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ザ・ダムドの結成メンバーであるギタリストのブライアン・ジェイムスが亡くなった。享年70歳だった。

ブライアン・ジェイムスの訃報は彼の公式フェイスブックで発表されている。死因については発表されていないが、ブライアン・ジェイムスは家族に囲まれて「穏やかに」亡くなったという。

フェイスブックの投稿は「UKで史上初のパンク・シングル“New Rose”」の作曲者という輝かしいキャリアを振り返るものとなっており、ザ・ローズ・オブ・ザ・ニュー・チャーチ、ザ・ドリッピング・リップス、ザ・ブライアン・ジェイムス・ギャングといったザ・ダムド以降のキャリアにも言及されている。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid0zw9vDUb5ZDUx1XMNz81XU3hU6z7Bc4iPpXe9R6kj2PJZz1LWyGuVzTu3hULELSWZl&id=100048562388590&ref=embed_post

ザ・ダムドのキャプテン・センシブルは訃報を受けて、ブライアン・ジェイムスとの写真を投稿して次のように述べている。「ザ・ダムドのクリエイターにして素晴らしい親友であるブライアン・ジェイムスが悲しくも亡くなったと聞いて、ショックを受けている。幸運にも何年も前に会うことができた素敵な奴で、パンクとして知られることになる音楽の革命の探求をするにあたって、なにかしらの理由で私を選んでくれた」

ブライアン・ジェイムスはヴォーカリストのデイヴ・ヴァニアン、ベーシストのキャプテン・センシブル、ドラマーのラット・スケイビーズと共に1976年にザ・ダムドを結成している。

ザ・ダムドは同年10月にデビュー・シングル“New Rose”をリリースしており、1977年2月にはデビュー・アルバム『地獄に堕ちた野郎ども』をリリースしている。1977年11月に『ミュージック・フォー・プレジャー』をリリースした後、ブライアン・ジェイムスはバンドを脱退している。

ザ・ダムド脱退後は短期間の活動に留まったタン・ダー・ユースを結成しており、1979年にはイギー・ポップのツアー・バンドに参加している。ブライアン・ジェイムスはポリスのドラマーであるスチュワート・コープランドが参加したソロ・シングル“Ain’t That A Shame”と“Why, Why, Why?”を1979年と1982年にリリースしている。

その後、ブライアン・ジェイムスはスティーヴ・ベイターズと共にザ・ローズ・オブ・ザ・ニュー・チャーチを始動しており、1982年から1989年の解散まで3枚のアルバムと1枚のEPをリリースしている。1988年6月にはロンドンのタウン&カントリー・クラブで行われた2公演でザ・ダムドと再結成を果たしている。

1992年から1996年にはブライアン・ジェイムスはザ・ドリッピング・リップスに参加している。2001年にはMC5のウェイン・クレイマー、ガンズ・アンド・ローゼズのダフ・マッケイガン、スチュワート・コープランド、クレム・バークと共にスーパーグループのラケッティアーズに参加しており、ラケッティアーズは『マッド・フォー・ザ・ラケット』というアルバムをリリースている。

2013年にブライアン・ジェイムスはザ・ダムドの9曲を再レコーディングしたソロ・アルバム『ダムド・イフ・アイ・ドゥ』をリリースしており、元ザ・ダムドのラット・スケイビーズと共にツアーを行っている。

2022年10月にブライアン・ジェイムスはラット・スケイビーズ、キャプテン・センシブル、デイヴ・ヴァニアンと共演を果たしている。

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