ロバート・プラントはジョン・ボーナムの死後にソロ・キャリアに乗り出した当時を振り返り、彼の死後に自身のドラマーを務めた人々について語っている。
ロバート・プラントは自身のポッドキャスト「ディギング・ディープ:ザ・ロバート・プラント・ポッドキャスト」の最新エピソードの中でソロとしてのキャリアに乗り出した当時を振り返っている。
レッド・ツェッペリンは1980年にドラマーのジョン・ボーナムが亡くなったことを受けて解散している。ロバート・プラントはその後、ソロとしてのキャリアに乗り出してソロ・デビュー・アルバム『11時の肖像』を1982年にリリースしている。
「(レッド・ツェッペリンとして活動していた)その前の12年間はあたたかく、時に厳しくて、度々レッド・ツェッペリンでは凍える風が吹くという感じだった」とロバート・プラントは語っている。「ジョン(・ボーナム)を失った僕らに残されていたのは、ただ前に進むということだけだった。できる限り自分自身と距離を置いて、過去の強烈な影から離れる必要があったんだ」
ロバート・プラントは『11時の肖像』の制作過程を振り返り、ジョン・ボーナムの死後にいかにしてドラマーを見つけたかについて語っている。「僕には最高のドラマーが必要だった。当時、フィル・コリンズがソロとしてのキャリアに乗り出したばかりだったということもあって、彼と会うことになったんだ」
しかしながら、“Like I’ve Never Been Gone”や“Slow Dancer”の2曲については既にコージー・パウエルがドラムを叩くことが決まっていたため、フィル・コリンズが実際にドラムを叩いたのはその2曲を除くアルバムの楽曲となっている。「コージーのことは、それこそミッドランズにいた頃からよく知っていたからね」とロバート・プラントは語っている。
ロバート・プラントはコージー・パウエルについて次のように語っている。「彼はいい奴だったよ。早熟で自信に満ちていて、ジョン・ボーナムのように、演奏しながら本当に嬉しそうな声を上げるんだ。それも、不可能に近いことをやってのけながらね……ジョンを生き返らせることはできないわけでさ。だから、彼の代役を見つけるだとか、もう一人のジョン・ボーナムを探すということではなく、力強くて、美しいものを探していたんだ」
フィル・コリンズは1983年発表のロバート・プラントのセカンド・アルバム『ザ・プリンシプル・オブ・モーメンツ』でもドラムを叩いている。同作にはジェスロ・タルでドラマーを務めていたバリモア・バーロウも参加しており、ロバート・プラントは彼がきっかけとなってスタジオの機材の影響を受けるになったことを明かしている。
「ものすごく興奮したよ。新しいテクノロジーなんてほとんど持っていなかったからね」とロバート・プラントは笑いながら語っている。「当時の僕は、『すごいな。あれもできるし、この機材を使えば声をそういうふうにイジれて、それもあの機材でできてしまうのか』という具合でね。それで、ちょっと本末転倒になってしまったんだ。うまくはいったんだけどね。相応しくなかったんだ。(戦士した兵士が行けるとされる)ヴァルハラから、残りの人生を同じ老人のままでいないために何でもすればいいわけじゃないって言われた気がしたよ」
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