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シックのナイル・ロジャースが、デヴィッド・ボウイ死去の余波が残るなか、彼と行った仕事について語っている。

デヴィッド・ボウイは、1月10日にガンとの18ヶ月に及ぶ闘病の末69歳で亡くなっている。

ナイル・ロジャースは、デヴィッド・ボウイの1983年のアルバム『レッツ・ダンス』と1993年の『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』を共同プロデュースしている。

「初めてデヴィッド・ボウイの音楽を聴いた時のことを覚えているよ。なぜなら、裸だったからね! 最高だね!」と、ナイル・ロジャースは『ザ・ガーディアン』紙の記事に語り、次のように続けている。「それは、考えられるなかで最もロマンティックで素晴らしくてヒッピーな状況だったよ。僕はマイアミ・ビーチのクラブでプレイしていたんだけど、以前あそこにはヌード・ビーチがあってね。それでクラブのフォトグラファーの女の子が『ビーチで夜を明かそうよ、裸でデヴィッド・ボウイを聴きながら!』と言ってきたんだ。僕には彼が誰なのか見当もつかなかったけど、僕たちは『ジギー・スターダスト』を一緒に聴いたんだ。とにかく最高だったよ」

ナイル・ロジャースは以下のように続けている。「彼に会うことが出来たときも、信じられないほど素晴らしかったよ。その時は完全に服を着ている状態ではあったけれどもね! ナイトクラブに足を踏み入れると、彼は一人でそこに座ってオレンジジュースを飲んでいたんだ。彼に歩み寄り僕はこう話しかけたんだ。『やあ、君はルーサー・ヴァンドロスや私の仲間たちと同じビルに住んでいるんだって?』。これがきっかけで僕らは話し始めたんだ。最初は『ヤング・アメリカン』の話をして、すぐにお互いに好きなジャズの話に移っていったよ。それで、この男は本物だとわかったよ。ただものじゃないってね」

「その会話をした1週間以内に、彼が僕の家に電話をかけてきて、『レッツ・ダンス』に取り掛かったんだ。そして、ある日デヴィッドは、『ナイル、僕のアルバムはこんなサウンドのアルバムにしたいんだ』と、赤いスーツを着たリトル・リチャードが赤いキャデラック・コンバーチブルに乗り込む写真を僕に見せたんだ。それをどのように解釈すればいいんだよ!? でも、実際には僕には彼が意図することが完全にわかったんだ。そして、その瞬間にデヴィッド・ボウイはロックンロール界のピカソだと悟ったよ。彼は僕がそう呼ぶことを心地よく思わなかったみたいだけど、それでも僕はそう呼んだんだ。なぜなら、彼は僕らと同じ方法で世界を見ているだけではなくて、抽象的な方法でも見ていたのが僕にはわかったからさ」

頻繁に作品を共同制作したデヴィッド・ボウイの才能について、ナイル・ロジャースは次のように付け加えている。「彼はとにかく信じられないほどにアーティスティックで、彼の周りにいる人たちが何か面白いことをできるように常にインスピレーションを与えていたんだ。彼は、合理的なことをやるな、非論理的なことを試してみてから、それがうまくいくかどうかを確かめてみるべきだという考え方をする人だった。だから、僕らはそのようにしたんだ。そしてね、なんと、そのほとんどがうまくいったんだよ」

デヴィッド・ボウイは死の直前、69歳の誕生日である1月8日に最後のアルバム『★(ブラックスター)』をリリースしている。

フェイスブックには「2016年1月10日、デヴィッド・ボウイは18ヶ月に及ぶ勇敢なガンとの闘いを受けて、家族に囲まれて安らかに亡くなりました。みなさんの多くがこの喪失を共有してくださることでしょう。しばらくは家族のプライヴァシーに御配慮をいただくことをお願い致します」というメッセージが投稿されている。

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