StoneRoses-First

アルバムの素晴らしさは影響を与えた世代の数ではかることができるかもしれない。その点でザ・ストーン・ローゼズのデビュー・アルバムはリリース以来、何度も人気が再燃している作品だ。最も突出していたのはブリットポップの頃で、このカルチャー・ムーヴメントはかつてザ・ストーン・ローゼズが牽引していたバギー・シーンの特徴である、ポップでポジティブなサウンドがなければ存在し得なかっただろう。ブリットポップの旗手には多彩なアーティストが揃っており、ギャラガー兄弟やデーモン・アルバーンなどは皆、音楽に関心を持ったきっかけとしてザ・ストーン・ローゼズを挙げている。しかし、アルバム『ザ・ストーン・ローゼズ(邦題:石と薔薇)』はもっと広範囲にも息づいている。意識的にせよ、そうでないにせよ、ロックとダンス・ミュージックの融合を志したバンドはどれもザ・ストーン・ローゼズが80年代にやったことをなぞっているのだ。ジョン・スクワイア、レニ、マニは皆、各楽器の達人で、造作もなさそうにジャンルを大胆に衝突させている。

しかし、実際のところ、このアルバムの最も色褪せない部分は歌詞だ。イアン・ブラウンはヴォーカルの能力としては問題をたくさん抱えていたが、その歌詞に関しては大作家をこき下ろすようだった。ここで重要になるのはムードとメッセージで、イアン・ブラウンとジョン・スクワイアは過小評価されている哲学者だ。偉大な曲とは時と場所を問わずに心を打つ真意を含んでいるものが多い。なぜなら、人間というものの普遍的なことを歌っているからだ。パルプの“Common People”しかり、LCDサウンドシステムの“All My Friends”しかり、ブルース・スプリングスティーンの“Born To Run”しかりだ。本作はそういった曲が11曲集まったアルバムである。楽観と希望が最上の形で君臨している。

アートワーク

ザ・ストーン・ローゼズがジャクソン・ポロックを好んでいたことは、デビュー・アルバムがリリースされる前からよく知られていた。このアルバムより以前にリリースされている2枚のシングル、1988年10月リリースの“Elephant Stone”、1989年2月リリースの“Made Of Stone”はどちらもB面(それぞれ“Full Fathom Five”と“Going Down”)に、このアメリカ人アーティストが歌詞に登場し、ポロックにインスパイアされたアートワークをジョン・スクワイアが手掛けている。デビュー・アルバムでは、1968年にパリで起きた「5月革命」を題材にした“Bye Bye Badman”と題されたアートワークをジョン・スクワイアが制作している。フランスの国旗があるのはそういった理由だ。ではレモンはどういう意味なのか? イアン・ブラウンはこう説明している。「パリで65歳の男性に会った時、レモンを絞れば催涙ガスの効果を打ち消すことができるって聞いたんだ。その男性は今でもフランス政府をいつの日か倒せると思っている。彼は1968年にずっといて、それがすべてなんだ。だから、彼はいつもレモンを持っていて、最前線で人助けができると思っている。65歳だよ――なんて素晴らしい姿勢なんだ」

歌詞

アルバム全体を通して、イアン・ブラウンは柔らかなトーンで多彩な内容の歌詞を歌った。例えば王室への怒り(「It’s curtains for you, Elizabeth my dear(幕引きするのは君だろ、可愛いエリザベス)」)、政府への怒り(「Every member of parliament trips on glue(国会議員はみんな接着剤の上でコケる)」)、冒涜的な尊大さ(「I am the resurrection and I am the light(俺こそが再来であり、俺が光なんだ)」)、才能ある若者の手のつけられないような楽観主義(「Sometimes I fantasise, when the streets are cold and lonely and the cars they burn below me(街の通りが冷たくひっそりと静まって、眼窩の車が燃えている時、時折空想にふけってみせる)」)。これらは心を高揚させ、物の見方を変えてくれるアンセムだ。なかでも一番の歌詞は“She Bangs The Drums”の一節、「The past was yours but the future’s mine(過去はあなたのものだが、未来は俺のもの)」だろう。若者でこうじゃなかったらそれは間違いだ。

スタジオ

ザ・ストーン・ローゼズにまつわる神話の1つが、彼らの成功は何もないところから突如現れたというものだ。しかし、バンドは1983年に結成されており、デビューの6年前だ。それから長い間、様々なサウンド、ラインナップ、バンドの名前を試すプロセスを経てのデビューである。彼らの成し遂げたことで単純だったことは一つもない。同じことはアルバムをレコーディングしたスタジオ選びにも言える。このアルバムは1988年6月から1989年2月の間に制作されたが、スタジオはストックポートのココナッツ・グローヴ・スタジオ、ロンドンのバッテリー・スタジオとコンク・スタジオ、さらにウェールズのロックフィールド・スタジオと広範囲に及ぶ。プロデューサーはずっとジョン・レッキーで、過去にジョン・レノン/プラスティック・オノ・バンドを手がけたほか、ピンク・フロイドの『おせっかい』や、マガジンの『リアル・ライフ』もプロデュースしていた。彼はザ・ストーン・ローゼズを「リハーサルをすごくよくやる」バンドで、「たくさんのことをやろうと」一生懸命だったと説明している。

レコーディング・セッション

レコーディングの初日、レニが遅れて来て、スタジオを必要な時間使うために彼はプロデューサーのジョン・レッキーから10ポンド(約1600円)借りなければならなかった。それでもジョン・レッキーはこのバンドにポジティブな印象を持っていた。「彼らはまったくビビっていなかった。僕が注目するのはバンドとして演奏がどうかということ。それが僕のやり方だった。リアルにね。彼らは演奏し、僕はそれを録音する。そしてオーヴァー・ダブやダブル・トラッキングで何回でもいろいろ工夫してすべてを高める。アレンジも手を加える必要はあるけど、それもあくまでレコーディングのプロセスの一部だ。彼らは、ファースト・アルバムを制作中で、良いものを作るチャンスをモノにしたいということ以外、何もプレッシャーを感じていないようだった。自分たちの力を証明しなきゃというプレッシャーはなかったんだ。彼らは自分たちがいいバンドだと分かってたのさ」

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