スティーヴ・アルビニは『NME』のインタヴューでニルヴァーナの『イン・ユーテロ』や「知的で気取らず、愉快だった」マニック・ストリート・プリーチャーズとの仕事などを振り返っている。
ピクシーズ、ブリーダーズ、ユアコードネームイズ:マイロー、PJハーヴェイらと仕事をしてきたスティーヴ・アルビニはシカゴのエレクトリカル・オーディオ・スタジオでインタヴューに答え、ニルヴァーナの『イン・ユーテロ』とずっと関連付けられることは烙印だとは思っていないと語っている。
「普通のことだと思うし、完全に理にかなっていると思うよ」とスティーヴ・アルビニは『NME』に語っている。「僕について知らない人に僕を紹介するとしたら、僕が手掛けた最も有名な作品を挙げるだろ。『イン・ユーテロ』は最も有名な作品だからね」
スティーヴ・アルビニは全世界で成功を収めた『ネヴァーマインド』の次の作品を手掛けたことは「ごくごく普通のこと」だったとしつつも、セッションの存在は知られないようにしていたと述べている。
「通常のセッションと何も違うところはなかったよ」と彼は語っている。「彼らがすごく有名だったことを除けばね。ファンやくだらないことによって邪魔されないように、秘密にするためにできる限りのことはしなければならなかった。でも、変わっていたのはそこだけだよ」
ミネアポリスから80kmのスタジオでレコーディングは行われたが、一大現象とも言えるニルヴァーナの名声のために彼とニルヴァーナは「人々に邪魔されない場所で」アルバムに取り組むことを求めていたという。
「バンドが付き合いで知っていた人たちからは十分に離れていたし、毎日テレビのクルーが付いてくることもなければ、商売をするドラッグのディーラーもいなかった」とスティーヴ・アルビニは語っている。「噂が外に出ないようにしなければならなかった。スタジオは独立したスタジオで、働いている人の数も少数だったけど、彼らにも秘密を知られたくなかった。それで、サイモン・リッチー・バンドという偽名を使って、自分のアカウントで予約していた。そう、シド・ヴィシャスの本名だよ」
「始まる前日に運送会社から航空貨物が届き始めるまで誰も知らなかった。ケースの横にはニルヴァーナの名前がスプレーで描かれていた。そうなるまで、スタジオのオーナーでさえ、そこでニルヴァーナがレコーディングすることを知らなかったんだ」
スティーヴ・アルビニはプロデューサーというより「レコーディング・エンジニア」を自称しているが、ニルヴァーナとの仕事はスムーズなもので、カート・コバーンと以前に出会っていた時のことを懐かしく振り返っている。
「『イン・ユーテロ』のセッションの何年も前に私のバンド、ビッグ・ブラックの最後のツアーを行ったんだ。最後の公演はシアトルの工場跡地かなんかだった」とスティーヴ・アルビニは語っている。「変わった建物で間に合わせのステージがあった。素晴らしいライヴで、最後に機材を全部破壊したんだ。キッズがステージのギターの破片を持って帰っていいかと訊いてきたから、『どうぞ。もうゴミだから』と言ったよ」
「何年も経って、ミネソタ州で『イン・ユーテロ』に取り組んでいる時にカート・コバーンが保管していたギターの破片を見せてくれた。ずっと何年も持っていてくれたんだ。彼があの時のキッズだったんだよ」
スティーヴ・アルビニは先日14周年を迎えた『ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ』でマニック・ストリート・プリーチャーズとも仕事をしている。この作品は1994年発表の『ホーリー・バイブル』のポスト・パンク・サウンドに回帰したアルバムで、消息不明のリッチー・エドワーズが残した散文が引用されている。レコーディングはウェールズのロックフィールド・スタジオで行われた。
「初めて彼らに接したのはアルバムをやることについてやりとりをしている時だった」とスティーヴ・アルビニは振り返っている。「作品のコンセプトを説明してくれたから、『彼の歌詞を使ってアルバムを作って捧げるというのは君たちの友人にとって素敵なことに思えるよ』と言ったんだ。美しい振る舞いだよね」
スティーヴ・アルビニは次のように続けている。「彼らはアティテュードが素晴らしかったし、一緒にいるのも大好きだった。素敵な奴らで、知的で気取らず、愉快だった。魅力的な連中だったよ」
マニック・ストリート・プリーチャーズとスティーヴ・アルビニは政治信条の面でも絆があったという。「自分も左派だし、彼らも左派だった。だから、社会的な側面でも一致したんだ」と彼は説明している。「さらに重要だったのは、バンドをやること、ツアーをすること、無一文でやりくりしていたこと、手作り感のある方法を使うこと、そういう土台となる体験が共通していたんだ」
