忠告:この記事を読むとイーグル・アイ・チェリーの“Save Tonight”があなたの頭の中で永遠に鳴り続けることになる。『NME』では90年代の輝かしき一発屋16組を追跡し、今どうしているのか突き止めてみた。その楽曲と共にあの頃のことを思い出してほしい。
レッドネックス“Cotton Eyed Joe”
彼らはどこから来て、どこへ行ってしまったのか? 答えは、彼らはアメリカ出身ではなく、「スウェーデン」出身で、2007年にバンドごとイーベイで身売りした。覚えてるでしょう! それ以降、痕跡は途絶えている、憐れな偽物のレッドネックのおバカさん。
リサ・ローブ “Stay”
彼女はどこからともなくそのナナ・ムスクーリ風のメガネと共に現れ――映画『リアリティ・バイツ』のお陰だ――その後姿を消したが、誰もが“Stay”のことは覚えているだろう。あのやり過ぎな1990年代のバラードは他の無数のやり過ぎなバラードの発端となった(例えば、ナタリー・インブルーリアの“Torn”)。現在のリサ・ローブはというと、『ディスアポインティング・パンケーキ・アンド・アザー・ザニー・ソングスという子供向けのソングブックを出版している。
バビロン・ズー “Spaceman”
リーバイスのCMの呪いは置いておこう。バビロン・ズーもまた、名声という成層圏へ押し上げられ、残りの材料(そして、実際のレコードの残りの曲)が大したことないと分かると、結局地面に墜落してしまう部類だった。ヤス・マンは今、映画配給会社のオーナーとして成功している。
ステレオMCs “Connected”
2002年の“Connected”の後、ステレオMCsは10年以上姿が見えなくなった。レコード購買者たちは、彼らはどうしちゃったんだろうと思っていたはずだ。2005年あたりから散発的にアルバムをリリースしている。そしてあろうことか、2011年には“Boy”というシングル曲をジェイミー・カラムとレコーディングしていたりもする。
ソウル・アサイラム “Runaway Train”
彼らが現在、コールセンターで働いているという事実を誰もウィキペディアで触れていない。デイヴ・パーナーがそうしているとは言っていない。だが、1992年のどでかい成功の後、デイヴは地球の表面から落っこちてしまったかに見える。ホールド・ステディの1枚のレコードでバック・ヴォーカルをやっているくらいだろう。どこに行ったんだいデイヴ? 実際には今年3月に通算11作目となるアルバム『チェンジ・オブ・フォーチュン』をリリースしている。
セミソニック “Closing Time”
“Closing Time”は、この大人しい名前のバンドの1990年代後半のスマッシュ・ヒットだった(その後にマイナーヒット“Secret Smile”があったのだが、明らかにこの曲名にはあるぶしつけなダブル・ミーニングがあった)。それ以来、リード・シンガーのダン・ウィルソンはグラミー賞受賞ソングライターになって、テイラー・スウィフト、アデル、ウィーザー、ピンク、ナズのヒットの助っ人となっている。これにはビックリ!
