1995年3月1日、ロンドンのとある駐車場に大型の黒のリムジンが静かに入ってきた。そのそばでは、2人の若者がスチール製の高いフェンスに顔を押し当てている。すぐ横にはウェンブリー・スタジアムのツイン・タワーがそびえている。彼らは早口で喋り、腕時計を確認しながら、自分たちのヒーローを一目見ようと落ち着かない様子で待ち構えていた。
リムジンのドアが開くと、彼らはいっそう強くフェンスの手すりの上に乗り出そうとした。しかしその時、大きな手が彼らへ伸びてきた。「お前たち、そろそろやめるんだ」。低い声が響く。彼らは振り返り、その警備員の目をじっと見た。一瞬、彼らは混乱した。リムジンのドアが閉じる音が聞こえた。彼らはすぐさま振り向いたが、時すでに遅しと分かり、落胆した。彼らが姿を見ようと待ち望んでいた男は去ってしまった後だった。
ゲートを越えると、高級車が何台も並んでいた。色付き窓ガラスのしゃれた長距離バスも停まっている。ウェンブリー・アリーナの中へ通じるドアは開いていた。4人の人間がこのドアをすり抜け、長く伸びた黒いケーブルをまたいでいく。フライトケースの上に横たわる裸のマネキンを横目に、固い制服に身を包んだ2人の警備員が並ぶ薄暗い廊下を進んだ。
突然、灰色のドアの向こうから小柄な男が現れた。彼は長いヴェルヴェットのコートを着ていて、ピンク色のナプキンで包まれたパンを食べていた。4人が少しずつ近づくと、細い針金のような口ひげ、見事な黒髪、そして大きな茶色の目と優美なゴールドの宝石が目に入った。
「この人たちは誰?」立ち入り禁止の敷居を越えた人間たちを一瞥し、その小柄なスターは訊ねた。彼の広報担当が4人はジャーナリストであることを説明する。スーパースターは了解して頷くと、ウェンブリー・アリーナのステージへ続く階段へと進んだ。
「またすぐ後で」。そう言って、彼は去っていった。
話は1994年12月に戻る。「以前はプリンスとして知られていたアーティスト」は、自身の広報担当と話し込んでいた。所属レコード会社であるワーナー・ブラザーズとの間で続いている争いや、リリースされていないニュー・アルバム『ゴールド・エクスペリエンス』、そして次のワールド・ツアーについて議論していた。
彼は人々が自身をどう思っているのか訊ねていた。前代未聞の4年がかりのワールド・ツアーを計画している巨万の富を稼ぐメガスターに、人々は何を求めるだろうか。一般大衆は、彼の伝説のような沈黙が破られることを望むだろうか。彼が自身の音楽について語り、なぜ数々の神話を取り払ってまで、あのプリンスとして知られていたアーティストを葬り去ったのか、説明することを求めているだろうか。
彼の心の中では答えはイエスと決まっていたのだが、「またインタヴューを受けたほうがいいと思うかい?」と彼は訊いた。広報担当は語るべきだと言い、人々にとって遠い存在でいるのは1980年代のやり方で、今の一般大衆は自分たちのヒーローが話すのを聞きたがるのだと説明した。「マイケル・ジャクソンでさえ、テレビのインタヴューを受けています」と続けている。「あなたもやるべきです」
時は1995年2月20日へ飛ぶ。プリンスと彼の広報担当はブリット・アウォーズの会場のテーブルについていた。1人350ドル(約3万8,000円)の彼らの席は、ワーナー・ブラザーズの公式テーブルからわずか1メートルほどしか離れていなかった。2人ともそっちのテーブルを鼻であしらい、元プリンス、つまり「TAFKAP(以前はプリンスとして知られていたアーティスト)」の右頬には「SLAVE(奴隷)」という文字が書かれていた。それは彼が制作したアルバムの在庫を発売することを拒否したレコード会社に対する明白な抗議の言葉だった。
やがてプリンスはテーブルを離れ、インターナショナル男性ソロ・アーティスト賞を受賞するためステージへ向かっていった。ステージに立つと、彼は特徴的な謎めいたスピーチをした。「プリンス? ベスト? 『ゴールド・エクスペリエンス』、まあまあだね。ワイルドにいこう。コンサートでは完全に自由だ。でも、レコードでは奴隷。皆さんに平和を」
