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リンキン・パークの名作『ハイブリッド・セオリー』と『メテオラ』を手がけたプロデューサーが、チェスター・ベニントンの死を受けて彼らとの最初の出会いについて語り、彼の「とてつもない」才能を称えている。

先週、チェスター・ベニントンは長きにわたる鬱との闘いの後、自殺の末に亡くなっている。リンキン・パークが正式にバンドとして感動的な追悼文を発表し、マイク・シノダはバンドの6人で初めて撮影した写真を公開している。そして、プロデューサーのドン・ギルモアは彼らとの最初の出会いについて振り返っている。

ドン・ギルモアは米『ビルボード』誌に次のように語っている。「リハーサルに行って、彼が歌い始めた時、俺は『なんてこった、こいつは本当にスペシャルだ』って思ったね。小さくて、おんぼろなリハーサル・ルームで、あれほど素晴らしく歌う奴なんて見たことなかった。彼はデモではあれほど素晴らしく歌っていなかったんだけど、スタジオでこんな感じで歌えるなら、俺たちは何かできるかもしれないって思ったよ」

「彼は当時、ただのいい奴って感じだったね。バンド・メンバーみんな、いい奴らだったよ。これは俺の考えなんだけど、その最初のリハーサルでは、チェスターがバンド全体を出し抜いていたね。彼はヴォーカルとして驚異の存在でね。だから、このプロジェクトに興奮したし、このバンドと仕事がしたいって思ったんだ」

ドン・ギルモアは次のように続けている。「俺たちは『ハイブリッド・セオリー』を6週間という、かなり短い期間で作ったんだ。今思い返すと、あのアルバムをみんなが聴いていると、『ワオ、俺たち、すげえ仕事をやってのけたな』って感じだったね。すべてがうまくいったんだ」

「どのようにしてあのアルバムが作られたかということに関してはたくさん話すことがあるけど、あのバンドで気付かされたのは……プロデューサーというのは、いつも突出した規格外のスペシャルなものを探しているんだ。というのも、時々平凡なレコードしかできないこともあるわけでね。いい曲があって、いいサウンドがあって、それでいいのかもしれない。でも、チェスターの歌のようなものと結びつくと、そのアルバムは止められないものになるんだ。」

今週末、ロサンゼルスの郡検死局のスポークスマン、エド・ウィンターはチェスター・ベニントンの死因を首吊りによるものだと認めている。さらに、近くにボトル半分のアルコールが見つかったが、ドラッグ使用の痕跡はなかったと認めている。遺書は見つかっていない。

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