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クール・キースとセッド・ジーは亡くなったキース・フリントとの思い出について語っている。ザ・プロディジーのフロントマンであるキース・フリントは3月4日にエセックスの自宅で亡くなっているところを発見されている。

クール・キースとセッド・ジーは、トレヴァー・ランドルフやモーリス・スミス、ザ・プロディジーの結成メンバーであるリアム・ハウレットと共に、1997年のヒット曲“Smack My Bitch Up”にソングライターとしてクレジットされている。クール・キースとセッド・ジーは今回、それがいかにキャリアの分岐点になったかについて振り返っている。

「彼らから電話があってね。リアムとはいい友人だったんだ」とクール・キースは音楽サイト「アムブロシア・フォー・ヘッズ」に語っている。「リアムがどうやって(クール・)キースの電話番号を入手したかと言うとね」とセッド・ジーは続けている。

「ザ・プロディジーは当時、ネクスト・プラトー(・レコード)の代表を務めていたエディ・O・ロックリンと一緒に仕事をしていたんだ。一方で、クール・キースはサンプルの提供先を探していてね。それで、エディが彼らにこう言ったんだ。『新しく(クール・)キースとやってみたらどう?』ってね。僕は当時ネクスト・プラトーでA&Rの責任者を務めていたから、彼らにクール・キースの電話番号を教えてあげたんだ。それがきっかけで連絡を取るようになったんだよ。それで、一緒に仕事をすることになったんだ」

「僕は(『ザ・ファット・オブ・ザ・ランド』がリリースされた時にザ・プロディジーと)一緒に2公演をやったんだ。一つはニューヨークでの公演で、もう一つは確かオーストラリアのメルボルンだったかな。バックステージで彼らと一緒に過ごしていたんだけど、キースはとてもクールな人でね」とクール・キースは語っている。「シャンパンが大量にあって、たくさんの女性たちがいて、クールなエレクトロニックがかかっていた。彼らとのツアーは楽しかったよ。彼らと心から楽しんだのはそれが初めてだったんじゃないかな」

セッド・ジーとクール・キースはザ・プロディジーとのコラボレーションをきっかけに仕事が増えるようになったとして、負債を抱えていたセッド・ジーの財政状況も改善されたことを明かしている。「僕は当時、 IRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)から支払い命令が出されていたんだけどさ。“Smack My B*tch Up”のサンプリングのおかげで、10万ドルの負債をすべて支払うことができたんだ。支払いが終わってすべてが解決した後でさえ、手元に1万8,000ドルも残ったんだ。そのくらい最高だったんだよ。僕ですらそのくらいの報酬が入ったんだ。他の人たちのことを想像してみなよ」

クール・キースは次のように続けている。「お金の必要に迫られたことはないんだけどね。かなりの報酬があったんだ。ザ・プロディジーが解散しなければいいんだけど、キースはあまりにも重要なリード・シンガーだったからさ。ジャクソン5におけるマイケル・ジャクソンや、(ニルヴァーナにおける)カート・コバーンと同じだよ。簡単なことじゃないよね」

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