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ブルース・スプリングスティーンは1950年代や1960年代にはメンタル・ヘルスの問題について「何も知られていなかった」ため、「誰もがただ苦しんでいた」と語っている。

ブルース・スプリングスティーンは映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』が海外で10月24日より公開されるのに際してインタヴューに応じている。スコット・クーパーが監督した映画は1982年発表のアルバム『ネブラスカ』が制作された6ヶ月間を描いたものとなっている。

ブルース・スプリングスティーンはBBCラジオ2の『ブレックファスト・ショウ』に出演して、自身のメンタル・ヘルスの問題をオープンにすることについて尋ねられている。

「自分は1950年代や1960年代に育ったからね。1歳から10歳までが1950年代で、両親は18から19歳の時にカリフォルニアに移った。だから、父のことを知っているのもそのくらいの時期で、父にとっては非常に困難な時期だった」とブルース・スプリングスティーンは語っている。「メンタル・ヘルスの問題というのは私の家族に受け継がれてきたものなんだよね」

「叔母もひどい問題を抱えていたし、従兄弟もそうだった。でも、そういうものだと思ったし、それが家族で、自分の愛する人たちなんだと思っていた。けれど、助けるものは何もなかった。薬もなければ、心理的な支援を受けることもできなかった。みんな、一人ぼっちで放置されていた。何も知られていなかったから、誰もがただ苦しんでいたんだ」

映画で描かれている時期に彼が必要としていた助けについて訊かれると、ブルース・スプリングスティーンは次のように語っている。「ああ、本当に幸運だった。ジェレミー・アレン・ホワイトは私が初めて精神崩壊を起こした当時の衰弱ぶりがどんなものかを描いてくれた。何が起こっているのかまったく分からなかったけれど、あの頃にジョン・ランドウとの繋がりがあったことは本当に幸運だった。彼にはその分野の経験があって、当時、手助けになってくれた人たちを紹介してくれたんだ」

ブルース・スプリングスティーンは次のように続けている。「本当に恥ずかしさがあった。何年も精神科の診察室に行く時には変装のようなことをしていた。野球帽を被って、サングラスをかけて、周りを見ながら素早くこっそり入っていくんだ」

「だって、そういう助けを求めたり、必要としたりするのは恥ずかしいことだと思って育ってきたからね。診察室に入るのに気分よく自信を持てるようになるまで何年もかかった。私が育った世界では禁じられていたことだったので、慣れるのに長い時間がかかった。でも、今では人生の大きな部分、半分を占めるほどになった」

先日、ブルース・スプリングスティーンは人生において「困難な」時期が描かれているにもかかわらず、伝記映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』の製作を承認した理由について語っている。

「伝記映画じゃないんだよ」とブルース・スプリングスティーンは語っている。「31歳と32歳の頃、人生から何年かを切り取って、特定のアルバムを作った時期、人生で本当に困難な時期を経験していた頃を描いただけなんだ。自分も歳を取ったし、今は何をしようとどうでもいいと思っているんだ」

「すごく具体的なアイディアがあったんだ。監督・脚本のスコット・クーパーには何をやろうとしているのか、すごく具体的なアイディアがあって、適切な言葉が見つからないんだけど、この映画は反伝記映画なんだよ」

ブルース・スプリングスティーンは映画『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』のオリジナル・サウンドトラックが12月5日にCD、アナログ盤、デジタルの各フォーマットでリリースされることが決定している。

アルバムのプロデュースを手がけたのは、グラミー賞を複数回受賞しているデイヴ・コブ(クリス・ステープルトン、ブランディ・カーライル、スタージル・シンプソンなどを手がけたプロデューサー)で、演奏には主演のジェレミー・アレン・ホワイトのほか、グレタ・ヴァン・フリートのジェイク&サム・キスカ兄弟、ジェイ・ブキャナン、アクセル・コー、ボビー・エメットらが参加している。

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