NME

Photo: NME

シェフィールド出身のブリング・ミー・ザ・ホライズンはかつて、ロック・ファンから愛と憎しみの双方を向けられるような生意気なバンドだった。彼らは今やUKにおける最高のライヴ・バンドの一つに成長している。『NME』のアンドリュー・トレンデルは、大胆で輝かしい、境界を押し拡げるような新作『アモ』のリリースに先駆けて、レディングやベルリン、ロンドンに赴き、死や離婚、新たに見出した幸福の意義による新たな改革について話を聞いた。

2018年、ブリング・ミー・ザ・ホライズンの姿はレディング・フェスティバルにあった。BBCラジオ1ステージにシークレット・アクトとして出演して、ライヴへの復帰を果たすためである。シングル“Mantra”がリリースされてからわずか数日後のことだ。披露されるやいなや観客の心を掴んだこの曲で久々のステージの幕を開けると、短いながらもシャープな8曲のセットを披露して、ブリング・ミー・ザ・ホライズンは新時代への扉を盛大に蹴り飛ばしてみせた。

今やヒーローとして歓迎されるまでになったシェフィールド出身の彼らも、10年前に初めてこのフェスティバルに出演した時には、それとは正反対の憎しみに満ちた歓迎を受けている。ブリング・ミー・ザ・ホライズンが初めてレディング&リーズ・フェスティバルに出演した2008年は、ヘッドライナーとして発表されていたスリップノットが出演をキャンセルするという事態に見舞われている。その影響でメインステージのすべてのアクトのスロットが繰り上げられ、ブリング・ミー・ザ・ホライズンはそれを埋める形で午前11時からメインステージに一番手として登場することになった。彼らのデビュー・アルバム『カウント・ユア・ブレッシングス』は多くの称賛を集めた一方で、それと同じくらいの批判も集めていた。いかにもな長い前髪やデスコアのサウンドは、伝統的なレディング・フェスティバルの観客にはウケなかったようだ。

「あの時は恐ろしかったね」とフロントマンのオリヴァー・サイクスは語っている。「カメラ付き携帯やバナナだったり、石やケチャップ、文字通りあらゆるものが俺たちに向かって飛んできたんだ。普通じゃなかったよ」

ブリング・ミー・ザ・ホライズンはそれを乗り越え、今の位置にまで辿り着いてみせた。彼らは持ち前の強硬な姿勢に磨きをかけ、薬物依存や人生における悲劇や皮肉を、終わったロックバンドになることなく歌い続けてきたのだ。

「俺たちは強い意志を持った奴らの集まりなんだ」とドラマーのマット・ニコルスは語っている。「子供の頃にバンドを始めて、これまでにたくさんの困難を経験してきた。けど、そんなことでは挫けなかったんだ。『絶対に諦めない』っていう気持ちで乗り越えてきた。諦めるなんてことは絶対にないよ。つまらないことに手を出そうとも思わないしね。自分たちが満足することしかやらないようにしているんだ」

2008年にレディング&リーズ・フェスティバルで観衆からの銃撃をくぐり抜けた数ヶ月後、ブリング・ミー・ザ・ホライズンはデスコアの門戸を少しだけ広げ、セカンド・アルバム『スーサイド・シーズン』をリリースした。それでもまだ、陪審員たちが彼らの側を離れることはなかった。世界がようやく目を覚ましたのは、彼らがサード・アルバムの(さあ、ここで深呼吸をして)『ゼア・イズ・ア・ヘル、ビリーヴ・ミー・アイヴ・シーン・イット。 ゼア・イズ・ア・ヘヴン、レッツ・キープ・イット・ア・シークレット』をリリースしてからのことだ。エレクトロニカを取り入れて、陰と陽の境目を明確にした本作は高い評価を得て、チャートでもトップ20入りを果たしている。バンドがようやく認められた瞬間だった。

2013年にリリースした『センピターナル』も、2015年の『ザッツ・ザ・スピリット』も、現在までに150万枚以上を売り上げている。後者はステレオフォニックスの『キープ・ザ・ヴィレッジ・アライヴ』をわずか1300枚の差で上回り、全英アルバム・チャートの首位も獲得している。

