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フー・ファイターズはスティーヴ・アルビニが亡くなったことを受けて“My Hero”の演奏を彼に捧げている。

「エヴリシング・オア・ナッシング・アット・オール」ツアーの一環でノース・カロライナ州シャーロットにあるPNCミュージック・パヴィリオンで公演を行ったフー・ファイターズはスティーヴ・アルビニに追悼の意を表する時間を作っている。

ニルヴァーナの『イン・ユーテロ』やピクシーズの『サーファー・ロザ』を手掛けたスティーヴ・アルビニはシカゴにある彼のレコーディング・スタジオ、エレクトリック・オーディオで心臓発作のために亡くなっている。訃報はスタジオのスタッフによって発表されている。

「今夜、この曲は先日亡くなった友人に捧げたいと思う。ずっと前から知っている人だ」とデイヴ・グロールは観客に語っている。「あまりにも早すぎた。彼はみなさん誰しもの人生に触れてきたと思っている。スティーヴ・アルビニのことだよ。知っている人は分かるだろうし、知らない人は名前を覚えておいてほしい。スティーヴ・アルビニ。この曲は彼のために歌うよ」

フー・ファイターズが“My Hero”を捧げた映像はこちらから。

以前のインタヴューでデイヴ・グロールはスティーヴ・アルビニについて次のように語っている。「彼は最も頭が良く、シニカルなプロデューサーにして音楽評論家であり、バンド・リーダーにして御意見番で、誰もが彼のことを恐れていた。それで彼の写真を見たら、痩せた小さな男だった。彼は何においても誰よりも頭が良く、気が効いていて、善良な人物だった」

「そして、彼は僕らの好きなレコードをたくさん作ってきた。彼がピクシーズのレコードを作り、ブリーダーズのレコードを作り、ジーザス・リザードのレコードを作った。だから、彼とレコーディングすることになった時は緊張している自分がいた。どんな人かも知っていたし、自分はバカな奴だったから嫌われると思っていた。でも、すごく大切に扱ってくれて、うまくいったんだ。自分はドラマーだったしね」

「でも、彼は唯一無二の人で、この話をする機会をもらえて嬉しいよ。彼はミュージシャンにとってだけでなく、この業界にとって、従来のビジネスの枠にとらわれない考え方を示している素晴らしいお手本だと思うからね。彼はリアルで、感情のこもったことをやるために生き、その品位が揺るぐことはない。彼は意志を曲げることはないし、正しい理由については断固としている。だから、彼のことを死ぬほど好きなんだ。すごい人だと思う」

昨年、クリス・ノヴォゼリックはスティーヴ・アルビニと仕事をしたことについて次のように語っている。「カートはスティーヴ・アルビニのファンだった。1989年にツアーのヴァンに乗っている時にカートはピクシーズを聴いていて、親指を上げて、『俺たちのスネアもこういうサウンドにしたいな』と言っていたのを覚えている。ずっとスティーヴ・アルビニとやりたかったんだよ」

昨年、スティーヴ・アルビニは『イン・ユーテロ』のレコーディング時にカート・コバーンがビッグ・ブラックが1987年に行った最後のライヴで壊したギターの破片を持ってきた時のことを振り返っている。

「『イン・ユーテロ』のセッションの何年も前に私のバンド、ビッグ・ブラックの最後のツアーを行ったんだ。最後の公演はシアトルの工場跡地かなんかだった」とスティーヴ・アルビニは語っている。「変わった建物で間に合わせのステージがあった。素晴らしいライヴで、最後に機材を全部破壊したんだ。キッズがステージのギターの破片を持って帰っていいかと訊いてきたから、『どうぞ。もうゴミだから』と言ったよ」

「何年も経って、ミネソタ州で『イン・ユーテロ』に取り組んでいる時にカート・コバーンが保管していたギターの破片を見せてくれた。ずっと何年も持っていてくれたんだ。彼があの時のキッズだったんだよ」

訃報を受けて、ニルヴァーナのソーシャル・メディア・アカウントは『イン・ユーテロ』のプロデュースを提案するためにスティーヴ・アルビニから送られてきた4ページに及ぶ手紙をすべて公開している。

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