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過去35年間にわたってイギリス・ポップ・ミュージックの大黒柱ならびに未来への青写真として君臨し続けてきたジョージ・マイケルは、現地時間12月25日のクリスマスに穏やかに息を引き取った。享年53歳だった。マイケル・ジャクソンの軌跡を辿るかのように、ティーンエイジャーによるポップの爆発ともいうべき大成功を収めた80年代の伝説、ワム!からスタジアムを埋める成熟したソロ・キャリアへと変貌を遂げ、そのキャリアはロビー・ウィリアムスのようなミュージシャンのモデルとなり、ポップ・ミュージックにおけるあらゆる一流のシンガーたちによって目指すべきものとなった。

最後のオリジナル・スタジオ・アルバム『ペイシェンス』がリリースされてから12年もの月日が経ち、さらに近年はドラッグの所持や交通違反による彼の逮捕を綴った生々しい新聞の見出しが多くを占めることになったが、彼が今までに成し遂げてきたものが曇ることはない。最も偉大な個人のアーティストの一人として1億枚以上のアルバム・セールスを記録し、国民の意識に深く根を張ることになる曲を書き、最後まで皆に愛されるポップの象徴として彼は存在し続けていた。最後にリリースされたライヴ・アルバム『シンフォニカ』も2014年に全英チャート1位を記録している。

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ワム!がインスピレーションを与えることになった数多くのミュージシャンとは違い、ワム!は出来合いの既成のポップ・ミュージックなどではなかった。1963年にヨルゴス・キリアコス・パナイオトゥーとして、ロンドンのイースト・フィンチリーに生まれた彼は、親の愛を知らぬ幼少期を補うようにして若くしてポップ・ミュージックの頂点を目指すことになる。「褒められることはおろか、抱きしめられることすらなかった」と彼は働き詰めの両親を持った幼少期を振り返っている。10代に入ってハートフォードシャーのラドレットに家族と引越した彼はブッシー・ミーズ・スクールの学友であるアンドリュー・リッジリーとともに路上でのライヴ・パフォーマンスを行ったり、自作のポップ・ソングを書いたり、ポップ・スターダムへの道のりを計画するようになる。DJとしての活動やザ・エグゼクティブというスカ・バンドにいたことにより、二人は1981年にワム!を結成するに至る。インナーヴィジョン・レコードから”Wham Rap!(Enjoy What You Do)”や”Young Guns(Go For It!)”などのシングル曲をリリースしたことで、また1982年に「トップ・オブ・ザ・ポップス」で大きく飛躍する機会を与えられたことにより、1983年には彼らのデビュー・アルバム『ファンタスティック』はチャートの1位に躍り出ることになる。同時にアルバムからは4曲がトップ10にランクインすることになる。

若く、快楽的なポップ・リベラルとして自身を売り出し、失業問題や軍事的な緊張、過剰な自己表現などに関する社会的・政治的なメッセージを歌詞に込め、80年代のポップの頂点の座をかけて彼らはデュラン・デュランやカルチャー・クラブと競い合うことになった。しかし、チャートの頂点を獲ることになるセカンド・アルバム『メイク・イット・ビッグ』とそのリード・シングル”Wake Me Up Before You Go-Go”はそれまでのイメージとは違い、より快活なものとなっている。今では彼らの象徴となっているキャサリン・ハムネットの「CHOOSE LIFE(人生を選べ)」と書かれたTシャツを着ているのもこのリード・シングルのミュージック・ビデオである。「僕はただ、本当にエネルギッシュなポップ作品を作りたかったんだ。50年代や60年代の作品の最高の部分をすべて詰め込んで、さらにそこに僕たちの音楽的な姿勢とアプローチを融合させた、よりアップテンポで若々しいものをね」とマイケルはこの楽曲について語っている。そしてこの音楽的な姿勢によって、ワム!はポップ・スターダムの頂点へと昇り詰めることとなり、累計2500万枚のアルバム・セールスを記録し、中国でツアーを行った初めての西側のポップ・グループとなった。

しかし、後に認めることになるのだが、マイケルは徐々にワム!における自身のティーン・アイドルとしてのイメージに居心地の悪さを感じ始める。彼は女性からの黄色い声援を一身に浴びていながら、鬱、かかり続ける重圧、自身のセクシュアリティと葛藤し続け、分身を自分の代わりにステージ上に送り込んでいたのだ。1984年にはソロ・デビュー・シングルであり、弱冠17歳の時に書いた楽曲である”Careless Whisper”での130万枚以上の売り上げを記録する成功で弾みをつけ、1985年に行われたライヴ・エイドでのエルトン・ジョンと共演した”Don’t Let The Sun Go Down On Me”のパフォーマンスが喝采を浴びると、マイケルは1986年6月のウェンブリー・スタジアムでのショーを最後に、絶頂期にあったワム!を解散させる。より説得力があり洗練された大人のスタイルに移行し、ソングライターとして、プロデューサーとしてちゃんと評価されることを望んでいたのだ。

