イギリスでは1966年8月5日に、アメリカではその3日後にリリースされ、発売から50年が経過した『リボルバー』は、ザ・ビートルズ最高傑作との呼び声も高いアルバムであり、事実として収録曲がすべて素晴らしいことを我々は知っている。しかし、これは本当にとんでもない1枚だ。このザ・ビートルズとして通算7枚目のスタジオ・アルバムではバンドの創造性とインスピレーションが大きく高まり、ドラッグの体験や東洋への関心が展開されている。それでは、おそらくあなたも知らないかもしれないザ・ビートルズ『リボルバー』のトリビア20選がこちらだ。
1. アルバムのアートワーク
このアルバムのアートワークを担当したのは、ハンブルグで活動していた頃にザ・ビートルズと知り合った友人であるクラウス・フォアマンで、このイラストは彼が記憶を頼りにメンバーを描いたものだ。後に、彼はマンフレッド・マンのベーシストとして活動した。
2. アートワークの報酬
このイラストの対価として、クラウス・フォアマンは40ポンド(現在のレートで約5000円)を受け取った。なお、このアートワークはグラミー賞でベスト・デザイン賞を受賞している。
3. “Yellow Submarine”のコーラス
“Yellow Submarine”では、バックコーラスとしてクレジットには名前が載っていないが、ザ・ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズやシンガーソングライターのドノヴァン、ジョージ・ハリスンの最初の妻だったモデルのパティ・ボイド、ミック・ジャガーの恋人だったあの偉大なマリアンヌ・フェイスフル(写真)など、すごいメンバーが参加していた。
4. カモメのサウンドの正体
このアルバムに収録されているおかしなサウンドの1つとして、“Tomorrow Never Knows”のカモメの鳴き声が挙げられる。ところが、あの独特な音は海辺へ行って録音されたものではなく、ポール・マッカートニーの笑い声にディストーションを掛けた音だ。何とも革新的だよね?
5. 『リボルバー』の曲がライヴで演奏されなかった理由
『リボルバー』はザ・ビートルズとしての最後のライヴになった1966年8月のアメリカ公演の直前にリリースされたにもかかわらず、収録曲はどれもライヴで演奏されることはなかった。その理由は? 演奏するのがちょっと難しかったという。しまったな。
6. レコーディング時の契約
ザ・ビートルズは、レーベルのEMIとの契約を『リボルバー』の制作中に終了している。つまり、実はこのアルバムのレコーディング時に彼らは契約下にはなかったということだ。新たに契約を結んだのは1967年に入ってからなので、彼らは『リボルバー』をレーベルにタダで提供したといっても過言ではない。公平のために言っておくと、EMIはレコーディング・セッションの費用を出している。しかし、バンドとしてはアメリカでのレコーディングを希望していたものの、その代わりにEMIの所有するロンドンのアビー・ロード・スタジオで我慢しなければならなかった。
7. アルバムのタイトル候補
このアルバムの名称は、元々『アブラカダブラ』だったが、リンゴ・スターはザ・ローリング・ストーンズの『アフターマス』に倣って『アフター・ジオグラフィ』にしようと提案していた。他のタイトル案としては、『ペンデュラムズ』、『ファットマン・アンド・ボビー』、『マジック・サークル』、『フォー・サイズ・オブ・ザ・サークル』、『フォー・サイズ・オブ・ザ・エターナル・トライアングル』などが挙がっていた。ああ、それと『ビートルズ・オン・サファリ』もお忘れなく。
8.唯一の3分台の楽曲は?
このアルバムは、1曲しか3分以上の楽曲がなかった―それもちょうど3分で。“I’m Only Sleeping”が3分00秒で、唯一の3分台の楽曲となっている。
9. 多くの時間を費やした楽曲
バンドは、デビュー・アルバムである1963年の『プリーズ・プリーズ・ミー』全体に費やしたよりも長い時間を“Yellow Submarine”1曲に費やした。
10. それでも短いレコーディング期間
以上のことにもかかわらず、彼らはこのアルバムを超特急で仕上げた。1966年の4月6日から6月21日の間にレコーディングが行われ、それからたった6週間強でUKでリリースされている。極めて速い。
11. あの人の“Yellow Submarine”へのレヴュー
『ディスク・アンド・ミュージック・エコー・マガジン』でこのアルバムをレヴューしたザ・キンクスのレイ・デイヴィスは、“Yellow Submarine”について「正直言ってまったくのゴミだね」と評している。
12. アルバムから唯一リリースされたシングル
また別の“Yellow Submarine”の事実。たった1枚のシングルがこのアルバムからリリースされている。“Eleanor Rigby”と“Yellow Submarine”の両A面シングルで、これらの楽曲は同日アルバム収録曲としてもお目見えした。
13. “Eleanor Rigby”のストリングスをインスパイアしたのは?
プロデューサーのジョージ・マーティンは“Eleanor Rigby”のための弦楽のヒントをフランスのヌーヴェル・ヴァーグの監督、フランソワ・トリュフォーの映画の音楽から得ている。
14. “Eleanor Rigby”の珍しい特徴
もう1つの“Eleanor Rigby”に関する事実。ビートルズの4人全員がこの曲の歌詞に貢献している。これは、すべてのよきビートルズ・ファンが知っていることだが、とてもとても珍しいことだ。
15. 神も愛したアルバム?
神様は、このアルバムの強力なファンの1人だった。まあ、そう言えるんじゃないかな。2010年、このアルバムはヴァチカンの公式新聞『オッセルヴァトーレ・ロマーノ』のベスト・ポップ・アルバムに選ばれた。
16. ジョン・レノンのイメージを具現化するために
宗教の話と言えば、ジョン・レノンは、ダライ・ラマが丘の上から詠唱しているような感じにしたいと“Tomorrow Never Knows”について語っていた。ジョン・レノンをチベットに飛ばす代わりに、エンジニアのジェフ・エメリックは、レスリー・スピーカー(回転スピーカー)と自動ダブル・トラッキングの技術を使って――この時初めて使われたー―ジョン・レノンの声を録音している。
17. “Tomorrow Never Knows”の歌詞の原点
さらにチベットと言えば、“Tomorrow Never Knows”の歌詞はドラッグの先駆者ティモシー・リアリー、リチャード・アルパート、ラルフ・メッツナーの著書『サイケデリック・エクスペリエンス:ア・マニュアル・ベースド・オン・ザ・チベティアン・ブック・オヴ・ザ・デッド』を基にしている。同書は『チベット死者の書』を基に書かれている。
18. “She Said She Said”の歌詞の原点
“She Said She Said”はジョン・レノンが前年、ザ・バーズのデヴィッド・クロスビー、ロジャー・マッギンと行ったドラッグ体験を基にしていて、おそらくちょっと笑える話だろう。
19. “Doctor Robert”は実在する
“Doctor Robert”は、マンハッタン在住のセレブな医師、ドクター・ロバート・フレイマンについての歌で、彼は有名人のクライアントにビタミンB12の注射を相当な迅速さで投与することで知られていた。
20. 逆回転での最高のギターソロ
“I’m Only Sleeping”と“Tomorrow Never Knows”は共に逆回転レコーディングの技術を使っていて、前者には最高のギター・ソロが含まれている。
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