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グラストンベリー・フェスティバルのブラー? レディング&リーズフェスティバルのアークティック・モンキーズ? スパイク・アイランドのザ・ストーン・ローゼズ? ここに御紹介するのははフェスティバルでのベスト・フォーマンスのトップ50のランキングである。日常の自分を忘れ、興奮に身を任せたみたピルトン、ヨークシャー、チェシャー(当てはまらないかもしれないが)での熱狂したあの日の時間を思い出すことだろう。

50 ベースメント・ジャックス

Glastonbury Festival ’05

カイリー・ミノーグが健康上の理由から出演がキャンセルとなり、否定的な人たちはブリクストン出身の2人組が、観客が必要とするショウ(あるいは金色ラメのホットパンツ)という点で、オーストラリアのポップ・クイーンと同じレベルのことができるのかと不安視していた。ベースメント・ジャックスは、ブラジル人のドラマー、サルの衣装をまとったダンサー、花嫁のように着飾ったシンガーたちを従えて、まさにそれをやってのけたのだ。


49 アーケイド・ファイア

Reading Festival ’05

「まるで聖歌のよう」、「勝ち誇っている」、「映画『ナポレオン・ダイナマイト』の人だ!」。これらはアーケイド・ファイアのフェスティバルでのステージとよく結び付けられる言葉だが、ここまで反響を呼んだのはこれが初めてだった。デビューアルバム『フューネラル』の雰囲気以上に陶酔したパフォーマンスだった。


48 L7

Reading Festival ’92

転機となったアルバム『ブリックス・アー・へヴィ』のすぐ後に、L7は自身を「グランジ化」して、レディング・フェスティバルに臨んだ。落ち着きがなく、泥を投げてくるような観客に対して「使用済みタンポンでも食べてな、お前たち!」と暴言を吐き生理用品を観客に放り投げるのがL7のやり方だ。50セントなら野次を飛ばす観客に対する彼女たちの対処法をメモに取っていただろう。


47 ベック

V Festival ’06

オーヴィル(イギリスの腹話術師キース・ハリスのキャラクター)、ミスター・ブロビー (イギリスのバラエティ番組『ノエルズ・ハウス・パーティー』のキャラクター)、レオナ・ルイス、それまで音楽界の操り人形の系譜には優れた存在などいなかった。でも、それもベック・ハンセンが、Vフェスティバルに自分とバンドのマリオネットを登場させ、『オディレイ』にも似たアルバム『ザ・インフォメーション』の楽曲を含むヒットづくしのライヴを披露するまでのことだ。この時はターンテーブル2個、マイク1本、そして慎重に設置された操り糸がセットされていた。


46 デヴィッド・ボウイ

Glastonbury Festival ’71

ザ・デイムことデヴィッド・ボウイによる初期の特別なパフォーマンスでは、明け方(午前5時)にアコースティックギターを演奏し、“Changes”や“Oh! You Pretty Things”など、のちに名曲と称される楽曲を披露した。


45 エミネム

Reading Festival ’01

ともに保守的なアメリカの中流階級の共鳴者であり、初期の際どさで悪名高いロックスターである2人がタッグを組んだ。マリリン・マンソンエミネムの楽曲である“The Way I Am”でマーシャル・マザーズと手を組んだのだ。このショウは、当時事故死したアーリヤへ捧げる1分間の黙祷と幕間のアニメが並ぶ奇妙な展開でも知られている。


44 グレイス・ジョーンズ

Latitude Festival ’09

60代の人々は普通フラフープをしているのを見てもらおうとは思わない(「ブリテンズ・ゴット・タレント」の出場者なら別だが)。しかし、グレイス・ジョーンズはそこらへんの60代とはワケが違う。フラフープのパフォーマンスだけでなく、キャリア全体に亘るセットリストと、反重力の帽子を被って「風変わりな」ジョーク(「あら、わたし月にいるのかしら?」)を披露した。


43 レッド・ツェッペリン

Bath Festival ’70

ドラマーのジョン・ボーナムは「これまでにはやったことのないような」パフォーマンスをすると約束した。“Whole Lotta Love”や“Immigrant Song”を含むセットリスト、そして締めの往年のロックンロールの名曲(“Johnny B. Goode”や“That’s Alright Mama”)のメドレーに観客は熱狂した。


42 オービタル

Grastonbury Festival ’04

イヤー・ゼロのメガネ型ヘッドギアを付けた2人組が大勢の観客に向かってビートを作り出す様子を歴史はあたたかく見守ってくれるだろうか? 誰にもわからないが、1つ言えるのは、彼らの1994年のパフォーマンスがダンスミュージックに置いて非常に重要な瞬間であったことに疑いの余地はない。


41 ニュー・オーダー

Reading Festival ’98

我々が知り、愛したニュー・オーダーの最後のフェスティバルでの熱狂。1993年の『リパブリック』以来アルバムのリリースはしておらず、このパフォーマンスは当時、ギリアン・ギルバートの最後のバンド演奏だった。ジョイ・ディヴィジョンによる楽曲だけでなく、ヒット曲も盛りだくさんのステージだった。なんとバーナード・サムナーの「父親」も踊っていたらしい。驚きだ。


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