ブリング・ミー・ザ・ホライズンが生み出した嵐は順調に成長を遂げ、ウェンブリー・アリーナやロイヤル・アルバート・ホールの観客をも巻き込んでいった。そんな彼らの前にメインストリームへの道が拓けたことが明確になったのは、2016年に出席したNMEアウォーズの授賞式で“Happy Song”のパフォーマンス中にコールドプレイの座っていたテーブルに飛び乗った瞬間だろう。タブロイド紙が食いつくには十分過ぎる出来事だった。オリヴァー・サイクスは数年間に及ぶ薬物使用が報じられ、退廃した典型的なロック・ミュージシャンとして描かれてきた。しかしながら、ベルリンの高級ホテルのロビーで待っていた私たちの元に、健康的なスムージーとショッピングバッグを手にマット・ニコルスと共に現れたオリヴァー・サイクスからはそんな面影など感じなかった。

『センピターナル』の制作中、オリヴァー・サイクスは馬の鎮静剤としても知られるケタミンへの依存に苦しんでいた。オリヴァー・サイクスはリハビリに通っていた当時、「自分のことが大嫌い」で、「生きようが死のうがどうでもよかった」と思っていたという。目の前に座っているオリヴァー・サイクスは今、優しい南ヨークシャーの訛りで話しながら、不安そうにイアリングをいじっている。禅の修行僧のように大人しくしているかと思えば、ステージの上ではカルト集団の教祖のごとく、観客を扇動する。まさに、陰と陽を兼ね備えた人物なのだ。

「今はバンドの全員がいい状況にいるよ」とマット・ニコルスは語っている。「結婚して、子供もできて、人生を謳歌してる。『センピターナル』ですべてが上向きになったんだ。一体何が起きていたのか、当時は誰も分かっていなかったんじゃないかな。今じゃもう、みんな地に足が着いていると思うけどね」

オリヴァー・サイクスもマット・ニコルスの意見に同意している。「変な感じなんだけどさ。俺たちは歳を取ったけど、物事へのアプローチの仕方はこれまでで一番若い気がしているよ」

もしもシェフィールドに行くようなことがあれば、テスラを乗り回しているオリヴァー・サイクスに遭遇する機会があるかもしれない。シェフィールドの住人であるオリヴァー・サイクスはそこで、「ドロップ・デッド」という自身のアパレルブランドや、ヴィーガン用のバー、レストラン、ゲームセンターを経営している。かつて工業地帯として知られていたケルハム・アイランド地区には、彼がオープンしたヒップスター御用達のライヴハウス「チャーチ:テンプル・オブ・ファン」もある。

マット・ニコルスとギタリストのリー・マリアもシェフィールドの住人だ。一方で、キーボーディストのジョーダン・フィッシュは家族と共にシェフィールドより南のニューベリーに、ベーシストの「ヴィーガン」ことマット・キーンは穏やかな気候のロサンゼルスに暮らしている。どうやら、全員が穏やかな生活を送れているようだ。オリヴァー・サイクスには今、ほろ苦くも感謝していることがあるという。自身が「リセットボタン」と呼ぶ、数年前に依存症を克服した経験について語ってくれた。

「あそこまで(依存症が)酷くなることなく、その状態のままでバンドを続けていたとしたら、きっと解散していたんじゃないかな」とオリヴァー・サイクスは語っている。「互いに憎み合って、怒りをぶつけ合っていたと思う。『お金ならもっと楽に稼げる』って周囲に言われて、それに従っていたんじゃないかな」

