先日、ニルヴァーナのベーシストであるクリス・ノヴォゼリックはグランジ革命について訊かれて次のように答えている。「人々は音楽的に別の何かをニルヴァーナに期待していたんだ。1991年は、『ネヴァーマインド』が発表されるまで、年間でロックでナンバー1を記録したアルバムはなかった。ロックは死んだようだった。しかし、死んではいなかった。グランジやオルタナティヴ、ヘヴィ・メタル、ハードロック、パンク、アート・ロックという影響が寄せ集められることで再生したんだ。すべてが一体となって、異なる音楽がたくさん生まれたんだ。でも、重要なのは、それまでとは違う感受性、ないしは違う再編があったことなんだよね。おそらく、そういったことはもう一度起こるんじゃないかな」
今週、わたしたちは22回目となるカート・コバーンの命日を迎えた。娘の離婚をはじめとして、ニルヴァーナの周辺をめぐる報道は今も途絶えることがない。あなたが知らないかもしれないニルヴァーナに関するトリビア50選をお送りする。
1. カート・コバーンの両親の職業は?
あなたが知らないかもしれないカート・コバーンと仲間たちのエピソードについて語るには、まずフロントマンである彼の両親についての事実から始めよう。母親のウェンディ・エリザベス・フレイデンバーグはウェイトレスで、父親のドナルド・リーランド・コバーンは自動車整備工だった。
2. カート・コバーンは音楽的血統の持ち主?
カート・コバーンには音楽的バックグラウンドがあった。叔父のチャック・フレイデンバーグはザ・ビーチコーマーズというバンドのメンバー、叔母のマリ・アールはギターを演奏でき、大叔父のデルバートはアイルランド人テノール歌手だった(彼は1930年の映画『キング・オブ・ジャズ』に出演している)。
3. カート・コバーンの幼い頃の趣味は?
子供の頃、カート・コバーンはカートゥーンのキャラクターの絵を描くのが好きだった。彼の部屋はドナルドダックやミッキーマウス、アクアマンなどの絵でいっぱいだった。
4. カート・コバーンへのビートルズの影響
カート・コバーンは幼少期にザ・ビートルズの影響を受けた。彼の叔母によれば、カート・コバーンは2歳の時に“Hey Jude”を歌っていたという。1993年には、カート・コバーン自身が「おばさんがザ・ビートルズのレコードをくれたんだ……だから、小さい頃にザ・ビートルズの曲はほとんど聴いた。ツイてる日には、シングルを買ってもらうこともあったよ」と語っている。
5. カート・コバーンへの離婚の影響
両親の離婚後から、カート・コバーンは学校で同級生をいじめるようになったため、父親と継母は彼にセラピストの診察を受けさせた。その時、常に一方の親と暮らしたほうがいいと診断されたことから、カート・コバーンの母親は親権を完全に父親へ渡した。
6. 敬虔なキリスト教徒時代
カート・コバーンの父親は、手に負えないほど荒れ始めた息子を、キリスト教再生派を信仰する友人家族に預けた。カート・コバーンは敬虔なキリスト教徒になり、教会の集会にも定期的に参加していた。しかし、後に彼はこの信仰を捨て、後年は仏教徒になっている。
7. セクシャリティへの思い
アートスクールでゲイの生徒と友達だったカート・コバーンは、クラスメイトから彼もまたゲイだと勘違いされていた。後に彼は「ゲイじゃないのに、自分はゲイだということに本当に誇りを持つようになっていったんだ」と、『ジ・アドヴォケイト』誌に対して語っている。
8. 人体解剖図への愛情
美術の授業では、カート・コバーンは人体解剖図をよく描いていた。ある時、彼はマイケル・ジャクソンの解剖図を描いたが、教師に公共の場所に掲示するにはふさわしくないと言われたため、代わりにロナルド・レーガン大統領の風刺画を描いた。
9. 初めて訪れたコンサート
家族や友人によると、カート・コバーンが初めて訪れたコンサートはシアトル・センター・コロシアムで行われたサミー・ヘイガーとクォーターフラッシュのものだった。しかし、彼自身はメルヴィンズが最初のライヴだと主張している。
10. 高校中退
高校卒業の2週間前、カート・コバーンは卒業に必要な単位が足りていないことに気がついた。彼の母親は、仕事を見つけないと家を追い出すと脅した。その1週間後、母親は彼の荷物をまとめ、彼を友人のところに追い出した。