居合わせた賓客陣は静かに彼を嘲笑していた。1億ドル(約111億円)のレコード契約を結んだ男が、どうやったら自らを「奴隷」と呼べるのか。さらに悪いことに、4部門を受賞したブラーのデイヴ・ロウントゥリーが、「DAVE」という文字を頬に走り書きしていた。翌日の朝刊の見出しで名前が踊ったのは象徴的カリスマではなく、デイヴ・ロウントゥリーの方だった。夜が更け、「話すよ」と、プリンスは言った。「ツアーの前に話をする」
ツアーの2日前、プリンスは彼のバンドの猛リハーサルを敢行していた。ウェンブリー・アリーナは25万ドル(約2780万)相当の「エンドルフィンマシーン(エンドルフィン分泌腺を模倣したセット)」を備えており、プリンスは毎晩ここで、疲れ果てて、それ以上続けられなくなる午前2時頃まで、バンドとセッションを行っていた。彼は1週間ロンドンに滞在し、演奏の練習をしたり、パーティをしたり、エリック・クラプトンのライヴをロイヤル・アルバート・ホールで観たり、偽のレズビアンのロックグループ、フェム・トゥー・フェムをロンドンのアストリアで観たりしていた。
しかし、この日、プリンスの思考はその巨大なツアーの開始に集中していた。「1998年にニューヨークでフィナーレを迎えるんだ」と彼は語っている。「僕らの友だちをみんな呼ぶのさ。スペシャルなものになるね」
プリンスの取り巻きは膨大な人数だ。5人のボディガードが彼の楽屋の外に配置されていた。全員、非常に整った身なりで、制作室と連絡を取る小さな茶色のイヤホンをしていた。1人は耳からあごにかけて20センチぐらいの傷跡があり、別の1人は溢れるほどの宝石にまみれており、さらに別の1人はスキンヘッドで一分の隙もなくプレスの効いたスーツに身を包み、その鋭い目つきは「ごまかせるなんて夢にも思うな」と語っていた。
楽屋の外は白い壁と青いゴム製の床の長い廊下になっていた。その先には6つの部屋があり、彼のダンサーやバックバンドがせわしなく動き回るメイクアップ・ルームやヘアメイク・ブース、そして巨大な衣裳部屋などがあった。その中の1室には赤いヴェルヴェットで覆われた長いソファが置いてあった。また別の部屋では2人の女性が着替えながら笑ったり冗談を言ったりしていた。すべての部屋に花のような香料の匂いが充満していた。
私たちはプリンスと話をする許可を得る前、前提条件をリストアップした文書を渡されていた。テープレコーダー、メモ帳、筆記用具、カメラは持ち込み禁止。インタヴューは厳密に20分で、いつでも中断できる。
「中に入る前にチェックがある」と警告された。それは正しかった。プリンスの部屋のドアの前でボディガードがジャーナリストを壁の前に立たせ、徹底したボディチェックを行う。問題ないことを確認すると、ボディガードはドアをノックし、セキュリティ・ロックのコードを入力してジャーナリストの後ろにピタリと立つ。
プリンスはジャーナリストが中に入ると立ち上がり、挨拶としてあたたかな手を差し伸べた。そして座った。彼の部屋は驚くほど狭かった。テラスハウスの平均的な居間の広さだ。一方の壁に巨大な鏡があり、テーブルの上にはオレンジ、パン、陶器のカップとソーサーのセット、よくある電気ケトル、そしてたくさんの蝋燭が置いてあった。部屋の角に2鉢の観葉植物が枝を広げており、部屋の中央には中くらいの大きさのテーブル、2つの大きな革製のソファがあって、ソファは紫、赤、緑のヴェルヴェットのドレープが掛かっていた。
当然ながら、部屋の一角は巨大なテレビとオーディオが占めており、床の上には大きな2つのスピーカーがあった。さらに別の壁には2つの観音開きのスライドドアがあり、プリンス専用の更衣室へと続いていた。そこは鏡張りの部屋で、無数のヘアスプレー、保湿剤、そしてメイク道具や香水の瓶が並んでいた。
部屋の中央にあるソファの片方に座ったプリンスの左頬には「SLAVE」の文字が書かれていた。青のオールインワンに身を包んでいたが、ウエスト部分にカットが入っていて、彼の張り詰めた細い肉体が見えた。青いスエードのアンクル・ブーツ、大きなラップアラウンド・フレームの黒のサングラス、ゴールドのネックレスをつけていて、ネックレスに付いたコインのような円が胸のところまで垂れ下がっていた。彼の広報担当は部屋を離れ、リハーサルの騒音はドアが閉まると同時に消え去った。プリンスはソファで身をくつろがせている。
やっと、話ができる……。
