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エイメンはフロントマンであるケイシー・カオスが亡くなった。享年59歳だった。

ケイシー・カオスの訃報は所属レーベルであるクレオパトラ・レコーズの創始者であるブライアン・ペレラによって発表されている。

「心から悲しみと共にケイシー・カオスの家族や愛した人々に深いお悔やみを申し上げます」とブライアン・ペレラは述べている。「特権的なことに1993年にアメリカン・リージョン・ホールでクリスチャン・デスと共に行った忘れられないライヴでケイシーとは仕事をさせてもらいました。友人のマット・グリーン、妻のイヴォンヌと共にホールに入ると忘れられない体験になりました。しかも、ニコラス・ケイジが真ん中の最前列にいて心を奪われていました」

「ケイシー・カオスは規格外のミュージシャンだっただけでなく、まさに自身のライフスタイルを呼吸するように生きていました」とケイシー・カオスは続けている。「私たちが憧れ、尊敬したロズ・ウィリアムスや多くの苦しんだ人々と共に安らかに眠って下さい」

本名をカリム・シミエレンスキーというケイシー・カオスは1965年10月9日にニューヨーク州トレントンで生まれて、メルボルンやフロリダ州で暮らしている。10歳の頃にはプロのスケートボーダーとしてツアーを行うこととなっている。

1982年に仲間のスケートボーダーであるドゥエイン・ピーターズからカリフォルニアのパンク・バンド、ブラック・フラッグのテープを聴かされたケイシー・カオスはケイシー&ザ・スケート・パンクス名義で音楽活動を始めている。メンバーはベーシストのスコット・レイド、ドラマーのビル・アーウィン、ギタリストのケン・デクターというラインナップで、後にバンド名をディスオーダーリー・コンダクトに変更している。

その後、ケイシー・カオスはロサンゼルスに移って、バンド名をエイメンに変更している。そこでクリスチャン・デスのギタリストであるリック・アグニューと親交を深めたケイシー・カオスは1993年の彼らのアルバム『イコノロジア』にも参加して、作曲も手掛けている。

アメビックス、ソウルフライ、ストーン・サワーのドラマーであるロイ・マイヨルガは追悼の意を表して、次のように述べている。「君と知り合えて、友人と呼ぶことができて、よかったよ。ずっと惜しむことになるだろう。愛しているよ」

エイメンは4枚のスタジオ・アルバム、1994年発表のデビュー・アルバム『スレイヴ』、1999年発表の『エイメン』、2000年発表の『ウィ・ハヴ・カム・フォー・ユア・ペアレンツ』、2004年発表の『デス・ビフォア・ミュージック』をリリースしている。

キャリアを通してケイシー・カオスはクリスチャン・デスやブラック・メタルのスーパーグループであるスカムの活動も行っている。

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