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リアム・ギャラガー、イアン・ブラウン、ベズらは亡くなったマンチェスターの音楽界のレジェンドであるアルフォンソ・“フォンゾ”・バラーに追悼の意を表している。
アルフォンソ・“フォンゾ”・バラーは現地時間2月2日にコーンウォールの自宅で亡くなったと親族によって発表されている。享年65歳だった。死因については明らかにされていない。
アルフォンソ・“フォンゾ”・バラーはマンチェスター近郊のウェスト・ディズベリーで1980年代に「MVITA」というサウンドシステムを始めている。アルフォンソ・“フォンゾ”・バラーはマンチェスターらしい威勢の良さと「マンチェスター・ヴァイブス・イン・ジ・エリア」というフレーズを生み出したことで知られていた。
「マンチェスターはパーティーの世界の中心地として知られていますが、その称号の一部はフォンゾのおかげです」と親族のキア・バラーは述べている。
キア・バラーはアルフォンソ・“フォンゾ”・バラーについて「ハウスやガラージを地元のパブに持ち込み、アンダーグラウンド・レイヴを開催し、最終的にはハッピー・マンデーズ、ストーン・ローゼズ、ニュー・オーダー、808ステイトといったバンドのサウンドもかけていました」と評している。
MVITAのサウンドシステムはザ・ストーン・ローゼズが1990年に行った伝説的なライヴ、スパイク・アイランドにも参加している。
リアム・ギャラガーはオアシスの再結成公演で「マンチェスター・ヴァイブス・イン・ジ・エリア」というフレーズを公演によって都市名を変えながら使っていたことで知られている。
アルフォンソ・“フォンゾ”・バラーは陽気なダンスと宙返りで知られ、長年にわたり多くの著名人のステージに立ってきた。マンチェスターの音楽史におけるアイコン的存在である彼はリアム・ギャラガーやザ・ストーン・ローゼズのイアン・ブラウンに影響を与え、街で愛される人物だった。
リアム・ギャラガーはX/ツイッターで「安らかに、フォンゾ。MVITAよ、再び」と述べている。また、アルフォンソ・“フォンゾ”・バラーのフレーズを引用して、リアム・ギャラガーは「COME IN COME IN」とも投稿している。
RIP FONZO MVITA REWIND
— Liam Gallagher (@liamgallagher) February 3, 2026
COME IN COME IN
— Liam Gallagher (@liamgallagher) February 3, 2026
イアン・ブラウンは次のように述べている。「安らかに、アルフォンソ・バラー。マンチェスターのキングにしてライオンだった。家族と多くの友人たちに愛を」
Rest in Peace Alfonso Buller a King and Lion of Manchester X Love to the family and his many friends
— Ian Brown (@ianbrown) February 3, 2026
ベズは自身とアルフォンソ・“フォンゾ”・バラーの写真を投稿して、「フォンゾ! これからはずっと静かになってしまうだろう」と述べている。
ハッピー・マンデーズのヴォーカリストであるロウェッタは共演した時の写真を投稿して、「本物のジェントルマンで、私や多くの人々を支えてくれた」と述べている。「彼の自然なエネルギーとポジティブさは私が長年憧れていたもので、他のたくさんの素晴らしい思い出も決して忘れません。家族に愛を」
「彼は唯一無二で、他の人々を支えてくれた。アルフォンソ・“フォンゾ”・バラーのことを考えると、これからも笑顔になるでしょう。しかし、またしてもあまりに若く亡くなってしまいました。マンチェスター・ヴァイブス・イン・ジ・エリア」
オアシスのギタリストであるポール・“ボーンヘッド”・アーサーズは「MVITA」とツイートしている。
音楽ジャーナリストのジョン・ロブは次のように述べている。「マンチェスターの伝説であるアルフォンソ・“フォンゾ”・バラーが亡くなったと聞いて残念です。マンチェスター・ヴァイブス・イン・ジ・エリアことMVITAは一人の人物による革命であり、ザ・ストーン・ローゼズやハッピー・マンデーズに加わることでファミリーを拡大していきました」
「80年代にウェスト・ディズベリーに住んでいた頃からパブのミッドランドで行われていたすごいパーティーと彼のことは知っていました。数週間前まで連絡を取り合っていましたが、人徳の人でした。ステージもパーティーも会場も支配してみせるコズミック・ダンサーです。フォンゾに幸運あれ」
長年の友人で、マネージャーのアラン・イングラムは『マンチェスター・イヴニング・ニュース』に次のように語っている。「初期の86年から90年代に入っていくMVITAの初期にマネージャーを務めていました。彼のマネージメントをやりながら、MVITAのことを見ていました。それ以来の友人です」
「数日前にも彼と話をしていたんです。最近は調子がよくありませんでしたが、ショックで、打ちのめされています。正直、信じられません」
アラン・イングラムはパブのミッドランドで開催されていた初期のMVITA、DJのステージ、グラストンベリー・フェスティバルへの出演などを振り返っている。
「彼は6年連続でピラミッド・ステージに立っていました。公式ではありませんでしたが、ザ・ストーン・ローゼズ、ジョー・コッカー、フィンリイ・クェイ、シンプリー・レッドと共演して、MVITAのパーカッショニストであるヒマット・シンと一緒に全員でステージに立っていたのです」
アルフォンソ・“フォンゾ”・バラーはベリーズ人の移民とロマのジプシーの息子で、マンチェスター郊外のウィジントンで育つことになった。『ガーディアン』紙によれば、モス・サイドで深夜にオープンしていたクラブ、レノに初めて行ったのは12歳の時だったという。
「警察、権力、そしてまるで全世界が私たちに敵対しているように感じていた」とアルフォンソ・“フォンゾ”・バラーは2017年に『ガーディアン』紙に語っている。「でも、レノは自分たちが特別に感じられる場所だったんだ」
アルフォンソ・“フォンゾ”・バラーはここ30年間はコーンウォールで暮らしていたが、家族を訪ねるために定期的にマンチェスターに戻っていた。アルフォンソ・“フォンゾ”・バラーは10人兄弟の一人だったが、10人の子どもをもうけている。彼は15人の孫に恵まれている。
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