プリンスにとっての大きな問題は、ワーナー・ブラザーズとのレコーディング契約だった。その契約では1年に1枚を超えない範囲で、計4枚のニュー・アルバムが要求されていた。レコード会社は最大のセールスを得るために、2~3年ごとに1枚を理想としてLPをリリースしたがったのだ。プリンスと契約したワーナー・ブラザーズは、シングル1枚、アルバム1枚、それから数枚のシングルを出し、『パープル・レイン』の1000万枚超のセールスに到達するのを眺めて待つ算段だった。
しかし、プリンスは、自身の多産な作曲とレコーディングに見合うペースで、6ヶ月ごと、あるいはそれよりも頻繁にLPをリリースしたいと思っていた。彼はワーナー・ブラザーズの経営陣と協議を重ね、両者は何度も歩み寄りを試みてきた。しかし、合意は得られなかった。もうやめたいと、プリンスは考えていた。
「プリンス&ザ・ニュー・パワー・ジェネレーションの素晴らしいアルバムが出来上がってるんだ」と彼は語っている。「でも、ワーナーはリリースしたがらない。もし彼らが僕の自由にさせてくれて、これ(『ゴールド・エクスペリエンス』のCDを1枚掲げてみせた)をリリースさせてくれたら、マドンナだって同じようにしたがるさ」
「僕はあるギター雑誌とのコラボで、ブルース・ギターのレコードを70万枚作りたかったけど、ワーナーはそうさせてくれなかった。僕はAサイドだけのニュー・シングルを出して、みんなにまた来年Bサイドを買ってくれと言いたかったんだ。レコード会社は自分たちがアメリカを動かしていると思ってる人たちが経営してる。彼らは自分たちが一番利口だと思っているけど、そうじゃない。彼らは僕の心の中で何が起こってるのか知らないのさ」
プリンスは、インターネット上で音楽をリリースできると言った(最近『ゴールド・エクスペリエンス』の広告がインターネット上に出たが、リリース日程には「Never!(発売日なし!)」と書かれていた)。ほどんどの人はネットにアクセスできないと指摘すると、彼はせせら笑って言った。「何とかするさ」
「ひとたびインターネットが現実的なものになってしまえば、音楽ビジネスは終わる。レコード会社が存在する必要が一切なくなるからね。もし僕の音楽を君に直接送れるとしたら、音楽ビジネスに何の意味があるんだい?」
ワーナー・ブラザーズに関してプリンスが抱える主な悩みは、彼らが理解しないということだった。しかし、彼は現状は気にならないと繰り返し、その問題が彼の作曲とレコーディングの能力に影響を与えることはないと言った。端的に言って、それは彼を落ち込ませる類のものではないということだ。
「彼らは僕を分かってない。僕は彼らのことを分かってるよ。僕は彼らのためにこれから4年間、毎年1枚のアルバムを作ってやるさ。裁判所に訴えたりはしないよ。メディアは裁判沙汰になるなんて言ってるけど、それらは全部でっち上げさ。訴えるもんか。僕は明日にでも4枚アルバムを彼らに渡せるけど、彼らがそれを望まないんだ」
―1998年に契約が切れるまで、どうするんですか?
「契約終了までツアーするつもりさ。1998年のニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンのショウをすでに押さえてある。そこに大勢の人を集めるつもりだよ。それまでツアーを続けるね。ステージに立つこと、そして演奏することが大好きなんだ。それに僕は体が丈夫だしね。疲れ知らずなんだ」
プリンスが沈黙を破った理由の1つは、自身が巻き込まれたような契約に関する争いを若手のミュージシャンが経験しなくてすむようにするためだったという。
「若手のミュージシャンを助けたいね。こういう状況に陥ってほしくない。もう16年、こういう世界でやってきたから、どういう仕組みか分かるんだ。マネージャーはいろんなことを知ってるから、契約が始まったときには何も言わない。自分にとって得策ではないからね。アーティストに知ってほしいことしか伝えない。言ってる意味が分かるかい?」
「だが、恨んでない。怒ってもないよ。モー・オースティン(ワーナー・ブラザーズの役員)が、僕の改名後に“The Most Beautiful Girl In The World”をリリースさせてくれたんだ。だから僕はあの男が一生好きだ。ワーナーとは問題ない。満足してる」
―では、なぜ顔に「SLAVE(奴隷)」と書いてるんですか?
