GETTY

Photo: GETTY

「たぶん期限切れになったんだよ」と、今年の初めにスラッシュはスウェーデンのテレビ局「アフトンブラーデットTV」で語った。彼が言及しているのは、もちろん以前所属していたバンド、ガンズ・アンド・ローゼズの仲間で、20年近くも激しく憎みあってきたアクセル・ローズのことだ。

この20年という歳月の間にアクセル・ローズは何とでもできたはずだが、楽屋とステージの間をつらい思いをして3時間も(遠回りして)歩く行為なんかよりは、今回のことはよっぽど大きな一歩だ。ファンも再結成の可能性にドキドキしているだろう。アクセル・ローズとスラッシュは長い間不仲の状態だった。和解に至るまでの経緯を振り返ってみたい。

大きな確執

評判の良くなかったカヴァー・アルバム『スパゲッティ・インシデント』の後、バンドが停滞していた1996年にスラッシュは脱退している。スラッシュとアクセル・ローズの間に音楽的な考えでの対立があったのではないかとの噂が広まったが、2007年のスラッシュの自伝によると、脱退の主な原因は、メンバーに対するアクセル・ローズの横暴な態度だったという。当時、イジー・ストラドリン、スティーヴン・アドラーと脱退が続いたことを受け、アクセルは残ったメンバーに契約書へのサインを要求した。スラッシュはこの時、「雇われメンバー」のように感じたという。アクセルは一時期、バンド名の独占的所有権をも主張していたようだ。またスラッシュは多くの人と同じように、予定より何時間も長くバンドに演奏させ続けるアクセルに対しても相当頭に来ていたらしい。

「バンドを去るのは別に俺じゃなくても良かったんだ」とスラッシュは2012年にピアース・モーガンに語っている。「今、アクセルが率いている新生ガンズ・アンド・ローゼズと俺の間に確執はないよ。新しいバンドに加入するかっていう契約書を渡された時は、決めるまで丸1日くらいかかったけど、ここが引き際だと思ったんだ」

マイケル・ジャクソンとの関係

ガンズ・アンド・ローゼズの元マネージャーであるダグ・ゴールドスタインによれば、2人の不仲の原因は実はマイケル・ジャクソンだという。「1991年にツアーをやっていた時、スラッシュが私のオフィスに来て、『マイケル・ジャクソンのトリビュート・コンサートで演奏することになったから明日はいない』と言ってきたんだ」と、ブラジル版『ローリング・ストーン』誌にダグ・ゴールドスタインは語っている。「アクセルは2歳の時に父親から性的虐待を受けていて、アイツはマイケルを有罪だと思っているからやめとけって僕は止めたんだよ」。しかし、スラッシュはマイケル・ジャクソンと一緒にステージに立ち、“Black or White”と“Give It To Me”を演奏した。「(アクセルは)スラッシュが自分の味方で、虐待には絶対反対だと思っていたはずだ」とダグ・ゴールドスタインは続けている。「アクセルにとって虐待は許せないことだ。ドラッグやアルコールは無視できても、児童虐待だけは絶対に無視できなかったみたいなんだよね」

アクセルには他にも、自分の創造力を抑えられたとしてスラッシュを非難する出来事がある。「(スラッシュは)ガンなんだ。取り除いて避けておいた方がいい。アイツとアイツの味方の言うことに耳を貸しちゃダメだ」とアクセルは『スピン』に語り、さらにスラッシュとダフ・マッケイガンに関しては、こう続けている。「作詞家としての俺の能力を傷つけたんだ。『ユーズ・ユア・イリュージョン』ツアー当時は、スラッシュとダフに負け犬扱いされたよ。俺はもう何年も作詞をしていない。長い間邪魔されていた気分だよ」。誰も予想していなかったことが起きるという意味を持つ『チャイニーズ・デモクラシー』のリリースまで実に15年もかかっている。