「あらゆることを経験して、俺たちはタフになった。音楽こそが最も大切なもので、これからも全力で向き合っていくよ。今は音楽に依存しているんだ」

その後『アモ』の制作に取り掛かり始めたブリング・ミー・ザ・ホライズンだったが、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた彼らをもってしても、本作の制作は決してスムーズにはいかなかったようだ。『ザッツ・ザ・スピリット』の一連のツアーを終えた後で、ジョーダン・フィッシュの当時生まれたばかりだった息子のエリオットが脳出血を患い(幸いなことにその後回復している)、オリヴァー・サイクスは元妻との離婚問題に直面していた。ブラジル出身のモデルであるアリッサ・サラスと再婚した今は幸せを感じているらしいオリヴァー・サイクスだが、本作の制作に取り掛かり始めた当初は、女性をめぐる一連のトラウマを曲にしようとは思っていなかったという。

「このアルバムでは、離婚について書くことだったり、前の奥さんについて打ち明けることはしたくないと思っていたんだ」と彼は語っている。「俺が実際に思っているよりもちっぽけなことのように感じて欲しくなかったし、スポットライトを当てるようなことはしたくなかった。それに、現状に不満を持っているかのように見られたくなかったからね。俺は起こったことに満足しているんだからさ。だけど、しばらく経ってから自分自身の経験以外に話すことがないことに気が付いたんだ。話をでっち上げることはできないってね。経験したことのない感情を作り上げることはできないんだ」

「書き出してみることが大切だと思った。セラピーには通っていなかったからね。母親からもそういうことを言われたよ。歌詞を書いて、歌うことで吐き出す。可能な限り最善のやり方で乗り越えることが大切なんだ」

“In The Dark”で不信や裏切りについて歌われているとはいえ、彼らが『アモ』(ポルトガル語で「愛」を意味する「amo」と、攻撃を意味する「ammo」が掛けられてる)を通して探求しているのは、ありとあらゆる愛の在り方についてだ。リード・シングルの“Mantra”では、絶対的な献身やカルト集団における盲目的な信仰心が歌われ、“Medicine”では過去のうまく行かなかった出会いに背を向けることについて歌っている。“Why You Gotta Kick Me When I’m Down”には、自身のプライベートにケチを付けるファンへのメッセージが込められている。明るいほうに目を向ければ、“Mother Tongue”という曲も収録されている。「俺が妻をどれだけ愛しているかを伝える、まっすぐなラヴソングだよ」とオリヴァー・サイクスは語る。「違う言語を話していることがいかにクレイジーかっていうことを歌っているんだ。けど、そんなのちっとも問題じゃないんだよ」

アルバムの最後にも心に響く瞬間が待っている。オリヴァー・サイクスは“I Don’t Know What To Say”で、2017年にガンで亡くなった、家族ぐるみで親交のあった幼馴染について歌っている。

「亡くなる前に彼に会うことができなかった、俺のナーヴァスな感情が歌われているんだ。考えながら震えていたよ。人が亡くなってしまう前に、どんな言葉をかけたらいい? 乗り越えられないのは分かっているのに、『大丈夫だよ』なんて言えないんだ。彼がいかに勇敢だったかについても歌っている。もしも俺に人生のタイムリミットが告げられたら、自分勝手になって、恐ろしくて『世の中なんてクソ食らえ』って言ってしまいそうなのにさ。押し潰されそうになっているのに、ベッドから起き上がることなんてできないだろう?」

薬物依存の過去を打ち明けた2014年のオルタナティヴ・プレス・ミュージック・アウォーズでのスピーチにせよ、ADHA(注意欠陥・多動症)の苦しみや薬物での治療がいかに崩壊から救ってくれたかを歌った2015年の“Avalanche”にせよ、自身の闘いについて赤裸々に語ってきたオリヴァー・サイクスは困難な時期を乗り越える屈強さを持っている。自身の体験を公にしてきたことは、これまでの経験や葛藤を理解するのに、どれほどの手助けになったのだろうか?