「彼らは成功を収め、プロフェッショナルになっていた。彼らは自力でのし上がってきたから、その点をよく理解していた。路上で弾き語りをして、ひどいライヴをやり、廃屋で演奏したりして、ヘッドライナーを務めるまで登りつめた。彼らはそれを謳歌していたけど、そうする権利があったんだ」
「手につばを吐いて、アルバムを作ることに何の迷いもなかった。彼らには腰ぎんちゃくや取り巻きなんて必要なかったんだ」
マニック・ストリート・プリーチャーズが現在60歳を迎えたスティーヴ・アルビニの長年のファンということもあり、彼らと仕事をしたのはいい思い出だが、当時、妻が病気になってしまったことが暗い影を落としているという。
「ウェールズでのセッションは楽しかったよ。あのアルバムをやっている時、自分の気持ちが100%でなかったことを思うと、申し訳なく思うし、バツの悪いところがあるんだけどね」とスティーヴ・アルビニは語っている。「妻が食中毒からの合併症になってね。まだ簡単にコミュニケーションが取れる時代ではなくて、携帯電話さえも持っていなかったんだ。だから、マニックスとの仕事はかなりの時間、心ここにあらずという部分もあって、それが悔やまれるんだよ。アルバム自体は素晴らしい出来になったと思うけどね」
謙虚なスティーヴ・アルビニはニルヴァーナとマニック・ストリート・プリーチャーズの作品についてカート・コバーンやリッチー・エドワーズのような人物の場合、マスコミが音楽に付け加える神話を探しているだけだとして自身の与えた影響を否定している。
「音楽シーンの二次的な部分にはある種の傾向があると思っているんだ」と彼は語っている。「批評家、レコード会社、宣伝関係の人物というのは更なる物語を見つけようとする。『スティーヴ・アルビニという人物がこれらの作品には関わっている。別のストーリーを追える筋書きがあるかどうか見てみよう』ってね。正直、その大半は表面的なものなんじゃないかな」
「自分はUKの人たちほどリッチー・エドワーズの神話に入り込んでいない。ウェールズの人たちがお守りのように、あのバンドのことを大切にしているのは知っているよ。そこは全部、分かっている。おそらく僕はそうした逸話を語るのに、ふさわしくない人物なんだと思うな。とにかく、どちらのアルバムでも僕の役割というのは脚注ぐらいのものなんだ。アルバムを作っている時にその場にいて、ちょっとだけ仕事をしたということだよ」
スティーヴ・アルビニはこれらの名作について自身の影響よりも「素晴らしいバンド」が「信じた素晴らしい楽曲」に由来するものだと論じている。
「僕が大きな影響を与えたと言われると、変な感じがするんだよ」と彼は語っている。「スポーツの試合でスタジアムにいるけど、勝敗には何の関係もない、みたいにね。自分にとってはそういう経験なんだ。あの時、その場にはいたけど、フィールドには立っていない。誰が椅子に座っていても、いいアルバムにはなったのに、不当な注目を集めている感じがするんだよね」
「もしも僕が秘密兵器で、魔法の妖精だったとしたら、あの年、僕が手掛けたレコードはすべて影響力のある大ヒットになっていたはずなんだ。あの年は100枚ぐらいのレコードを手掛けたからね」
政治的な発言でも知られるスティーヴ・アルビニは先のシカゴ市長選挙で民主党のブランドン・ジョンソンが勝利したことに励まされたとしながら、この選挙結果は「一種の分水嶺」であると同時に「シカゴの小さな勝利に過ぎない」とも評している。
「共和党候補のポール・ヴァラスは桁外れの役立たずなんだけど、莫大な金を選挙に投入したんだ」と彼は語っている。「典型的な共和党員で、警察側に立ち、保守的な法と秩序を求めるシカゴの右翼政治家の好例だよ。そんな奴が元教育者であり、郡委員であり、教員組合の組合員であった人物と対決したんだ」
「ブランドン・ジョンソンは私が共感できるシカゴ政界の進歩的な部分を担っていた。シカゴの人々の政治的意志が十分な資金を投入すればその人が勝つというような機械政治を圧倒するのを見られたのは喜ばしいことだったね。それが屈服するのを見るのは素晴らしかったよ。希望をもらったね」
自身の今後についてスティーヴ・アルビニは次のように続けている。「設備がある限りは仕事を続けたいと思っているよ」
スティーヴ・アルビニのバンドであるシェラックは来月行われるプリマヴェーラ・サウンドに出演することが決定している。
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