11. 当時のガールフレンド
当時の恋人トレーシー・マランダーは、自身が金銭面で援助をしているにもかかわらず、仕事を見つけようとしないカート・コバーンに不満を募らせていた。彼女は、カート・コバーンが亡くなるまで“About A Girl”が自分について書かれた曲だと知らなかったという。また、ニルヴァーナのアルバム『ブリーチ』のカヴァーは彼女が撮った写真だと言われている。
12. “Smells Like Teen Spirit”曲名の由来
“Smells Like Teen Spirit”というタイトルは、カート・コバーンが友人のキャスリーン・ハンナと会話をしていた時に生まれた。彼女は、カート・コバーンのアパートの壁に「Kurt Smells Like Teen Spirit(カートはティーン・スピリットの匂いがする)」とスプレーで落書きをしたのだ(ティーン・スピリットは、カート・コバーンの当時の恋人が使っていたデオドラントのブランド)。しかしカート・コバーンは、この言葉にはもっと革新的な意味が込められていると思ったらしい……。
13. クリス・ノヴォゼリックとの出会い
カート・コバーンとベーシストのクリス・ノヴォゼリックが初めて出会ったのは高校だったが、メルヴィンズの練習場所でよく顔を合わせるようになるまでは、2人はそれほど親しい間柄ではなかった。カート・コバーンはクリス・ノヴォゼリックとバンドを始めたいと思い、自身のバンドであるフィーカル・マターのデモテープをクリス・ノヴォゼリックに渡した。クリス・ノヴォゼリックがそのデモテープを聴いてカート・コバーンとバンドを組んだ時には、出会いから3年が経過していた。
14. ニルヴァーナの前のバンド名
カート・コバーンとクリス・ノヴォゼリックはまずボブ・マクファデンをドラマーとして迎えたが、彼は1ヶ月しか持たなかった。その後、アーロン・バークハードがドラムを担当した。この新しいバンドはスキッド・ロウ、ペン・キャップ・チュー、ブリス、テッド・エド・フレッドなど、何度も名前を変えている。
15. バンド名がニルヴァーナに決定
最終的に、彼らはバンド名をニルヴァーナと決めた。その理由として、カート・コバーンは「俺はアングリー・サモアンズみたいな、面白味のない下品なパンク・ロックっぽい名前じゃなくて、美しくて素敵な、いい名前にしたかったんだ」と語っている。
16. ファミリー・ネームへの思い
ニルヴァーナの初期、カート・コバーンは自分自身の音楽と距離を置くために、名前を(以前誤って表記された)「Kurdt Kobain」としていた。
17. ドラマーを探し続ける日々
1990年、カート・コバーンとクリス・ノヴォゼリックは、マッドハニーのドラマー、ダン・ピーターズと共にシングル“Sliver”のレコーディングを行った。その後、ソニック・ユースとの7日間のツアーを行うため、デイル・クローヴァーにドラマーとして再度参加するように依頼している。
18. 好きなイギリスの曲
1991年、好きなイギリスの曲を尋ねられたカート・コバーンは、返答としてブラーの“There’s No Other Way”を歌った。
19. デイヴ・グロールとの出会い
2人がデイヴ・グロールを紹介されたのは1990年9月だった(当時、デイヴ・グロールは彼のバンドであるスクリームの解散に伴い、新しいバンドを探していた)。この対面はメルヴィンズのバズ・オズボーンによって仲介された。クリス・ノヴォゼリックは後に、デイヴ・グロールのオーディションに言及し「僕らが求めていたドラマーは彼だって、2分で分かったよ」と語っている。
20. 楽曲のロイヤリティについて
カート・コバーンは1992年3月、自身は他の2人よりもニルヴァーナの楽曲制作に多く携わっているとして、ロイヤルティの割増しを求めることを決めた。当初、バンドメンバーはこれを了承したが、カート・コバーンがこの割増しを『ネヴァーマインド』に遡って適用することを求めると、彼らは難色を示した。バンド内には軋轢が生まれたが、カート・コバーンはロイヤルティの75%を得ることになった。
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