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ゴスペル・ミュージックのレジェンドにしてホイットニー・ヒューストンの母親であるシシー・ヒューストンが亡くなった。享年91歳だった。

シシー・ヒューストンはアルツハイマー病のホスピスケア施設で亡くなったということで、義理の娘であるパット・ヒューストンは『ピープル』誌に声明を発表している。「私たちの心は痛みと悲しみで溢れています。私たちは家族の長を失うことになりました」

「母のシシーは私たちの人生において強くそびえ立つ存在でした。深い信仰と信念を持ち、家族、聖職、地域社会をとても大切にする女性でした。音楽&エンタテインメント界における70年以上に及ぶキャリアはこれからも私たちの心の最前線にあり続けるでしょう」

パット・ヒューストンは次のように続けている。「彼女のポピュラー・ミュージックとカルチャーへの貢献は比類なきものです。彼女が私たちと共に長い年月を過ごすことを許してくださった神に感謝して、彼女が教えてくれた人生の価値ある多くの教訓に感謝したいと思います。娘のホイットニーと孫娘のボビ・クリスティーナ、そして他の大切な家族と共に彼女が安らかに眠れますように」

エミリー・ドリンカードという名前で生まれたシシー・ヒューストンは兄妹と組んだドリンカード・フォーの一員として1938年に音楽でのキャリアを始めている。その後、彼女は1963年に姪のディー・ディー・ワーウィックとスウィート・インスピレーションズというグループを結成している。

スウィート・インスピレーションズは同じくシシーの姪であるディオンヌ・ワーウィックやオーティス・レディングのバッキング・ヴォーカルを務め、ヴァン・モリソンの“Brown Eyed Girl”、ジミ・ヘンドリックスの“Burning of the Midnight Lamp”、アレサ・フランクリンの“Ain’t No Way”のレコーディングに参加して、1969年にはエルヴィス・プレスリーのラスベガス公演でバッキング・ヴォーカルを担当している。

エミリー・ドリンカードは1970年にソロ・キャリアにも乗り出し、シシー・ヒューストンと名前を変えている。ソロ・ミュージシャンとしてゴスペル・ミュージック界で急速に名声を獲得することになった彼女だが、R&B、ソウル、ディスコのプロジェクトにも参加している。彼女は二度、1997年と1999年にグラミー賞の最優秀トラディショナル・ソウル・ゴスペル・アルバム賞を受賞している。彼女はチャカ・カーン、ポール・サイモン、ビヨンセにもバッキング・ヴォーカルを提供している。

シシー・ヒューストンは娘のホイットニー・ヒューストンのライヴでもバッキング・ヴォーカルを短期間務め、いくつかのミュージック・ビデオにも出演している。2012年にホイットニー・ヒューストンが亡くなった後、シシー・ヒューストンは回想録を刊行している。

シシー・ヒューストンの訃報を受けて追悼の声が寄せられており、ボビー・ブラウンはかつて義理の母だったシシー・ヒューストンについて次のように述べている。「この大きな喪失に対して愛と祈りをヒューストン家に送ります。安らかに力強く眠って下さい」

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