『ONCE ダブリンの街角で』や『はじまりのうた』など、音楽を見事に、そして大切に描いた映画で一躍人気となったジョン・カーニー監督の最新作『シング・ストリート 未来へのうた』(配給:ギャガ http://gaga.ne.jp/singstreet/ )が、7月の公開以来、スマッシュ・ヒットを記録している。監督の故郷でもあるアイルランドのダブリンを舞台に、バンド結成を通じて成長していく80年代の少年の青春を描いた同作は、監督の自伝的作品とも言われ、その当時に多感な時期を過ごした世代はもちろん、その頃には生まれていない現役青春世代まで、幅広く人気を博している。
そこで、NME Japanでは、この映画の端々に登場した80年代の音楽を踏まえつつ、勝手な妄想も含め、ぜひ映画と併せて体験していただきたい20曲を御紹介します。なお、多少のネタバレが含まれていますが、この20曲とそれにまつわるエピソードを知ったところで、この映画の本質的に素晴らしい部分がわかるわけではないことをお断りすると共に、後でも先でもいいので、映画を観て、素直に感動することをオススメします。
1. デュラン・デュラン “Planet Earth”
最初に言っておくと、この作品の舞台は「1985年のダブリン」ということになっているけれども、音楽的な背景としては、ざーっくり「80年代初頭から中盤のシーン」という感じだと思う。それこそ、今から30年前の世界の話を、当時を知らない世代(実際、映画館も多くの若い観客で満員になっていた)が共感して感動できるストーリーにするのに、そこまで細かい正確さは必要ない。ないが、それでいうと、劇中で主人公・コナーのインスピレーションになっていたデュラン・デュランだが、テレビで見ていた”Rio”は、1982年にイギリスでヒットしており、85年よりちょっと前である(85年のデュラン・デュランは『007』のテーマを歌っていた)。もっと言うと、コナーたちがファッションも含めて真似しようとしたのは、彼らがニュー・ロマンティックの騎手として登場した、デビュー当時の彼らのイメージのほうが近いと思う。これは、そんな彼らの記念すべきデビュー曲(81年)。
2. フィル・ライノット “Yellow Pearl”
イギリス・BBCテレビによる『Top Of The Pops (TOTP)』は64年にスタートした番組だが、78年からアイルランドでも放送が始まったらしい。チャート紹介を交えつつ、スタジオ・ライヴが中心の番組だったが、アーティストが出演できない場合は、お抱えダンサーたちが踊るのに併せて、曲が流れるという演出だった。それが80年代前後から、アーティスト自身のミュージック・ビデオで代用されるようになった。インターネットはおろか、MTVのような衛星系音楽チャンネルも一般的ではなかった時代、アイルランドに限らず本国イギリスでも、動くアーティストを見ることができる貴重な機会だったのである。そんな番組の、81年から86年の番組テーマ曲だったのがコレ。フィル・ライノットは、シン・リジィというハード・ロック・バンドのメンバーだった人だから、日本のシン・リジィのファンですら、このテクノ風楽曲の存在は意外かもしれない。
3. ウルトラヴォックス “Vienna”
で、上記の”Yellow Pearl”を、フィル・ライノットと共作したミッジ・ユーロ (ミッジ・ユーア、が本来の発音に近いのだが、日本では長年「ユーロ」という表記でおなじみ)が率いていたのが、こちらのウルトラヴォックス。劇中でコナーが、自身のバンドのコンセプトを聞かれた際、「フューチャリスト」というタームで説明し、「デペッシュ・モードみたいなやつか?」と問い返されるくだりがあるが、フューチャリスというと、デペッシュよりはむしろ、1980年代初頭のデュラン・デュランやこのバンド(、さらにはミッジがプロデュースしていたヴィサージュなど)のほうがこの言葉で語られていた。本国イギリスでは、「最高位2位の名曲」として名高いが、アイルランドでは1位を獲得している。
4. デペッシュ・モード “The Meaning Of Love”
では、80年代初頭のデペッシュ・モードはどんなだったかというと、この曲(82年イギリスで最高位12位)のビデオを見ればわかるとおり、「インディ界が生んだ初のアイドル」といわれていたくらいキュートで、(エレクトロ・サウンドでありながらも)”フューチャリスト”というにはあまりにも親近感があり、ポップだった。逆に85年になると、音楽性が高まってきて、むやみに真似できる音楽ではなくなっていた。
5. ザ・スペシャルズ “Ghost Town”
映画では、80年代不況下にあるダブリンが描かれているが、コナーが憧れていたお隣イギリスも、サッチャリズムによる痛みを伴う改革が身を結ぶまでは、不況にあえいでいた。この曲は1981年の全英No.1ヒットだが、2トーンの中心的存在だったスペシャルズが、英国ツアー中に目の当たりにした都市の荒廃、暴力、絶望にインスパイアされて生み出した楽曲である。アイルランドでも1位を獲得した楽曲となっている。
6. ファン・ボーイ・スリー & バナナラマ “It Ain’t What You Do, It’s The Way That You Do”
スペシャルズもそうだったし、その解散後にテリー・ホールが中心となって派生したこのトリオ(この曲では、”Venus”でイケイケ・ユーロビートお姉ちゃんになる前の、ローファイだった頃のバナナラマをフィーチャーしている)や、カルチャー・クラブ、ヘアカット100、ジョーボクサーズなど、確かに白人・黒人混合バンドは80年代初頭は多かった。そこには当時の時代背景が大きく影響しているわけだが、映画では「黒人メンバーがいると、ハクがつく」なんていう台詞が登場する。
7. ザ・ヴェイパーズ “Turning Japanese”
映画においてミュージック・ビデオの撮影にラフィーナを誘う際、コナーは自身のバンドの音楽性で、”ちょっと中国的なエッセンスもあって……”的な発言をするが、そのときに口ずさんだメロディで始まる1980年のロック・ヒットがこれ。当時は中国と日本のイメージが、欧米ではかなりごっちゃになっていたことも伝わってくる。
8. アネカ ”Japanese Boy”
1981年にイギリス、アイルランドなどで1位になったこの曲も、我々日本人からすると、ざっくりオリエンタルなムードで括られているだけだったりする(→故に、日本ではこの曲は歌詞だけ日本語詞にすることで「チャイニーズ・ボーイ」というカヴァーに生まれ変わり、山口由佳乃というアイドルに歌われることになったのだった)。
9. ジャパン “Visions Of China”
しかし、”日本”と名乗るイギリスのバンドが、実際に日本人メンバー(土屋昌巳)を加入させながら、さらにこんなタイトルの、中国のイメージを取り入れた楽曲(81年イギリスで31位)を発表していたのだから、ダブリンの少年達に日本・中国ひいては東洋全体のイメージを混同させる要素には、事欠かない時代だった。
10. ザ・キュアー “The Lovecats”
映画の中盤、ラフィーナが語った”Happy Sad”という概念を、なんとか理解しようとするコナーに、兄のブレンダンが絶好の教材として手渡したのがThe Cureの”Inbetween Days”だった(映画のサントラにも収録)が、コナーの音楽面での最高のパートナー、エイモンと初めて会ったとき、彼がベースで弾いてみせたのが、そもそもキュアーのこの曲のフレーズだった。83年にイギリスで7位まで上がった曲だ。
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