ジョーン・オズボーン “One Of Us”
「神が私たちのうちの1人だったらどうなるかしら?」と1995年に訊いたミス・オズボーンは明らかに新約聖書を読んだことがない。ジョーン・オズボーンは現在、リズム・アンド・ブルースのバンド、トリガー・ハッピーのメンバーで、2013年には、通算7作目のソロ・アルバムでグラミー賞のブルース部門にノミネートされている。
イーグル・アイ・チェリー “Save Tonight”
イーグル・アイは4.0の視力を持っている(鷲の最適の視力と推定されている)だけでなく、気高い音楽家の血筋に生まれ、ジャズのレジェンドのドン・チェリーの息子にしてネナ・チェリーの義理の弟だ。ミスター・イーグル・アイとは“Save Tonight”のことであり、同曲は2014年10月に米国のラジオで400万回かかったことで賞を受賞した。大したものだ。
コーナーショップ “Brimful Of Asha”
ファットボーイ・スリムのリミックスを考えれば、“Brimful Of Asha”は1997年のサプライズNo.1の大ヒット曲だ。その後コーナーショップの2人は注目されてはいないが、すばらしい曲を作っている。そして、最近オーケストラ演奏の映画スタイルでデビュー作『ホールド・オン・イット・ハーツ』をリメイクした『ホールド・オン・イッツ・イージー』をリリースしている。
ブラインド・メロン “No Rain”
ブラインド・メロンは1993年全能の神だった。“No Rain”のミュージック・ビデオに出てきた“ミツバチの少女”でさえその年のMTVのビデオ・ミュージック・アウォーズ(VMA)をリトルダンスで締めくくっている。そのミツバチの少女、ヘザー・デローチは最近Facebookで約3,500人にフォローされている。一方、リード・ヴォーカルのシャノン・フーンは幸運な人生ではなかった。1995年にコカインの過剰摂取で逝去している。
ディー・ライト “Groove Is In The Heart”
“Groove Is In The Heart”はオーストラリアではチャート1位を獲得。イギリスでは2位、カナダでは3位、そしてアメリカでは4位を獲得している(その他の国でもかなり上位に食い込んでいる)。レディ・ミス・キアーはロンドンに移り、レコード・プロデューサーとなった。一方、ブーツィー・コリンズは、“Groove Is In The Heart”に参加しているが、相変わらずブーツィー・コリンズのままだ。
スキャットマン・ジョン “Scatman (Ski Ba Bop Ba Dop Bop)”
“Scatman (Ski Ba Bop Ba Dop Bop)”はスキャットマン・ジョン(本名:ジョン・ポール・ラーキン)が90年代半ばに大ヒットを飛ばした曲である。いわゆるジャズの歌唱法スキャットをベースにしたことを意味しているが、それ以上ニッチさはなく、少々うんざりする現代版である。不幸にも1999年にLAの自宅で肺がんのため亡くなっている。
ニュー・ラディカルズ “You Get What You Give”
“You Get What You Give”はミレニアム前最後の大々的なヒット曲である。ニュー・ラディカルズの最高の楽曲で、バンドリーダーのグレッグ・アレクサンダーはその後バンドを解散することを決意している。ホテルからホテルへ移動し、各地を転々する生活は彼には性が合わなかったという。現在、グレッグ・アレクサンダーはサンタナなど、他のアーティストのためにヒット曲を書いたりプロデュースをしたりしている。
ゲイ・ダッド “To Earth With Love”
“To Earth With Love”は1998年の派手な宣伝のおかげで、トップ10入りしたヒット曲da。その次の“Joy”はトップ20にも入らなかったが、後に車のCMに使用され、ヴォーカルのクリフ・ジョーンズはかなりの財産を手に入れた。最近クリフ・ジョーンズは『タイムズ』紙に執筆(ゲイ・ダッドの結成前は、名の知れた音楽ジャーナリストだった)しており、アイヴァー・ノヴェロ・アウォードで審査員を務めている。
ザ・レンブランツ “I’ll Be There For You”
生まれてからずっと地下室で隠れて過ごしていない限り、この曲を知っているだろう。TVドラマ「フレンズ」のテーマソングとして使われていた。ザ・レンブランツはそのテーマソングをレコーディングした時には、すでに音楽業界ではベテランだった。今でも活動を続けている!
チャンバワンバ “Tubthumping”
アナーキストのポップ共同体、チャンバワンバは1997年に“Tubthumping”でアメリカとヨーロッパでヒットを記録した際、自分たちのファン層の多くを思いがけず失った。売れ線に転向したと思ったからだ。チャンバワンバは1998年に当時のイギリスの副首相ジョン・プレスコットにバケツ一杯の冷たい水を浴びせたことで知られている。だが、アメリカの言語学者ノーム・チョムスキーとアナログ7インチのダブルCDを発売したのはそれほど有名ではない。2012年にバンドは解散している。
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