「リハビリ施設へ行った時に言われたことの一つが、手紙を書きなさいっていうことだった」とオリヴァー・サイクスは答えている。「必ずしも誰かに宛てたものでなくていいんだ。自分が感じていることを書き出して、封筒に入れて燃やしたっていいんだよ。俺は書けなかったんだけどね。『何の意味があるんだ?』と思ってしまってね。助けになるのは分かっていたんだけど、俺にとっては仕事としてやっていることだからさ。書き出したものが何らかの意味を持って、いろいろな人に聴かれるわけだからね」

「書き出すことで、感情を吐き出せるだけじゃなく、それが韻を踏んでメロディーになっていくのが分かるんだ。そうして、それを外へ持ち出してステージで歌うんだよ。心に来るものがあるよね」

彼の吐き出した言葉は、どんどん広まっていった。デビュー当初は手荒い歓迎を受けていたブリング・ミー・ザ・ホライズンも、今やミューズと肩を並べるアリーナ級のライヴ・バンドにまで成長した。ベルリンにある洞窟のようなUFO・イム・ヴェロドロームを満員にして行われたこの日の公演は、視覚的にも聴覚的にもまさに圧巻で、アンセムに満ちたシアトリカルなステージが披露されている。この日のセットリストは、2曲の新曲と2010年の“It Never Ends”を除いて、それ以外はすべて前2作からの楽曲で構成されていた。一方で、その数日後に行われたロンドン公演では、昔ながらのファンが歓喜するようなセットが披露されている。

「俺たちがバンドを始めてから15年が経ったんだけどさ」とオリヴァー・サイクスはロンドンのアレクサンドラ・パレスに集まった観客に語りかけている。「歳を取ったよ。若く見えるかもしれないけど、俺たちは歳を取ったんだ。アルバムを6枚も出しているしね。まあまあなアルバムも、いいアルバムも、悪くはないっていうアルバムもある。君たちの中には、それでも好きになってくれた人たちもいるみたいだけどね。古い曲を聴きたいかい?」

ブリング・ミー・ザ・ホライズンは続けて、初期の激しい4曲の楽曲(“The Comedown”、“(I Used to Make Out With) Medusa”、“Diamonds Aren’t Forever”、“Re: They Have No Reflections”)からなるメドレーを披露して、冒頭から熱狂していたオーディエンスをさらに興奮させている。おっと、彼らのこちら側の側面に慣れてしまうことなかれ。彼らはどうやら、ロック・シーンのつまらない制限にウンザリしてしまっているらしい。

「音楽を聴いている人たちの中には、リストカットをしているような人たちや、鬱病を抱えている人たちもいる。だからこそ、そういう人たちに媚びへつらっているようなアーティストもいるんだ」とオリヴァー・サイクスは慎重に実名を挙げることなく語っている。「そんなの本物じゃないよね。感情というのは色彩と同じで、ありとあらゆる種類が存在していると思うんだ。何も、怒りだけが感情ではないわけでさ。ギターとスクリームだけで、それをどうやって表現すればいいのさ? 他のものにも目を向ける必要があるんだよ」

「ギターはメインの楽器であるべきじゃない。テクスチャーとして存在すべきなんだ。ギターが入っているか入っていないかは問題じゃないんだよ。もし君が、ギターが入っているかいないかは重要だっていうことを言うのだとしたら、俺は君を変だなと見なすよ。『何で?』っていうね」

オリヴァー・サイクスの不満は、さらなるクリエイティヴな領域を探求しようとした時に参照すべきアーティストがロックのシーンに10年以上にわたって登場していないことにあるようで、次のように語っている。「これだから、俺たちはロック・シーンとの繋がりを感じられないんだ。ここ30年、ロックのシーンにアイコンなんていないんだからさ」

「言ってること分かるかい? 最後の偉大なアイコンは誰だと思う?」とオリヴァー・サイクスは私たちに質問を投げかけている。「メタリカやブラック・サバスだよ。ヘッドライナーを張れるようなバンドは、20年前に出て来たようなバンドばかりだ。ロックは何十年もレジェンドを生み出せていないんだよ。他のあらゆるジャンルは生み出してきたのにさ」

とはいえ、オリヴァー・サイクスにアイコンになろうなどという考えはない。先日公開された“Mantra”のミュージック・ビデオで架空のカルト集団の教祖に扮している彼の姿を見る限り、彼は上辺だけのメタル・バンドに懐疑的な目を向けているようだ。

オリヴァー・サイクスは、ロックにおける「調整された色彩や想像力の範囲内」に生きることはしたくないと力強く語っている。「不本意だよ。あいつらのパロディーになりたくないがために、シーンから出て行かないといけないなんてさ」と彼は語っている。「血や(デヴィル・)ホーン、スクリームから逃れたいんだ。『ロック』になる必要なんかないんだからさ。忠実で、正真正銘のロックをやりたければ、狭く制限されたルールに従わなければいけないわけでね。そんなの、どうやって生き延びろって言うのさ?」

ロックの世界とはウェルカムで、解放的な場所ではなかったのだろうか?

