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デヴィッド・ボウイと約30年間にわたってコラボレーションしてきたカルロス・アロマーは、デヴィッド・ボウイとの関係や共演者たちについて綴った書籍の中で二人の関係性について言及している。

プエルトリコ出身のカルロス・アロマーは、1975年のアルバム『ヤング・アメリカン』で初めてデヴィッド・ボウイの作品に参加すると、以降1976年から2003年まで11枚のアルバムに携わっている。カルロス・アロマーはまた、上記期間中にライヴのバンド・メンバーとしても参加している。

「ザ・ライン・オブ・ベスト・フィット」によって公開された『ア・トリビュート・トゥー・ボウイ・バイ・ヒズ・アーティスティック・コラボレーターズ・アンド・コンテンポラリーズ(原題)』からの抜粋の中で、カルロス・アロマーは初めてデヴィッド・ボウイに会った際には彼のことを知らなかったと明かしている。

「彼の髪はオレンジで、白人だった。僕はアフロで、黒人だった」とカルロス・アロマーは綴っている。「僕は最初に『僕の家においでよ。食事でもして話そうよ』って言ったんだ。彼は不思議な人で、面白そうだったからね。それに、僕がそれまで一緒に仕事をしてきた人たちとはタイプが異なる人だったんだ。それから、彼は僕の招待を承諾してくれたのさ」

「僕らはミュージシャンとして結ばれたって感じだったな。一緒に遊んだり、素晴らしい時間を過ごしたね。僕は彼に何も要求しなかったし、彼も僕に何も要求しなかった。そういうクールな関係だったんだ」

カルロス・アロマーはまた、今年1月にデヴィッド・ボウイが亡くなる前に、最後に会った昨年の出来事を回想している。

「僕は去年トニー・ヴィスコンティの誕生日パーティーでデヴィッドに会ったんだ。その時の彼はとてもやつれていたよ。今思えば、あの時彼に何が起きていたのかわかるけどさ。僕らは昔の話をしたんだ。ただ、話をして昔の傷を癒したり、思い出にふけりながら楽しい時間を過ごしたよ。今の僕にはあの時どうして再び一緒にいられたのか分かるよ。さよならだったんだってね。そうだろ?」

「あれは彼を祝福するための時間で、一緒にいられて嬉しかったよ。そういう出来事の時って、その時間を当たり前のように過ごしてしまうんだ。でも、後から鳥瞰の視点で全体像を見てみると、あれはさよならだったって気づく。あの時間は友達に会ってさよならを言える象徴的な瞬間だったんだよ。それも悲しみに沈みながらではなくね。ただ、『また話そうね』って。病気のせいで実現しなかったけどさ」

カルロス・アロマーは最後に、デヴィッド・ボウイの天性の好奇心こそ彼を唯一無二の存在にしていたと綴っている。

「デヴィッドを特別な存在にしていたのは、聴き手であったこと、そして、好奇心に溢れていたことだね。どんなに素晴らしい科学も、どんなに素晴らしい科学者も、そして、どんなに偉大な人物も、子供の頃から逃れることはできないんだ。あの角を曲がると何があるのだろうとか、熱いストーブを触ってみようとか、あの炎はどうしてそんなに明るいのだろう、とか、そういうことに子供は恐れ知らずだろ? 子供だって自分が燃えてしまうのは分かるかもしれない。でも、子どもにあの角は曲っちゃダメだなんて言えないんだよ」

『ア・トリビュート・トゥー・ボウイ・バイ・ヒズ・アーティスティック・コラボレーターズ・アンド・コンテンポラリーズ(原題)』は、絶賛発売中となっている。

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