「僕は真実の奴隷なんだ。それを忘れずにいたいのさ。僕はワーナー・ブラザーズの社長の奴隷じゃない。これはワーナーに恥をかかせるためじゃない。どうしてこんなことをするかって? 理解してほしい。嫌がらせをする必要はないんだ。そういうことじゃない。奴らに怒ってるわけでもない。ただ、思い起こさせるためにあるだけだ」
プリンスは契約について語る時、生き生きとしている。ソファの端に前かがみで座り、手は宙を舞い、世界の人に聞いてほしいと哀願している。彼はワーナー・ブラザーズを法的に即座に打ち負かす手段がないことを分かっている。アメリカの契約に関する法律はイギリスよりも厳しい。そして、彼はジョージ・マイケルがレーベル会社を相手に起こした訴訟がどうなったかを見ている。費用がかかった法的闘争はジョージ・マイケルの敗北に終わり、解決するのに最高5年かかるとの見通しもある。
プリンスは「あのケースで何が起こったかを見た。ジョージ・マイケルと同じ轍を踏みたくはないんだ」と続けている。
実際に会って目にしたプリンスは、1978年のデビュー以降、彼が周りに着実に作り上げてきた俗離れしたイメージからはほど遠い人物に見えた。居心地のよいソファに座っているこの男と、イルカとして生まれ変わりを夢見て、オーストラリア国営ラジオの人気投票で多くの票を獲得し、大規模なアウォードの受賞スピーチで「ありがとう、神様」とつぶやくポップ・スターを同一人物だと考えるのは難しい。ちなみに、オーストラリアでは彼を新たに「Davo」(Daveと呼ばれる人へ向けられる愛情のこもった砕けたニックネームを想像してもらえればいい)と命名したがっている。しかしプリンスの楽屋はIKEAで35ポンド(約5,600円)で買えそうな安っぽいラグのある、基本的に少々あか抜けない私室だった。
ー人々に、あなたはイカれていると思われていることは心配ですか?
「いや」。彼はソファに身を沈めて笑っている。「気にしないさ。イカれてると思われても、平気だね。僕は他人にそう思ってほしいんだ。だけど、実際は僕は自分をコントロールできてる。(アルバム『ゴールド・エクスペリエンス』のジャケットに描かれたプリンスのシンボルを指差して)これになる前は違った。僕には主導権がなかった。次の2枚のアルバムがどうなるのかさえ分からなかった。だけど、今は次の2枚のアルバムがどんなものになるか知ってる。他の人間の思惑にははまらないさ。僕には主導権がある、他の人が僕をイカれてると言ったって気にしない。構わないさ」
ーですが正気のままなら、なぜ名前をプリンスからこのシンボルに変えたのですか?
「このシンボルになったとき、物の見方がガラリと変わったんだ。その時と比べて今がどういう気持ちかは説明できない。すべてを大っぴらに話して神秘的な要素を壊すことはしたくないんだ。もし皆が“Purple Rain”を聴くためだけに会いに来てくれたなら、それは申し訳ない。今は僕はこのアルバムの曲を演奏している。時々は、プリンスだった頃の曲を演奏するだろうけどね。僕がどういう人間なのかを、みんなに理解してほしいだけなんだ。君は、僕がバカだとみんなに伝えることもできる。僕はただ君に助けてほしいだけなんだ。みんなに理解してもらいたい。僕が気にしているのは、君のジャーナリストとしての手腕だけ。君がどれほど明確に物事を伝えられるかということだけだよ」
ーですが、もしそんなにも強烈に人々に理解してほしいのなら、なぜインタヴューでジャーナリストがメモを取ることや録音をすることを禁じるのですか?
「君はそんなことする必要なんてないよ。完璧な心を持ってるからね」
ー完璧なんかじゃありませんよ!
「君は大事なことだけ覚えているだろう」
ドアをノックする音がして、プリンスの広報担当が再びやって来た。20分のインタヴューがもうすぐ終わろうとしていたが、まだ訊いていない質問が山ほどあった。だが、プリンスはソファで笑い転げて、自分の伝えたいことを述べて、気分よく、陽気そうだ。
彼の広報担当はドアの前に立っていたが、プリンスが左手で出て行くよう合図をすると、「あと数分です」と言い残して去っていった。そしてまた、私たちだけになった。
―では、あなたの悪習について教えてください。
「悪習って何?」
―自滅的になり得る習慣です。
「分からないな」
―では、セックスへのこだわりはどうですか?
空気が張りつめ、プリンスは動揺した様子でブーツを叩いている。彼は(噂になった)カイリー・ミノーグやダンサーのマイテ・ガルシアと性的な関係にあったかどうかについては口を閉ざした。
「僕は“セックス”という言葉を使わないし、“美”という言葉も使わない。これらは僕が使えない2つの言葉なんだ。だって、人によって意味合いが違うからね。僕は君にどんなセックスをするかなんて尋ねないだろう」
そしてまた彼は笑って、手を叩きながらソファに倒れこんだ。
―ではドラッグは? 使いますか?