「解放的なんかじゃないよ」とオリヴァー・サイクスは答えている。「ビッグになるようなバンドは嫌われるんだ。何かが盗まれてしまっているような感じだよね。俺たちのバンドにもそういう時期が訪れて、あの世界をそれ以上楽しませることができなくなってしまったんだ」

そうして辿り着いたのが、万華鏡のような『アモ』の世界だ。20曲から30曲のデモ(『ボーイズⅡメンのようなR&B』が2曲と、『ファンキーでカリビアンな曲』もあったものの、最終的には入らなかったという)から選び抜かれたこのアルバムには、トランスやポップ、ヒューマンビートボックス、バラード、実験的なサウンドスケープが詰め込まれている。

典型的なロックのバンガーも確かに入っているが、よりオープンで、万人に受け入れられそうな要素が加わっている。ブリング・ミー・ザ・ホライズンは今、可能な限りの幅広いオーディエンスを惹きつけようとしているのだろうか?

「これまでとはまったく違うスタンスなんだ」とオリヴァー・サイクスは語っている。「ちょうどアメリカでプロモーションをこなしてきたばかりなんだけどね。その時に、俺たちが今いるシーンにはこのアルバムを『理解してくれる』人がほとんどいないんじゃないかっていうことに気がついたんだ。ロックやメタルコアが好きな人たちの中には、いかなる変化にも関心を持たない人たちがいるわけでね。これまでは、『おお、オアシスみたいなサウンドだよ』って思われたところで、実際はそうじゃないのが俺たちだったんだけどさ。このアルバムには、本当にそう聴こえる瞬間があるんだ。ロックには聴こえなくて、ダンス・ミュージックにしか聴こえないような曲もあるよ」

彼らは続けて、かつて抱えていた重圧について語っている。曰く、『ザッツ・ザ・スピリット』の制作中は、自分たちをロックの次なる期待の星へと押し上げようとするマシーンのようなものに「捕まっていた」のだという。メインストリームへの道を切り拓き、世界的な成功を収めるような、次世代のリンキン・パークになることを期待されていたのだ。「俺たちは11曲のバンガーを作ろうとしていたよ。すべてシングルとしてリリースできるような11曲をね」とオリヴァー・サイクスは当時を振り返っている。「今回はそういうことは考えなかった。1枚のアルバムを通して何かを体験できるものにしたかったんだ」

オリヴァー・サイクスは次のように続けている。「俺たちのことを前よりもヘヴィじゃなくなったって言う人たちもいるかもしれない。だけど、俺たちにとって重要なのは、すべての曲が身の毛のよだつようなものになっているということなんだ。今の音楽シーンの主流は、そうじゃないわけでさ。今の人たちは17曲のアルバムを作っても、そのすべてでテンポや雰囲気に同じものが使われている。そういうのがクレヴァーだとされているわけでね。人々が求めているのはスクロールできるようなBGMなんだ。俺たちみたいなアルバムの作り方はちょっとオールドスクールなんだろうね。俺たちは周囲に目を向ける必要があると思う。一度立ち止まって、周囲のすべてを取り込んでみるんだ」

彼らはこの新作で新しいオーディエンスを獲得することになるのだろうか?