約30年の間に、オリジナル・アルバムはたったの4作しか制作されなかったにもかかわらず、マイケルのソロ・キャリアは、ワム!における華々しい成功と比べても光り輝いていた。1987年のソロ・デビュー・アルバム『フェイス』では、”I Want Your Sex”に代表される楽曲で、セクシーなジョージをはっきりとお披露目し、ワム!の全活動期間において推移させてきた売り上げに引けを取らないだけの枚数を売り上げた。より内省的なフォーク・ロックとなった1990年リリースの『リッスン・ウィズアウト・プレジュディスVol.1』は、全米では『フェイス』のセールスに及ばなったが、全英ではソロ・デビュー作の売り上げを上回る結果となった。

ソロ通算3作目となるアルバム『オールダー』では、自身の「プロフェッショナルな面における奴隷状態」に関するレーベルのソニーとの法廷闘争、1991年にロック・イン・リオで出会った、ブラジル人の衣装デザイナーである恋人アンセルモ・フェレッパの、エイズの合併症による脳出血での死別といったものに代表される、ジョージの人生における波乱の時期を記録しようとしていた。シングル曲の”Jesus To A Child”はフェレッパに捧げる楽曲であり、ジョージはアルバム全体について次のように述べている。「アンセルモへの追悼なんだ。本当に。このアルバムは彼に捧げるもので、かなり明確に男性について言及をしている。僕のファンや、たくさん僕の曲を聴いてくれていた人々に向けて、一緒に外へ飛び出そうとしている感じだったんだ」

そして1998年の4月にビヴァリー・ヒルズの公衆トイレで「わいせつ行為の現行犯で」逮捕されて、初めてジョージ・マイケルは自身がゲイであり、ダラスのビジネスマンであるケニー・ゴスと関係を持っていることを公に認めた。これは歌手としてより自由となるターニングポイントとなった。ジョージ・マイケルは抱擁してキスをする警官が登場する“Outside”のミュージックビデオでこの事件を皮肉り、彼の残りの人生のために更に自身の心を開いて大いに楽しんだのだ。また、彼は長年「人を騙している」ように感じており、逮捕についてはカミングアウトするための「自身の意識下での故意の行い」によるものとしている。そして、2006年にハムステッド・ヒースのトイレで似たような事件を起こして逮捕された際には、彼は自身のいつも通りの行いとしてこれを払いのけた。そして、特にクラスCのドラッグの所持とそれを使用した上での運転で立て続けに逮捕されてからは、マリファナの服用についての質問がインタヴューでのお決まりとなっていた。

しかし、こうしたことが一般の人々による彼と彼の音楽への愛を汚すことはなかった。反イラク戦争の楽曲“Shoot The Dog”を収録している、2004年の政治的意見を含むアルバム『ペイシェンス』は400万枚を売り上げ、オーケストラを起用し、彼の最後の作品となった2014年発表のライヴ・アルバム『シンフォニカ』も同様にイギリスで1位を獲得した。2006年には自身の全キャリアを総括したベスト盤『トゥウェンティー・ファイヴ』をリリースし、「ザ・25・ライヴ・ツアー」を行っている。当時は新しいウェンブリー・スタジアムがオープンしたばかりであり、ジョージ・マイケルがアーティストとして最初のライヴを行っている。また、このツアーは2006年から2007年にかけて行われた中で、最も商業的に成功したものとされている。

しかし、ジョージ・マイケルはここ数年は自身の体調不良に悩まされていた。2011年には肺炎によって昏睡状態に陥り、延命のための気管切開を余儀なくされ、ウィーンの病院に1ヶ月入院していた。2013年にはイングランドの高速道路を走っていた車から転落し、頭を怪我して入院することになった。クリスマスの日にオックスフォードシャーのゴーリング・オン・テムズの自宅で亡くなった彼の死因は心不全と考えられると彼のマネージャーは語っている。彼のこの季節の世界的なヒット曲 “Last Christmas”の名声を考えると、この死は悲劇的なほどに皮肉的なものとなった。この自身の衰えに立ち向かったポップ・スターへの追悼の意を表明し、2016年の悲しみを送り出すためにもその楽曲が聴かれることになるだろう。

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