「僕はあらゆる事に興味があるんだ」
―イエスということですか?
「そうは言ってない。ただ、僕がドラッグを使っているかどうかに人々が興味を持っているとは思わない。君がドラッグしてるかなんて僕は興味ないよ。そのことについてはここら辺にしておいた方がいいと思う」
―ですが、あなたは人々の憧れの……
プリンスは笑うのをやめた。
「何て言ったんだい?」
―人々はあなたを憧れの存在として見ています。あなたのポジションに入れるのはほんの一握りの人だけです。
「僕は自分自身をそんな風には見てない。まったくね。みんな、僕がドラッグを使ってるかなんて気にするかな? みんな僕に興味なんてないよ。自分を偶像化したことはない。もし僕が偶像化されてるなら、他の人たちがそうしたんだ」
―マイケル・ジャクソンのような存在に対して何か思うことはありますか?
「マイケル・ジャクソンについて話すことはできるけど、それはジャーナリストが仕事で書くようなことと大差ないよ。だから、そんなの意味がない。マイケルに会ったことはあるよ。彼は他のどんな人よりもインパクトのある発言ができる人だね」
インタヴューが始まった時からずっと、プリンスはサングラスを掛けている。サングラスをしていると守りの構えになり、気持ちがオープンになりにくいからと説得して、外すように頼んだ。
「分かった」と彼は答え、鼻筋までサングラスを下げてくれた。「サングラスをしているのは眠いから。目が充血してるんだ。リハーサルをしていたからね。これは、ただ目を保護するためだけだよ」。そう言って、シンボルはまたサングラスを元の位置に戻した。
―いつもリラックスしていますか?
「いや」
―リラックスできたらいいのにと思う?
「そうだね」
―どんな風にリラックスしようと心がけますか?
すると突然、プリンスを飾っていたものが消え去った。常時無敵のスーパースターの雰囲気がなくなった。彼は声を低くして、ソファにまっすぐ座り、床を見て、突如不確かになった。
「唯一穏やかでいられる時間は1人でいる時さ。そして、それが実現するのは唯一、神といる時だ。僕は時々そうする。幸せじゃないような時にね。神は僕がやっていること、すなわち僕自身の音楽をやり続けるように言うんだ。僕はいつもハッピーさ。悲しくなんてならない。スローダウンすることもない。常に音楽で忙しいんだ」
―つまり……
「あっ、呼ばれてる。もうリハーサルに戻らなくちゃいけない」
インタヴューは終了した。翌日にインタヴューの続きを行いたいという要求は、プリンスによって却下された。5人のジャーナリストが、「ケータリング」と呼ばれる部屋でテーブルを囲む。彼らはたばこを立て続けに吸い、各々のインタヴューで得たすべての発言を思い出そうと、記憶を必死に呼び起こしていた。
あるジャーナリストは、その状況がどんなに奇妙で現実離れしたものだったか語った。「あれをすべて記憶するなんて難しい。僕はそこにただ座って考えていたんだ。『これを覚えてなくちゃいけないのか』ってね。無理だよ」
テーブルの反対側では5人のアメリカ人ローディーが、泡の多いビールや世界で最も濃いコーヒー、アメリカでの車からの発砲事件の数について、2人のイギリス人ローディーに話しかけている。プリンスのスタッフの1人が入ってきて、部屋をざっと見渡すと、声高に「ああ、間違えちまった」と言って、出ていった。楽屋と衣装部屋がある辺りでは、悪魔のような格好や大胆な衣装を身に纏った人が行き交う。
そして、ジャーナリストたちはプリンスが去った後の彼の楽屋に戻り、ボディガードとともに『ゴールド・エクスペリエンス』のアルバムを聴いた。2人の女性が入ってきて、化粧品を補充しにプリンスの更衣室へ直行した。プリンスの広報担当者も戻り、床に座って、ニュー・アルバムに圧倒されて頭を振っている。
私たちが去る時も、プリンスはウェンブリーの広いステージの上でリハーサルを続けていた。私たちはプリンスについて、不可視性を求めて人生から現実を払いのけてきたコントロール・フリークであるという印象を抱いた。彼は自分自身のアイデンティティを殺し、プリンス・ロジャース・ネルソンという名を受け入れず、とても根の深いパラノイアを抱えている。
彼は自分自身をただの奴隷に過ぎないと考える、恐ろしくクリエイティブな商業的成功者だった。
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