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マドンナは『ブロンド・アンビション(原題)』と題された伝記映画の制作が決まったとの報道を受けて自身の見解を示している。

新進気鋭の脚本家であるエリース・ホランダーによって書かれた、マドンナについての物語『ブロンド・アンビション(原題)』は、ハリウッドで最も優れた未製作の脚本を決めるランキングである「ブラック・リスト」で昨年度の首位に輝いている。『ヴァラエティ』誌によれば、ユニバーサル・ピクチャーズが脚本の版権を獲得したという。

しかし、マドンナは今回、自身のソーシャル・メディアで同映画への言及と思われる文章を投稿し、伝記映画の制作にマドンナ本人の承認が得られていないことを示唆している。マドンナは以下のように綴っている。「私が考えていることや、私が見てきたものなんて誰にも分かるはずがないのよ。私だけが私の物語を語ることができる。私以外に私の物語を語ろうとする人はただの間抜けなペテン師に過ぎないわ。まともに仕事もしないで、すぐに手っ取り早い喜びを求めてる。この社会特有の病気ね」

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Nobody knows what I know and what I have seen. Only I can tell my story. Anyone else who tries is a charlatan and a fool. . Looking for instant gratification without doing the work. This is a disease in our society. ✍️

Madonnaさん(@madonna)がシェアした投稿 –

映画は、ニューヨークにおけるキャリア初期のマドンナを描いたものになると言われている。マドンナは1978年に、たった37ドル(約4100円)の現金だけを手に、生まれ故郷であるデトロイトからニューヨークへと渡ったという逸話が残っている。マドンナはタクシー運転手に「すべての中心地にお願い」と告げ、タクシー運転手はマドンナの望み通り、タイムズスクエアで彼女を降ろしてあげたのだという。

ニューヨークに移り住んだマドンナは、その後5年間にわたってエミー・アンド・ブレックファースト・クラブというバンドで活動する傍ら、モデルやダンサー、ウェイトレスとして働いて生計を立てている。マドンナはその後、ソロ・アーティストとしてのキャリアを志すようになり、当時の象徴的なナイトクラブであった「ダンステリア」に足を運ぶようになる。次第に頭角を現わすようになったマドンナは1983年、セルフタイトルを冠したデビュー・アルバムで遂にブレイクを果たしている。デビュー・アルバムには“Holiday”や“Borderline”、“Lucky Star”などのヒット曲が収録されている。

一方、フー・ファイターズのデイヴ・グロールの母親であるヴァージニア・ハンロン・グロールは先日、息子が有名になった1990年代当時について、息子が「マドンナに引っ掛けられてしまうのではないか」ということが一番の懸念だったと明かしている。

また、マドンナは先日、物議を醸していたケンダル・ジェンナー出演のペプシのCMを皮肉交じりに揶揄している。

ペプシは1989年、コマーシャルに使用していたマドンナの“Like A Prayer”のミュージック・ビデオが世間の批判を浴びたことで、マドンナが出演したCMを取り下げている。マドンナは“Like A Prayer”のミュージック・ビデオ内で黒人の牧師にキスしており、ローマ教皇庁から「冒涜である」として批判されている。ペプシはその後すぐさま、マドンナに前金として支払っていた500万ドル(約5億6000万円)はそのままに、マドンナの出演したコマーシャルを取り下げることになった。

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