ザ・ビートルズのポール・マッカートニーとジョン・レノンはザ・ビートルズがブレイクする前、音楽をやめかけていた逸話が新たに明らかにされている。
今回、ジョン・レノンの妹であるジュリア・ベアードは『デイリー・メール』紙のインタヴューで、その危機を救ったのが誰だったかということを語っている。
当時、ザ・ビートルズはリヴァプールのキャヴァーン・クラブでライヴを行い、そのパフォーマンスが話題となっていたが、レコード契約に結びつくことはなく、財政的な危機に瀕していたという。ジョン・レノンは当時既にアート・カレッジに通い始めていた。
彼女は次のように語っている。「ジョンとポールはラッキーだったの。幸運をつかむことなく長く続けていたのなら、どんなことが起こっていたのか分かったものじゃないわ」
ジョン・レノンの育ての親として知られる叔母のミミは次のように語っていたという。「ギターは何もかも素晴らしいわ、ジョン。でも、それから生計を立てることなんて絶対できないのよ」
ジュリア・ベアードは次のように続けている。「ミミは彼がアート・カレッジからドロップ・アウトすることを心配していたわ。でも、彼らの中の何かが音楽にしがみつきたいと主張していたのよ。彼らは成功したがっていたし、断固として決断していたのよ」
「今とは違う時代よね。子供がすぐに大きくなって、大学に行かずに学校に留まることがなくなったのなら、社会人になるのが当然だと思われていたのよ。仕事に就くか、転職するかっていうね」
「ポールは英文学の教師になる道があった。彼は英文学が得意で、教師になるように勉強する予定だった。ジョンは既に美術学校の学生として1年、大学に通っていて、商業アートのほうに進もうとしていた。でも、2人がそう決心していたら、こんなことにはならなかったわけよね」
そこで、大きな役割を果たしたのは1962年にザ・ビートルズのマネージメントを務めることになったブライアン・エプスタインの存在だという。
「ジョンが言っていたのはブライアンがいなかったら、ザ・ビートルズは存在していなかったということよ。ジョンはそのことを確信していたわ」
「ブライアンが彼らの音楽を聴いて、最終的に契約したわけでね。彼はまさに中流階級の出身で、リヴァプールに住むユダヤ人一家として見事で、素晴らしい地域に住んでいた。それにミミは感心したのよ」
「(ザ・ビートルズのブッキング・マネージャーを務めていた)ジョー・フラナリーが話すのではなくて、非常に素敵なジェントルマンはミミとの話し方を分かっていたのよ。彼はミミにここにはなにかがあると励まし、ミミはブライアンに敬意を持っていたから、ブライアンが関わって、彼らのことを信じてくれるのであれば、ここにもっとなにかがあるかもしれないと考えたのよ。ミミを落ち着かせるのにブライアンは必須の存在だったわ」
「彼が突如、私たちの生活に関わるようになって、すべてが変わったのよ。彼はミミを説得し、夢は絶望のままで終わることはなくなったの」
「彼はミミを感心させたのよ。ミミはジョンが仕事のない絶望的な人になるんじゃないかって恐れていたから。でも、突然、物事が進むようになったわけで、ブライアンがいかにバンドにとって重要だったかというのはそういうことよね」
先日、ザ・ビートルズは初めてアメリカを訪れた際に彼らに向かって叫ぶ人から警護した警察の警護記録が公開されている。
この記録はリヴァプールにあるマジカル・ビートルズ・ミュージアムに寄付されたもので、1964年にエド・サリヴァン・ショウに出演して、カーネギー・ホールで公演を行うにあたって、ニューヨークで警護にあたった警察官の氏名が記されたものとなっている。
ニューヨーク市警のパトリック・カシディは警察記録を調べている際にこの警護記録を発見したとのことで、BBCに次のように語っている。「エド・サリヴァン・シアターは私の担当地区にあり、2013年のある日、この警護記録の保管された倉庫に行ったのです」
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