートニーは他の人たちの音楽を通して学んでいる。リヴァプールの自宅で弾いていた父親のピアノもそうだし、家に向かうスクールバスでジョージ・ハリスンとギターのコードを教え合ったことも然りだ。時には、教室の外こそが最も大切な場所になるのだ。
「僕の父親は、腕のいいアマチュア・ピアニストだったんだ。父親が弾いていたピアノは……すべて自分のものにしていたと思うな。後に父親が関節炎を患ってピアノを弾けなくなってしまったんだけど、その頃には僕が古い曲たちを弾けるようになっていたんだ……それも僕にとっての音楽の習得方法の一つだったね。他の方法としては、誕生日に父親からトランペットをもらったことがあってね……でも、父は僕に教えたがらなかったんだ。父は僕に『きちんと学んで欲しい』と思っていたんだよ。それで、きちんと学ぼうと何度が試してみたんだけど、僕は全然好きになれなかったよ」
「その後で、ギターが流行し始めたんだ。スキッフルだとか、フォークだとかね。僕らはみんな夢中になって、誰もがギターを持つようになったんだ。それで、僕も父親にトランペットをギターと交換できないか訊いてみたんだ……そうして僕もギターを手に入れることができて、ギターを持っているたくさんの友達ができて、彼らとよく話すようになったんだ。そこでジョージに出会ったんだよ。僕たちは同じ学校に通っていたんだ……僕らはお互いにコードを教え合ったりしていてね。その後で、同じことがジョンとの間にも起きたんだ」
「何が素晴らしかったというと、数年が経った頃には、例えばジョンと僕が誰かの前で何かの曲をやっていたとしたら、ジョージも自動的に僕らのことを理解していたということなんだ……ジョージは僕らがやろうとしている曲が分かるんだよ。思うに、僕らの音楽はそこから始まったんだ」
ポール・マッカートニーは続けて、ホールの快適な椅子に座っていた学生たちに向けて、自身が学生だった頃はそのような椅子がなく、硬いベンチに座っていたと語っている。隙間時間を利用して、彼は読書に興じていた……のではなく、彼はそこで読んだエルヴィス・プレスリーが表紙の『NME』を見て音楽への関心を強めたことを明かしている。
「そこの後ろのほうに座って、音楽雑誌の『NME』の冊子を持っていたんだ。エルヴィス・プレスリーの写真を見て、『すごいや!』って思ったのを覚えているよ。僕らは彼に夢中になって、彼のアルバムを聴いたんだ。それがすべてさ」
この日のセッションは、私たち『NME』にとっても素晴らしい1日になった。
ポール・マッカートニーは現地時間7月26日に故郷のリヴァプールでシークレット・ライヴを行う予定となっているほか、新たな「フレッシュン・アップ」ツアーの一環としてUKでの3公演の日程が発表されている。
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