「それは分からないな」とオリヴァー・サイクスは答えている。「(ダンス・ミュージックのフェスティバルである)クリームフィールズに行くような人が“Nihilist Blues”っていう曲を好きになってくれるかなんて、どうやって分かるって言うんだい? そんなの分かりっこないよ」

実際のところ、彼らが行った実験の試金石となっている“Nihilist Blues”は、『アモ』の中でも最大のサプライズだと言える。暗闇のレイヴ集団たちが踊り出しそうな「ダークな90年代のユーロ・ダンス」が流れる、グライムスというオルタナティヴ・ポップのアイコンとの意外なコラボレーションによるこの楽曲は、本作の中核を担うような1曲だ。

グライムスは数年前のインタヴューで、フォールズとブリング・ミー・ザ・ホライズンについて「ロックの未来」だと称賛していた。ブリング・ミー・ザ・ホライズンはそれを受けて、勝算のないままに彼女のマネージメントに楽曲を送ってみたのだという。グライムスはそれを二つ返事で引き受け、参加できることをいかに「楽しみにしているか」を綴ったメッセージをオリヴァー・サイクスに送っている。彼女はこの楽曲を新たな次元に導くため、触れるものすべてを黄金に変えてしまうその手腕を発揮して、アドリブやエフェクト、そして彼女らしさをこの楽曲に付け加えている。

「グライムスは『今まで聴いた中で最高の曲だわ』っいうことを言ってくれたんだ」とオリヴァー・サイクスは笑顔で語っている。「それから30秒が経つ頃にはもう、『混ぜて。お願いだから私も入れて』っていう感じになってね。俺にとっては本当に嬉しいことだったね。妻もグライムスの大ファンでさ。『きっとやってくれないわ。彼女はクール過ぎるでしょ。それに、すごく人を選ぶから』っていうことを言われていたくらいでね。ヴォーカルを送ってくれた時なんか、嬉し涙を流してくれているんじゃないかっていうほどだったよ。久しぶりに話す時には、俺たちにのことをすごく褒めてくれてね。時折、『ねえ、これを聴いたらみんなブッ飛ぶよ』みたいなメッセージを送ってくれるんだ。俺たちも『まあ、そうだな』っていう感じになるんだけどさ」

“Nihilist Blues”で歌われているのは、バンドが頭を悩ませている存在意義の喪失についてだ。避けられなかった不安から逃れて目的地に辿り着いたところで、その自由を感じるより以前に「次はなんだ?」と考えてしまうのである。行き場所のないミレニアル世代にとってのアンセムとも言えるこの曲で、オリヴァー・サイクスはロボットの声で次のように歌っている。「壁を登ってきた/沈むような気持ちから逃げるように/それでも、扉に立っているニヒリストから隠れることはできないんだ」

「自分のことをニヒリストだって言うつもりはないけど、歌詞にはとても近いものがあると思う」とオリヴァー・サイクスは頭を巡らせる。「よくそういう虚無感を感じてしまうんだ。それは俺にとって必ずしもネガティヴなことではないんだけど、『人生に意味なんてあるのか?』って思うこともあるよ。『俺たちはこれからどこへ向かうんだろう?』ってね」

「取り巻くすべてのものに意味があるって思うこともある。今の世代の子供たちは、早く自分を確立しなければいけないって焦りを感じているんじゃないかな。そうでなければ、落ちこぼれになってしまうんじゃないかっていう不安をね。たくさんの人たちがそういう感情を経験していると思う。結婚できなかったらどうしようとか、完璧な仕事や、自分を必要としてくれる人に出会えなかったらどうしようっていう感情だよ。人生なんて無意味なんじゃないかって思ってしまうんだ。それは違うよ。見つけたところで、人生に意味が与えられるわけじゃない。単に気分を和らげてくれるものでしかないんだ。そんなものは重要じゃないんだ。見つけられなくたっていい。いずれにせよ、いつか終わりが来るんだからね」

