Photo: Leon Neal

フジロックフェスティバル ‘23で7月29日土曜日のヘッドライナーを務める新体制のフー・ファイターズのライヴを一足先に観ることができた。足を運んだのはロック・アム・リングというドイツのニュルブルクで毎年開催されているフェスティバルで、新たなラインナップになったバンドにとってはヨーロッパでやる初めてのライヴだった。加えて、ライヴ当日は通算11作目となる最新作『バット・ヒア・ウィ・アー』のリリース日でもあり、新たな船出という意味では出来すぎなくらいのシチュエーションだったかもしれない。

ロック・アム・リングは1日7万人以上の観客が訪れるドイツ最大のフェスティバルだが、その中でも一際、多くの観客を集めていたのがフー・ファイターズだった。かつてはF1のレース会場だったというフィールドを人の波が埋め尽くし、関係者の集まるピット棟からはそれまでとは桁違いの数の人々が身を乗り出している。それは3日間のフェスティバルを通しても異常な熱気に包まれていた光景だった。そこで、ふと頭をよぎったのはこれまでのキャリアでデイヴ・グロールが見せてきた様々な表情だ。ミュージック・ビデオでユーモアたっぷりに見せるオチャメなアメリカ人の顔、ロックの偉人へのリスペクトをてらいなく語るロック少年の顔、鬼気迫るようにキットの上からグルーヴを生み出すロック界屈指のドラマーとしての顔、なんでフー・ファイターズのライヴにはこれだけの人が惹きつけられるのだろう。

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ライヴはその後のグラストンベリー・フェスティバルなどと同じく(※写真はグラストンベリー・フェスティバルのもの)、2002年発表の『ワン・バイ・ワン』に収録されている“All My Life”から始まった。当然のことながら、気になるのはテイラー・ホーキンスに代わってドラマーを務めるジョシュ・フリーズだろう。はっきりと言えば、この1曲目の時点で明らかだったのだが、ジョシュ・フリーズのドラムはテイラー・ホーキンスのそれとはまったく違った。テイラー・ホーキンスのドラムにあった軽やかさやしなやかさはジョシュ・フリーズにはない。代わりにジョシュ・フリーズのドラムにあるのは重みと溜めとパワーだ。そんなアドバンテージを生かして、間奏でタム回しに入ると、そのヘヴィさをきっかけにバンドはジャムのような展開を披露していく。言うまでもないけれど、テイラー・ホーキンスの後釜を務めるなんていうのは、世界中のどんなドラマーにとっても重荷でしかない。しかし、それを少しでも軽減するようにバンドは最大限の誠意をもって迎え入れようとしている。その姿勢が端的にあらわれていたのがこのジャムだった。

次に披露されたのは2021年発表の『メディスン・アット・ミッドナイト』に収録の“No Son of Mine”で、ジョシュ・フリーズとの相性の良さが浮かび上がる。ストレートなビートで突き進んでいくヘヴィな楽曲だが、重戦車のようなジョシュ・フリーズのビートの魅力がしっかりと生かされている。途中ではブラック・サバスの“Paranoid”のリフなんかも挟みながら、フロントマンのデイヴ・グロールはステージを右へ左へと楽しそうに駆け回っている。新体制のフー・ファイターズでもう一つ驚かされたのがこの点だった。悲壮感や湿っぽさがまったくないのだ。昨年3月にバンドを襲った悲劇を考えれば、そうした面が出てきてもおかしくはない。しかし、自暴自棄になるわけでもなければ、開き直るわけでもなく、全力でデイヴ・グロールは正面からロック・コンサートを展開していく。

新作からの“Rescued”を挟んで早くも“The Pretender”が投下されると、ライヴのギアは一段と上がっていく。“Learn to Fly”、“Times Like These”、25年を超えるキャリアの中でライヴという現場では欠かすことのできない名曲の数々をフー・ファイターズは生み出してきた。“Times Like These”はデイヴ・グロールの弾き語りから始まり、そこにバンドがなだれ込んでいく。そして、この頃には確かにテイラー・ホーキンスのサウンドとは違うものの、フー・ファイターズのサウンドとしてジョシュ・フリーズのドラムに馴染み始めている自分がいる。ディーヴォの“Whip It”やナイン・インチ・ネイルズの“March of the Pigs”など、これまでジョシュ・フリーズが参加してきたアーティストをカヴァーするセクションでも、フー・ファイターズがバンドとして一新されたという思いを強くする。

“Times Like These”と同じく、序盤は弾き語りで披露された“My Hero”は埋め尽くす人の波から湧き上がるシンガロングに圧倒されたし、ファースト・アルバムに収録の“This Is a Call”ではハンドクラップの中で、このバンドが始まった時のもう一つの悲劇が頭をかすめる。『メディスン・アット・ミッドナイト』からの“Shame Shame”でデイヴ・グロールの娘であるヴァイオレットが登場するという微笑ましい見せ場もありながら、ライヴはクライマックスへと近づいていく。

Photo: Joseph Okpako

新作『バット・ヒア・ウィ・アー』に収録されている“Aurora”をテイラー・ホーキンスに捧げながら、最後に演奏されたのは“Monkey Wrench”、“Best of You”、“Everlong”という3連発だった。愚直なまでにバンドであること、ライヴ・バンドであることを追求してきたフー・ファイターズだからこそ感じられるロックとしての高揚感、それは昨今のシーンではすっかり珍しくなったものだ。でも、彼らはその灯火を下ろすことはない。誰も予想もしていなかった喪失を再び経験しても、何が起ころうとも、フー・ファイターズが守り続けてきたのはこの高揚感に他ならないからだ。

その上で序盤の問いに立ち返ってみたい。なんでフー・ファイターズのライヴにはこれだけの人が惹きつけられるのだろう。この日、フィールドにいる様々な人の表情を見ながら思ったのは、フー・ファイターズというバンドが歴史から逃れられないからではないだろうか、ということだった。カート・コバーンという時代の声を失ったところから始まったこのバンドは歴史に刻まれることが運命づけられた存在だった。だからこそ、デイヴ・グロールはそうした自分の立ち位置を踏まえながら、あくまでロック・バンドであることにこだわり続けた。そうすることで歴史は紡がれ、ロックが新たなリスナーへと繋がれていく。その事実は欧米では観客にも広く理解されている。一過性のバンドとは違って、フー・ファイターズのサウンドにある必然性とはそこから来ているのだと思う。そして、彼らはテイラー・ホーキンスが亡くなった後も今までと変わらない使命を抱えながら苗場にやってくる。あの興奮を楽しみに今年のフジロックフェスティバルを待ちたいと思う。

Photo: GETTY

セットリスト

All My Life
No Son of Mine
Rescued
The Pretender
Walk
Learn to Fly
Times Like These
Under You
Breakout
The Sky Is a Neighborhood
Whip It / March of the Pigs
My Hero
This Is a Call
Nothing at All
Shame Shame
These Days
Aurora
Monkey Wrench
Best of You
Everlong

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