PRESS/GETTY

Photo: PRESS/GETTY

50年以上にわたるキャリアの中で、超大物のザ・ローリング・ストーンズは十分すぎるほどの絶頂期を経験し続けてきた。しかし、そんな彼らを象徴する究極のライヴはどれだろうか? ここでは、ザ・ローリング・ストーンズの最も名高いライヴのトップ10を発表する。

10位 1969年 – オルタモント・スピードウェイ


印象に残るライヴというのは、必ずしもポジティヴな理由でとは限らない。不幸にも、ザ・ローリング・ストーンズで1、2を争う有名なライヴは、ネガティヴな理由で記憶に残ることになってしまった。会場に到着した直後にミック・ジャガーがファンから殴られるという、とんでもない事件で幕を開けたこのライヴでは、拳銃を引き抜いたファンが刺殺されるという悲劇が起こった。ヒッピーの幻想が真に崩れ去った瞬間だ。


9位 1965年 – ベルリン、ヴァルトビューネ


ヴァルトビューネでの1965年のライヴはザ・ローリング・ストーンズ初期の伝説的な大惨事である。ベルリン市内にあるかつてのオリンピック施設でバンドが演奏したのはたったの25分程度だったため、これに怒った大勢の観客が暴徒化し、会場が受けた被害額は10万英ポンド(現在のレートで約1900万円相当)にもなった。当時の記者は、この日のライヴを「地獄を見た」とシンプルに描写している。観客の誰しもが簡単には忘れられそうにない日になった。


8位 2014年 – オーストラリア パース、パース・アリーナ


1度は延期されたオーストラリア・ツアーだが、ザ・ローリング・ストーンズにとって二十数年ぶりとなるパースでのライヴは十分すぎるレベルの興奮をもたらした。1万3000枚以上のチケットは数カ月前にすべて売り切れ、“Midnight Rambler”ではバンドの元ギタリスト、ミック・テイラーが演奏に参加するというすばらしい瞬間があった。


7位 1981年 – バージニア州、ハンプトン・コロシアム


ドラッグ問題の中リリースされた『刺青の男』の発売に合わせて行われたツアーでの最終日前日のライヴは、高い緊張感に包まれていた。前年の悲劇的なジョン・レノン殺害事件で犯人として逮捕されたマーク・チャップマンの殺害計画リストにはキース・リチャーズの名前もあったという。そのため、1人のファンがステージに上がりメンバーに駆け寄ってきた時、キース・リチャーズは自身のギターで「そのクソ野郎をチョップ」した。のちに彼はその時の動きをニンジャ・ムーヴと語っている。


6位 1972年 – ニューヨーク、マディソン・スクウェア・ガーデン


カナダ人ファンがステージ用具の入ったワゴン車に爆弾を仕掛けた事件のすぐあと、バンドはニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンでの3日間の公演を行った。最終日の夜はミック・ジャガーの29歳の誕生日でもあったため、彼にはケーキとパンダのぬいぐるみがプレゼントされ、そのあと会場はパイ投げ合戦の舞台となった。まったくクレイジーなバンドだ。


5位 1990年 – 東京、東京ドーム


東京ドームでの10日間公演の最終日はライヴ・ビデオ『ザ・ローリング・ストーンズ・アット・ザ・マックス』の撮影が行われ、2つの理由から印象的なライヴ・ビデオが完成した。理由の1つは、これがIMAXフォーマットで撮影された初めてのライヴだったということ、そしてさらに大きな理由が、ベーシストのビル・ワイマンがザ・ローリング・ストーンズとして映っている最後の公式映像になったからだ。このツアーを終えてすぐに、ビル・ワイマンは永久にバンドを去った。


4位 1995年 – ロンドン、ブリクストン・アカデミー


スタジアム級のバンドとして長い歴史を持つザ・ローリング・ストーンズはファンをもてなすため、1995年に公演の規模を小さくしようと考えた。そこで彼らはロンドンにある約5千人規模の会場、ブリクストン・アカデミーで(彼らの基準からすると)小規模なライヴを行った。ジョー・ストラマーやプリテンダーズのクリッシー・ハインドも観客として参加したが、他の4,998人の観客も彼らと同じようにすばらしい時間を過ごしたことだろう。


3位 2013年 – イギリス、グラストンベリー・フェスティバル


今世紀のグラストンベリー・フェスティバル史上、一番人目を引いたセットであることに議論の余地はないだろう。この2013年のザ・ローリング・ストーンズのパフォーマンスで人が集まりすぎたため、フェス主催者のマイケル・イーヴィスは観客のためにピラミッド・ステージのスペースを広げる必要があった。伝説的なバンドを一目見ようと、土曜の夜にまるでフェス中の人々が集まったかのような状態で、ステージの盛り上がりと共に炎に包まれた機械仕掛けの巨大不死鳥が登場し、彼らの完璧な偉業を後押しした。


2位 2012年 – リオデジャネイロ、コパカバーナ・ビーチ


『ア・ビガー・バン・ツアー』の一部として、ザ・ローリング・ストーンズはブラジルの有名なお祭りであるカーニバルに先駆け、リオデジャネイロでフリー・ライヴを行った。当日は100万人が会場に集まり、ライヴの様子はアメリカのラジオと150カ所の映画館のスクリーンで配信された。これらの数字がすべてを物語っているだろう。


1位 1969年 – ロンドン、ハイド・パーク


ハイド・パークでのフリー・ライヴは当初、新メンバーのお披露目を目的としていたが、2日前に亡くなった元メンバー、ブライアン・ジョーンズの死を悼むライヴへ変更された。ライヴが進む中、バンドは大勢の観客(推定で25万人から50万人)の心を1つにし、ブライアン・ジョーンズの死を惜しんだ。何千ものキャンドルを用意し集まったファンが見つめる中、ミック・ジャガーはパーシー・ビッシ・シェリーの「アドネイス」の詩を朗読し、何百もの白い蝶を放った。物悲しく、感動的な追悼ライヴだ。

広告 【独占配信】エミー賞®史上最多18部門受賞の歴史的快挙!真田広之主演&プロデュース「SHOGUN 将軍」をディズニープラスで見る

Copyright © 2024 NME Networks Media Limited. NME is a registered trademark of NME Networks Media Limited being used under licence.

関連タグ