『アモ』にはグライムスの他にも、ザ・ルーツのヒューマンビートボクサーであるラゼールや、ゴシックメタルの神的存在であるクレイドル・オブ・フィルスからダニ・フィルスがゲストとして参加している。ポスト・マローンが参加しているという噂もあったが、事実ではなかったようだ。「単にラスベガスで一緒に遊んだだけだよ」とマット・ニコルスが教えてくれた。ポスト・マローンの才能は「素晴らしいと思うし、リスペクトしている」ものの、彼のために「自分たちのサウンドに無理やりスペースを空ける」をことはしたくなかったのだという。とはいえ、未来に起きることを誰に予測できるだろう。ブリング・ミー・ザ・ホライズンの関心は今、「上を目指すよりもむしろ、幅を広げる」ことにある。スケールアップを目指すのではなく、自らが切り開いてきたスペースをさらに広げようとしているのだ。

今夏にヘッドライナーとして出演するオール・ポインツ・イースト・フェスティバルは、ブリング・ミー・ザ・ホライズンが立ち寄る横道の一つだ。彼らはレディング&リーズ・フェスティバルという最もらしいステップアップではなく、自らの好奇心に従って、未知の領域に進むことを選んだのである。彼らはその日のラインナップのキュレーションも手掛けており、目覚ましいパンク・バンドであるアイドルズや、ヒップホップ・デュオのラン・ザ・ジュエルズ、新進気鋭のポップパンク・バンドであるヨナカ、謎に包まれたトラップメタルのラッパー、スカーロードらを招いている。オリヴァー・サイクスに敬愛しているアーティストについて訊くと、リンキン・パークやメタリカといったロックの大物バンドではないと否定されてしまった。「熱狂的なフォロワーのいる尊敬を集めているアーティスト」として彼が挙げたのは、ボン・イヴェールの名前だ。彼らはイギリスで最もビッグなバンドになることを目指している。メタル畑の中に限った話ではないのだ。

「新曲については商業的なこととか、マーケティング的なこととかは気にしなかったんだ。俺たちは好き勝手にやっているまでだからね」とオリヴァー・サイクスは『アモ』で掲げている野心について語っている。「その二つを同時に持ち合わせることはできないことに気が付いたんだ。もしもトゥエンティ・ワン・パイロッツやパニック!アット・ザ・ディスコのような領域に到達したいと思っていて、それを実現させたいと思っているのなら、彼らと同じゲームに参加する必要があるわけでね。俺たちからしてみれば、そんなのは妥協でしかないと思ったんだ」

「俺たちを嫌う人たちや、深刻に捉え過ぎるような人たちは大勢いる。俺たちもシーンの一部だと思われているからね」とオリヴァー・サイクスは最後に語っている。「ようやく俺たちも、『ちょっと待てよ。彼らを公平に扱ってやろうぜ』って思ってもらえるような領域まで行けるんじゃないのかな」

自らのルーツに足を引っ張られることなく、ブリング・ミーは無限に広がる地平線(ホライズン)を進んで行く。何を投げつけられようと、ブリング・ミー・ザ・ホライズンはこれからも立ち続けるのだ。

リリース詳細

BMTH_AMO_FRONT_STICKER_JAPAN.indd
Bring Me The Horizon | ブリング・ミー・ザ・ホライズン
『amo | アモ』
国内盤CD
2019年1月30日(水)発売予定
SICP-5940 / 2,200円+税
初回仕様ステッカー封入
配信アルバム/輸入盤CD
2019年1月25日(金)発売
01. アイ・アポロジャイズ・イフ・ユー・フィール・サムシング
02. マントラ
03. ニヒリスト・ブルース feat. グライムス
04. イン・ザ・ダーク
05. ワンダフル・ライフ feat. ダニ・フィルス
06. アウチ
07. メディスン
08. シュガー・ハニー・アイス&ティー
09. ホワイ・ユー・ガッタ・キック・ミー・ホエン・アイム・ダウン?
10. フレッシュ・ブルーゼズ
11. マザー・タング
12. ヘヴィー・メタル feat. ラゼール
13. アイ・ドント・ノウ・ホワット・トゥ・セイ

アルバムの御購入・ストリーミングはこちらから。

https://sonymusicjapan.lnk.to/BMTH_amo_jpNM

Copyright © 2024 NME Networks Media Limited. NME is a registered trademark of NME Networks Media Limited being used under licence.

関連タグ