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レディング・フェスティバルを始め、ロンドンのマーキー・クラブの創設者である音楽業界の伝説的人物、ハリー・ペンドルトンが亡くなったことを受けて追悼の声が寄せられている。

ハリー・ペンドルトンは短い闘病生活を経て9月22日に他界していたことが、先週末にかけてニュースで報じられている。享年93歳だった。

彼が始めた巨大企業であり、世界的にも有数のビッグ・アクトにライヴ・プロダクションを提供している「エンテック・サウンド・アンド・ライト」は、長文の追悼文を投稿しており、「プロモーター、マネージャー、クラブのオーナー、パブリッシャー、フェスティバルのオーナー、革新者」として彼を称賛している。

「60年に及ぶ彼のキャリアを通して、ハロルドは新しいタレントを紹介するプラットフォームを作り上げようと闘ってきました。そして、ポピュラー音楽のカルチャーを形作るのに一役買ってきたのです」と追悼文には綴られている。「彼は音楽の歴史においてユニークな期間の中心にいました。イギリス国内や国外においてジャズ、ロック、パンクの衝撃的な革命を鼓舞すると同時に、目撃もしてきたのです」

ハリー・ペンドルトンは1958年にオックスフォード・ストリートにあるマーキー・ボールルームで開催されていたジャズ・ナイトを引き継いでいる。それからウォーダー・ストリートに移転して1987年にクラブの所有権を手放すまでの間、マーキー・ボールルームは1960年代と70年という独創的な時代におけるロック・ミュージック、ジャズ、R&Bの最先端の場所となっていた。デヴィッド・ボウイ、ザ・フー、ピンク・フロイド、クリーム、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス、レッド・ツェッペリン、ロッド・スチュワートなどの時代を象徴するパフォーマンスが披露されていた一方で、メタリカガンズ・アンド・ローゼズ、R.E.M.といったバンドが初めてイギリスでライヴをした場所ともなっている。

ハリー・ペンドルトンは1961年にナショナル・ジャズ・フェスティバルを始めており、時と共に、現代音楽の異なるジャンルにまで幅広く手を伸ばすようになったこのフェスティバルは、現在ではレディング・フェスティバルと知られるフェスティバルへと発展を遂げている。彼はニルヴァーナが伝説的なパフォーマンスを行った1992年までこのフェスティバルに関わり続けていた。

その中で、当時では革命的と言える数々の革新を行っており、複数ステージや水洗トイレの導入、ビデオ・スクリーン、バックステージのシャワー、リストバンドによるチケットなどを導入してきている。

彼は妻のバーバラと息子のニックを遺している。

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