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トム・ペティが現地時間10月2日、サンタ・モニカの病院のベッドで息を引き取った。トム・ペティによって書かれた“Free Fallin’”、“American Girl”、“Runnin’ Down A Dream”を初めとした多くの楽曲たちは、これからも人々がロックンロールのレコードを聴き続ける限り生き続けることだろう。

1950年10月20日、フロリダ州ゲインズビルでトム・ペティはこの世に生を受けた。トム・ペティが送った幼少期は、幸せな日々とは呼べないものだった。トム・ペティは後に、彼の自伝を著したワーレン・ゼーンズに対して父親から「死ぬほど殴られていた」ことを明かしている。

10歳の頃、トム・ペティは叔父に連れて行ってもらった映画『夢の渚』のセットでエルヴィス・プレスリーと出会い、握手を交わしている。自宅に戻ったトム・ペティ少年の興味は、スリングショットから7インチシングル盤へと移ることになる。トム・ペティは、13歳の頃にザ・ビートルズが『エド・サリヴァン・ショー』に出演しているのを観てバンドを結成することを決意。彼の最初のバンドはザ・エピックスと名付けられ、彼らが後にスワンプ・ロック・バンドのマッドクラッチへと変貌を遂げることになる。マッドクラッチは1975年の後半に解散している。

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ゲインズビルを飛び出すことに成功したトム・ペティは、今日までロサンゼルスを生活の拠点としていた。トム・ペティはかつて、ゲインズビルを去って数年後に書かれた“American Girl”について、次のように語っている。「アメリカン・ガールは、俺がよく書いてるキャラクターの一例だよ。外の世界にはもっとたくさんのことがあるって分かってるのに、見つけるのに苦労している小さな町の女の子のことなんだ。俺はいつも彼女にシンパシーを感じてしまうんだよ」

“American Girl”は、トム・ペティがマッドクラッチの残されたメンバーを中心に結成したバンド、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズが1976年にリリースしたデビュー・アルバム『アメリカン・ガール(Tom Petty and the Heartbreakers)』の一番最後に収録されている。本作はアメリカでは目立つ成功を収められなかったものの、イギリスで成功を収め、1976年6月16日にはBBCの「トップ・オブ・ザ・ポップス」への出演を果たして番組で“Anything That’s Rock ‘N’ Roll”を披露している。

1978年には『アメリカン・ガール』に続くアルバムとして“I Need To Know”や“Listen To Her Heart”などが収録された『ユア・ゴナ・ゲット・イット!』がリリースされることになるが、バンドのブレイクを証明したと言えるのは3作目のアルバムだろう。1979年にリリースしたサード・アルバム『破壊(Damn The Torpedoes)』はトリプル・プラチナディスクに認定され、“Refugee”、“Here Comes My Girl”、“Even The Losers”、“Don’t Do Me Like That”などの楽曲を世に放っている。

トム・ペティは1981年、ザ・ハートブレイカーズのギタリストであるマイク・キャンベルと共に元々はバンドのために書いた楽曲“Stop Draggin’ My Heart Around”を、フリートウッド・マックのスティーヴィー・ニックスのソロとしてのファースト・シングルとして提供している。楽曲には、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズも参加している。実験や他アーティストとのコラボレーションを恐れることのなかったトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズは、1985年にシングル“Don’t Come Around Here No More”をユーリズミックスのデイヴ・スチュワートと共作し、バンド本来のクラシック・ロックの作品群にサイケデリックな鋭さを加えている。

1988年には、トム・ペティはボブ・ディランやロイ・オービンソン、ELOのジェフ・リンと共にジョージ・ハリスンによって結成されたスーパーグループ、ザ・トラヴェリング・ウィルベリーズに参加している。トム・ペティがザ・トラヴェリング・ウィルベリーズの参加に至ったのは、偶然の産物だったという逸話が残されている。トム・ペティの家にギターを忘れてしまったジョージ・ハリスンが、ギターを取りに行った際にバンドの初期のセッションに参加してくれるようトム・ペティに依頼したという。トム・ペティは、ザ・ザ・トラヴェリング・ウィルベリーズの“Last Night”でリード・ヴォーカルを執っている。

ジェフ・リン、ロイ・オービンソン、ジョージ・ハリスンは、1989年にリリースされたトム・ペティのソロ・デビュー・アルバム『フル・ムーン・フィーヴァー』にも参加している。アルバムは主にトム・ペティとジェフ・リンの共作で、ジェフ・リンはその後のトム・ペティを代表することとなる楽曲“Free Fallin’”の名付け親でもある。

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トム・ペティは90年代に入って以降もヒット曲を生み出し続け、1991年リリースの『イントゥ・ザ・グレイト・ワイド・オープン』に収録された“Into The Great Wide Open’と“Learning To Fly’はトム・ペティによる往年の名曲群の仲間入りを果たしている。1993年には『グレイテスト・ヒッツ』をリリースし、新曲として収録された“Mary Jane’s Last Dance’もシングル曲として大ヒットを記録している。

トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズは世界屈指のライヴ・バンドとして世に知られている。バンドはトム・ペティが亡くなる一週間前の現地時間2017年9月25日に、彼の生前最後となったライヴを行っている。この日は、バンドの40周年を記念したワールド・ツアーのクライマックスとしてハリウッド・ボウルで3日間にわたって行われていた公演の最終日だった。バンドは例によって“American Girl’でライヴを締めくくっている。

トム・ペティは最期となった公演で、“American Girl’を披露する前に次のように観客に語りかけている。「俺たちにはもうほとんど時間は残されていないけど、ここでこの曲をやる時間は残されているんだ」

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