アイアン・メイデンのフロントマンであるブルース・ディッキンソンは、サラエヴォのラジオ局でツアーとテロの危険にどう対処しているかについて詳細に語っている。
ブルース・ディッキンソンは、1994年に紛争の最中で包囲されていたサラエヴォを訪れ、戦争の虜となった街のためにライヴを行ったことがよく知られているが、そのこともあり、ラジオ・サラエヴォに出演している。このサラエヴォでのライヴについては、間もなくドキュメンタリー映画『スクリーム・フォー・ミー・サラエヴォ』が公開されることになっている。
映画と人生について語ったインタヴューのなかで、「アイアン・メイデンは危険な環境でもツアーをやるというアプローチをとっており、本人だけでなく、ある種の場所では観客も危険にさらすことになるリスクと見返りを顧みるアプローチについて話し合っている」ことを明かしている。
ブルース・ディッキンソンは次のように語っている。「誰か狂った奴らが人々を虐殺するかもしれないってことに関して責任は取れないよね。自分が『マッチョな男』になりたくて、立ち上がって『ああそうさ、そうさ、僕たちはこれをやって脅されたけど、僕たちは強いんだぜ』って言いたくてもさ」
「で、結構なことに、遂にはある日、誰かが危険な場所に行って、うんとたくさんの女性や子供たちが犠牲になることになる。そして言うんだ。『僕たちはライヴをやるべきじゃなかったかも知れない。信憑性の高い脅しはあった』ってね。だからさ、不幸なことだけど、大人にならなきゃいけないんだ。だが、同時にやっぱり人々に希望を届けることができなくてはならないし、そのメッセージを送り届けなくちゃならない。みんな止まってはいられない……現実の人生は続いていくわけだからね」
上記ラジオのインタヴューは30分のノーカットでこちらから。
また、ブルース・ディッキンソンはサラエヴォでの経験について特に次のように言及している。
「あれは僕の選択だった。いや実は、僕たちの選択、と言うべきかな。だってみんなでこう言ったんだからね。『ああ、僕たちは、戦争の真っ只中のサラエヴォに乗り込んで何かやってみよう、ライヴをそこでやれるか見てみようとするほどクレイジーなんだ。いつ帰ってこれるか確かじゃないよね』って」
「でも、バタクランのコンサートに行った気の毒な人々は選択の余地がなかった。彼らは完全に、完璧に、あらゆる意味で無実だよ。もちろん、あの場所が標的になるなんて誰も分からなかった。だから、残念なことだけど、人々は自ら判断しなくちゃならない。それも手に入る最良の情報に基づいてね」
アイアン・メイデンは現在、「ブック・オブ・ソウルズ」ワールド・ツアー中だ。エド・フォース・ワンと名付けられたバンドのジェット機の翼がチリの空港で激しく破損したが、修理を終え、ブルース・ディッキンソンが操縦桿を握っている。バンドは今年、ダウンロード・フェスティバルのヘッドライナーに決定している。
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