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コートニー・ラヴは、現地時間4月13日に病気のために息を引き取った映画監督のミロス・フォロマンに長文の追悼文を綴っている。
ミロス・フォロマンは1975年に公開された『カッこーの巣の上で』と1984年公開の『アマデウス』で2度にわたってアカデミー賞監督賞を受賞しており、コートニー・ラヴは彼が監督した1996年公開の『ラリー・フリント』と1999年公開の『マン・オン・ザ・ムーン』に出演している。
コートニー・ラヴは今回、自身のインスタグラムに長文の追悼文を寄せており、ミロス・フォロマンの作品に出演したことはカート・コバーンや2人の娘であるフランシス・ビーン・コバーンと過ごしたことと並んで「人生で最も輝いていた瞬間」だと綴っている。
コートニー・ラヴによる投稿の全文訳は以下の通り。
「ミロス、あなたは私にとって真の男性とはどういうものかを示した最初のロールモデルでした。あなたは、あらゆる予想や躊躇していたスタジオに反して、ドラッグはやらないという私の言葉(本当にやっていませんが)を信じて私をオーディションから選んでくれ、自らのお金を費やして私を保証してくれました。いい映画を作ること自体が楽しいことですが、ミロスはそれに喜びをもたらしてくれました。当時の私はとても自由で、恵まれており、そして支えられていました。プリンセスのように扱われることがどのようなものなのかを初めて知りました。彼はいつも優しく、最良の私を引き出してくれたのです。私は彼と撮影した2つの作品の両方において愛に囲まれて過ごすことができ、それはカートやフランシスと並んで、私の人生で最も輝いていた瞬間です」
「10万人の前でパフォーマンスすることも最高ですが、彼のような優しい人に監督されることに較べられることはありません。彼は幼少期に多くの辛いことを乗り越えてきました。母親はアウシュビッツで亡くなり、父親はKGBに殺されたといいます(※実際には彼の父親はKGBではなくドイツの秘密警察によって殺害されたとされている)。彼は過去に、親友で若き劇作家(後のチェコ)のヴァーツラフ・ハヴェルと共にエラ・フィッツジェラルドのコンサートに行ったことで刑務所に送られたこともあります。彼は生粋の映画監督で、キャスティングに関して甘んじることはなく、妥協を許さない人でした。『マン・オン・ザ・ムーン』の撮影中に、彼のトレーラーへ行って、彼が振る舞ってくれたステーキ(ミディアムレア)、ワイン(いつだってペトリュス)、そしてタバコ(違法なキューバ産のもの)を楽しみながら『シカゴ』のキャスティングについて話し合ったことを思い出します。彼は私とビビ・ニューワースが欲しいと言って、どちらにするか決めかねていました。私は大物のポップスターになるために必死でアピールしたのですが、そんな私を彼はキラキラしていて皺のある、そして一瞥のアイロニーのこもった優しい目(もしかしたらちょっとした不快感も)で見つめて言いました。『君が僕にキャスティングを教えてくれよ、コートニー・ラヴさん』。私はすぐに口を閉ざしました」
「ミロスは私を受け入れてくれ、私の中の悪魔も受け入れてくれました。彼は私の家族を広げてくれ、エドワード、ウディ、ダニー、そして素晴らしいジム・キャリーに紹介してくれました。私たちは映画会の巨匠を失いました。私の心は、彼の愛らしい妻であるマルティナ、子供たちのジムとアンディ、そして他の家族の皆さんと共にあります。そして、彼が有名にしてくれた私たち全員と、何度も何度も『アマデウス』や『カッコーの巣の上で』を観てきた人たち全員に愛を送ります。彼がもたらしてくれた喜びは、彼が自分の人生を生きた喜ばしい生き方以外には存在しえない唯一無二のものです。ミロス、あなたには何百万回と伝えてきた言葉ですが、あなたを愛し、崇拝したように他の人を愛したことはありません。
純粋に楽しかったですが、ゆえに打ちのめされています。
あなたのコートニーより」
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