膠着状態

2人は以後何年も口をきかず、共作した曲について訊かれても言葉を交わすことはなかった。「アイツは俺のことが大嫌いなんだ」と当時のスラッシュは話す。「俺にもよく分からない、いろいろなことで揉めるんだ。俺たち2人にコミュニケーションはない。俺はダフやスティーヴンとは話すけど、昔のガンズ・アンド・ローゼズのことになると、決定を下せるやつはいないね」。アクセル・ローズは、ガンズ・アンド・ローゼズのライヴに来るファンがスラッシュのTシャツを着て会場に入ることを禁止しようとした。2人の確執は次第に厄介なものになっていき、「解散するかどうかにかなり注目が集まってた」とスラッシュは『エスクァイア』誌に語る。「それがとてつもない大きなモンスターとなって、やたらと敵意ばかりが取りざたされてひとり歩きしたんだが、俺としてはそこが問題だったわけじゃないんだ。別にお互いわけもなく喉をかっ裂いてやりたいと思ってるわけじゃないんだから。今の気分としてはもう水に流したいところだよ」

アクセルの方は、この件に関してさらに淡泊だ。「はっきりしてるのは、再結成する前に俺たちのどちらかが先に死ぬってことだ」と2009年に話している。

自伝

ガンズ・アンド・ローゼズのメンバーによって出版された何冊かの自伝本によって、アクセル・ローズは憤慨し、この対立における自分の位置を明確にするために2013年に公式の声明を出している。「前にも言った通り、1991年のツアーはするべきではなかった」と彼は説明している。「これは当時のマネージャーであるアラン・ニヴェンとスラッシュに大いに関係があるんだ。俺の考えでは、アランは金もうけがしたくて、スラッシュは当時の俺の状況を考えると、俺を上回るためにツアーがしたかったんだと思う。俺の安全や健康は眼中になかったんだよ」

ロックの殿堂 事件

ロックンロール・ホール・オブ・フェイムのように古傷を開くものは他に何もないだろう。ガンズ・アンド・ローゼズが2012年の式典に呼ばれた際に、誰が出席するのか、再結成したオリジナル・メンバーで演奏するのか,、という推測が広まっていた。スラッシュはこれについて懐疑的だった。「みんな俺にどうなるかって聞くんだ」と彼は当時、イベントについて語っていた。「どうなるかは俺にも分からないけど、俺には出席する義務があると感じているし、演奏もぜひやりたいさ。まあ、なんらかの理由でそれが実現することないだろうけどな」

最終的に、スラッシュ、ダフ・マッケイガン、スティーヴン・アドラー、マット・ソーラムの4人が式典に出席し、アクセル・ローズは土壇場になって姿を現さなかった。後にアクセル・ローズは、ホール・オブ・フェイム宛ての公開書簡で、絶頂期のメンバーで再びステージに立つというアイデアは「気まずい状況」だと述べ、友好的に折り合いをつけるという試みが不成功に終わったため、式典には出席しないと記した。さらに、「自分が式典には出席することは望まれていないし、リスペクトもされていないだろう」と書いている。

スラッシュの心からの願いは打ち砕かれた。「俺が心底やりたかったのは、オリジナルメンバーが一堂に集まって演奏することだった。難しいだろうとは思っていたけどね」とスラッシュは米『ローリング・ストーン』誌に語っている。「でも、今回の話が来た時、俺がやりたいことはそれだったんだ。結局実現はできなかったんだけどね」

和解は容易ではない

2015年5月にテレビ番組「ディス・モーニング」で1980年代のガンズ・アンド・ローゼズの再結成の可能性について尋ねられた時、スラッシュはいつものように否定的ではなかった。「もしみんなが再結成したいと思っていて、それに正当な理由があるんだったら、ファンは喜ぶだろう」と語っている。「この先いつか試してみるのも楽しいかもしれない。現バンドのメンバーとの話し合いになるだろうね。ただ、絶対ないとは言えない」

そして今年、寝耳に水の出来事があった。アクセル・ローズとスラッシュが話し合いに入っているというものだ。「今のところいい感じだよ」とスラッシュは話している。「なんというか、ある種のネガティブなものを追い払ったんだ。随分と長く続いていたからね」では、再結成は具体的にいつなのか? 「ああ、それには答えられないな。さあ話題を変えようか。その話はもう過去のことだからさ」

Copyright © 2024 NME Networks Media Limited. NME is a registered trademark of NME Networks Media Limited being used under licence.

関連タグ